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秘めていた本領。

「さて、これで当面の問題は何とかなったとして。

 まずはロジーネさんに楽曲を用意してもらわないといけないのだけれど……」


 仕切り直し、とばかりに言ったところで、エレーナは言葉を切る。

 話は纏まったが、しかし豊穣祭までは一ヶ月あまりの期間しかない。

 出来る限り速やかに楽曲を用意してもらわねば、いくら極めて学習能力の高い彼女らであっても、仕上げは間に合わない。

 その懸念もあって、若干不安になったのだが。


「あ、それでしたら、未発表の曲がいくつかありまして……その中で、その、こう……使えそうなのが一つありますから、それをアレンジする形でいかがでしょう」


 少しばかり照れたような顔で小さく手を挙げるロジーネへと、皆の視線が集中する。

 彼女を推挙したメルツェデスですら驚いている中、ただ一人、ユリアーナだけが納得顔を見せていた。


「以前からロジーネは、こつこつと作品を作っていたのですが……中にはお父上であらせられるモンテギオ子爵様にはとてもお見せできないようなものもございまして。

 例えば伝統的なものから大きく外れた、庶民向けの軽快なものですとか」


 そう説明されれば、メルツェデス達も納得せざるを得ない。

 保守的な交響曲の権威、むしろ今となっては権化とすら言えるモンテギオ子爵が、そこから大きく外れたものなど認めるわけがない。

 例え、そのせいで今、小さく纏まりすぎていることになっていても。

 恐らくはロジーネもそれを感じ取っていて、だから自作は外れたものを作っていたのだろう。

 例えそれが、発表の場を得られなくとも。


「……なるほど、だからそれらは今まで発表されてなくて、今この機会に蔵出ししようと」

「そうなりますね。ただでさえ親に楯突こうというのですから、それくらい思い切ってもよろしいのではないかと……」

「思い切りは大事。それはそれとして、どうしてそんなことをユリアーナ嬢が知っているの?」


 唐突なヘルミーナの問いに、それまでにこやかに答えていたユリアーナの動きが止まった。

 見れば、ロジーネもまた予想外の問いに固まってしまっている。

 なるほど、これは……と察しの良い面々は色々と察したりしながら。

 なんとか立ち直ったらしいユリアーナが、こほん、と小さく咳払いをした。


「その、私とロジーネは、ある意味幼なじみなのです。幼い頃から、演奏会などでよく会っていましたから。

 家の関係が関係なので、友達付き合い、という形ではありませんでしたけれど」

「その割には、随分と親しげだし、お互いのことをよくわかっているみたいだけれど」

「ミーナ、そこまでよ。気になるのはわかるけど、あまり詮索するものではないし、何より時間が勿体ないわ」


 更にグイグイ行こうとしたヘルミーナの首根っこを掴みながら、エレーナが待ったを掛ける。

 する方もされる方も、とても令嬢らしくない有様なのだが……何故かこの二人にはぴったり当てはまっているような気がして、呆気に取られていたユリアーナとロジーネは、幾度か瞬きをした後、思わずくすくすと笑い出してしまった。


 どこか肩の力が抜けたかのように見えるその様子に、『まさか緊張をほぐすため?』とエレーナは思い至り。

 首を掴まれた猫のように大人しくしていながらも不満たらたらにむくれた顔をしているヘルミーナを見て、『いやそれはない』と思い直す。

 ただそれでも、今この時においては、ありがたいことではあったのだが。


「作曲の時にはピアノを使ったのかしら。ロジーネさんが考えている曲がどんなものか、触りだけでも聞ければ嬉しいのだけれど」

「確かに、知りもしないでその曲に決めるわけにもいかないわね」


 そう言いながらメルツェデスがピアノを指し示せば、隣でフランツィスカがうんうんと頷く。

 もちろんロジーネの腕とセンスを信じていないわけではないが、それでも群舞に合うかなどを確認しないわけにはいかない。

 そしてロジーネもそれは納得したのか、躊躇うこと無く頷いて。


「もちろんです、プレヴァルゴ様。では、少し失礼いたしまして……」


 淀みない足取りでピアノへと向かえば、椅子へと腰を下ろす。

 まずその一連の動きそのものが流麗で、音楽的ですらあった。

 確かに彼女はピアノに親しみ、それを使って人に聞かせることにも慣れていると、それだけでもわかってしまう所作。

 そっと指を鍵盤に沿わせる、それだけでゾクリと、フランツィスカやエレーナの背筋に何かが走る。

 

「ちょっと、これって……」

「しっ、静かにしていた方がいいわ……」


 小さくエレーナとフランツィスカが言葉を交わして。

 それが終わるのを待っていたかのように、ロジーネの指が動いた。


 とーん、と軽やかに響く最初の一音。もう、それだけで、引き込まれた。

 彼女達とて令嬢、嗜みとして楽器もある程度は触っている。

 だが、自分達が今まで出していた音とは明らかに違う音が、音楽室の使い込まれたピアノから響いていた。


 次から次へと流れるように現れるのに、その一音一音がハッキリと聞き取れる。

 そしてその音そのものが鮮やかで耳に心地よく、奏でられるイメージが一層はっきりと脳裏に描かれた。

 

 それは、芽生え。

 色づいていく世界に生まれた、小さな息吹。

 吹けば飛びそうなそれが、しなやかに時を過ごし生き抜いていく。

 時に辛いこともありながら、ついに辿り着いたクライマックス。

 ぱっと鮮やかに咲き誇る無垢な花が、そこにあった。

 解き放たれた喜びを高らかに歌い上げて……そして、それが永遠に続いていくかのように、静かに、ゆっくりと終わりを迎え。


 最後の一音が響いた後、音楽室には静寂が訪れた。


「……いかがだったでしょうか」


 額に汗を滲ませながらロジーネが問いかければ、硬直していたメルツェデス達は、はっと我に返り。

 何かを考えたような暇もなく、その手を打ち合わせていた。

 人数こそ少ないものの、メルツェデスを筆頭にフィジカルお化けが四人もいるのだ、その拍手の迫力は相当なもの。

 先程まで圧倒するような演奏を見せていたロジーネがたじろぐ程に。

 それでも、その熱狂的とも言える反応に、彼女は照れたような笑いを見せる。


「あの、ありがとうございます。今のを、皆様の群舞やユリアーナの歌唱に合わせるようアレンジしようかな、と」

「そうね、今の曲であれば豊穣祭にもふさわしいと思うし、群舞のイメージにも合いやすいと思うわ」


 ロジーネの言葉に、一足早く立ち直ったらしいメルツェデスが賛意を示す。

 それから、はたと何かに気付いた顔になり。


「以前から考えていた、ということは、歌詞もある程度揃っていたりします?」

「はい、その……ええと。歌を付けること前提で構想していましたので……」

 

 問われて。ちらり、ロジーネは一瞬視線をユリアーナへと向けた。

 もうその仕草だけで色々とわかってしまい、メルツェデス達の表情はどこか暖かいものになってしまう。

 

 しかしそうなってくると、主役はユリアーナとなるわけで。


「念のため、ユリアーナさんの声も確かめさせてもらえるかしら」

「はい、もちろんです」


 エレーナが問いかければ、ユリアーナもまた、迷うこと無く頷