プレヴァルゴ・ブートキャンプ。
こうして少しばかりの波乱はあれど、お茶会そのものは無事に終了した。
予想していた以上の意義があったとメルツェデスは満足していたのだが、その効果はそれだけでは終わらない。
数日後から早速プレヴァルゴ邸にある訓練場にてメルツェデスと共に汗を流すことになったフランツィスカを始めとする令嬢達。
当初はモニカとエミリーだけだったはずが、話を聞いた他の令嬢達も打診をしてきて、結局その全てをメルツェデスは受け入れた。
その結果……初日からごった返す程の令嬢達が騎士などが使う稽古着に身を包みメルツェデスの目の前に集まっている。
目を逸らしたくてたまらないが、誰もそれを許してはくれない。
「さ、お嬢様、皆様に号令を」
「なんだかんだ結構楽しんでますわねハンナ!」
促すハンナの冷徹な声に、思わずメルツェデスは噛みつく。
しかし、そんな程度で揺るぐはずもないことは、誰よりもメルツェデスがよく知っていた。
「当然でございます、お集まりになったご令嬢方に号令を下すお嬢様の凜々しいお姿を想像して、昨夜は眠れませんでした」
「その割に、目の下に隈もなければ、お肌も絶好調に見えるのですけども!?」
「それもこれも、お嬢様の尊さ故でございます」
「返答になってませんわ!?」
言い返しながらも、いけしゃあしゃあとはこういうことなのだな、と生きたお手本を目にしたメルツェデスは、遠い目になってしまう。
きっと恐らく、ハンナの行動原理を理解することはできないのだろう。あるいは、理解してはいけないのだろう。
悟りにも似た境地に陥りながら、メルツェデスは皆の前に立った。
「皆様、本日はようこそお越しくださいました。
これよりしばらく、わたくし達は……令嬢の枠から離れます」
メルツェデスの言葉に、あるいは真剣に頷き、あるいはごくりと喉を鳴らす令嬢方。
その纏う空気は、すでに令嬢のそれではない。
それを見たメルツェデスは、小さく頷いた。
「皆様、よいお顔をなさっていらっしゃいます。きっと、今日この稽古の意味も皆様よくおわかりなのでしょう。
令嬢の枠を離れた後にまた立ち戻れば、わたくし達は令嬢の枠を埋め尽くし、さらなる余裕を持って日々を過ごすことができるようになります。
僭越ながら……この程度、楽にこなせるようになりますわよ?」
そう告げると、メルツェデスはその場でくるくると片足でスピンを始めた。
一切軸をぶれさせることなく、一体何回回ったか数えることすらできぬ程の華麗なスピンを見せ、それが止まれば優雅に一礼を見せる。
「これができれば、ダンスなど朝飯前、高度な振り付けもこなすことができるようになるでしょう。
しかし、それを見せびらかす必要はございません。
高度なことができるようになれば、普段のダンスはより精度高く踊ることができるようになる。それでも十分なのですから」
メルツェデスの言葉に、令嬢達がこくりと頷く。
確かに今のような動きができるようになれば、どれ程軽やかに踊れるようになるか、想像するのも難しくない。
そうなれば……夜会で視線を独り占めする自分を妄想したりもしてしまう。
しかし、甘い夢を見せるだけ、のような甘いことをするメルツェデスではない。
「ただし! 全てはこの稽古を越えられたらの話でございます。
待っているのは、今までで最も退屈で、最も過酷な訓練。ここに来たことどころか生まれてきたことを後悔するようなそれを乗り越えなければ、身につくことはありません。
皆様には、その覚悟がおありですか?」
流石にそこまで言われては、令嬢達も気楽に首肯することはできなかった。
しかし。
「ええ、ございます。この私フランツィスカ・フォン・エルタウルス、必ずやその試練を乗り越えて見せましょう」
「私達も、必ずや!」
凜とした声を響かせて、フランツィスカが、モニカとエミリーが、一歩前に進み出る。
それを見て勇気づけられた他の令嬢達も口々に決意を語り出した。
しばしその光景を眺めていたメルツェデスもまた、うん、と大きく頷く。
「皆様の覚悟、確かに受け取りました。それではこれより、プレヴァルゴ式ブートキャンプを開始いたします!」
高らかに、稽古の開始を告げた。
そして2時間後。
訓練場に立っているのは、二人だけになっていた。いや、ハンナも入れれば三人か。
「……流石フランツィスカ様、ここまでやり抜かれるとは……」
「ふ、ふふ……これもまた、エルタウルスの誇り、私の誇りゆえですわ……」
メルツェデスの賞賛の言葉に、フランツィスカは汗と泥にまみれた顔を輝かせる。
互いにふっと微笑みを交わして……ふらり、フランツィスカの身体が揺らいだ。
「ハンナ」
「はい、お嬢様」
メルツェデスの言葉が終わらぬ内に、ハンナがフランツィスカの身体を抱き留め、そのまま流れるような動きで横抱きに抱き上げる。
「お見事でございました、エルタウルス様」
そう労りの言葉をかけると、木陰に用意した、既に多くの令嬢達が座り込んだり横たわったりしている休憩所へと運び、横たわらせた。
すぐに令嬢達の世話をしていたメイド達がやってきて、フランツィスカに塩と砂糖を少し混ぜた水を飲ませていく。
見届けたメルツェデスは、ふぅ、と満足げな吐息を吐き出した。
思えば、最初の脱落者が出たのが30分過ぎ。この時点で、予想を大きく上回っていた。
背筋を伸ばした姿勢を維持させながらの早歩きを延々続けさせる、という地味な稽古。
走らせるのは令嬢達の膝に悪いだろうと判断してのその訓練は、それこそ地味で、しかし時間が経てば経つ程に過酷になっていく。
存外、人間は正しく歩く訓練はしていないし、そのための筋肉もついていないのだ。
10分も続ければ息が上がり、15分もすれば表情が歪んでくる。
それでも、誰も止めようとはしなかった。
流石に30分も経てば肉体的な限界を迎えて、うずくまる令嬢達が出始めたのは仕方あるまい。
そういった令嬢達は、ハンナを始めとするプレヴァルゴに染まったメイド達が即座に救護していく。
逆に言えば、彼女達は精神的には負けなかった、投げ出さなかったのだ。
1時間経った後の休憩時間中にメルツェデスは、救護された令嬢達に声を掛けていった。
「皆様、とてもガッツがおありですわ。これならば、すぐにもっと動けるようになります」
心からそう告げるメルツェデスの笑顔を見て、誇らしげな顔で涙ぐむ令嬢達も多かったことが、メルツェデスとしても嬉しい。
今日はやり遂げられなかった彼女達も、いつかやり遂げられるようになる。
彼女達の顔を見れば、そう確信できたから。
休憩の後は延々と木剣での素振り。メルツェデスはさらに重い鉄製の剣を振っていたが。
疲労が抜けきらないところに慣れないそれは、さすがにきつかったのだろう。
程なくして次々と脱落。その中でもモニカとエミリーは健闘し、そしてフランツィスカは最後に残った一人となった。
それ自体は予想通りだったが、2時間も運動しきるとは流石に予想以上と言わざるを得ない。
同時に、立てた仮説はそこまで的外れでもなかったのだろう、とも思う。
「皆様、本日は誠にお疲れ様でした。
今日の夜、あるいは明日になって筋肉痛が出てくるかと思います。
その際は回復魔法の使える方にお願いする、あるいは得意な方にマッサージをしてもらうようにしてください」
魔法のあるこの世界では、治癒魔法もそれなりに発達していた。
そのため、筋肉痛も魔法で治せなくはないのだ。令嬢のそれを治すなど、滅多にあることではないだろうが。
「それから、汗を流されたい方は、大浴場を開放いたしますので、お使いください。
お付きのメイドがいらっしゃればその方も一緒に入っていただけますし、いらっしゃらない方は、おっしゃっていただければ当家のメイドがお世話させていただきます」
プレヴァルゴ邸の訓練場では、中隊規模の訓練も行われることがある。
そのため、大人数が一度に汗を流せるような大浴場が備わっていた。
近世的なこの国だが、ゲーム的なご都合主義か魔法のおかげか、実は上下水道はかなり発達している。
その上魔法を燃料ともできるため、上流家庭では家風呂を持っているところが少なくない。
上級貴族に位置するプレヴァルゴであれば尚更、というところだろう。
それを聞いていた令嬢達は、一瞬互いの顔を見合わせた。
と、すっと手を挙げた令嬢が一人。フランツィスカである。
「あの。それは、メルツェデス様もお入りになるのですか?」
「え、わたくしですか? そうですわね、汗もかいておりますし、折角の機会ですし」
「入ります。お言葉に甘えさせていただきます」
答えるメルツェデスの言葉に、若干食い気味にフランツィスカが答える。
それを皮切りに、ほとんど全ての令嬢達が大浴場を使いたいと申し出てきた。
屈強な成人男性数十人が使っても問題ない大浴場だ、小柄な令嬢達が使うなど全く問題無い。
「それでは、皆さん一緒に入りましょうか」
「「はいっ!」」
メルツェデスの呼びかけに、綺麗に揃った返事が返ってきた。




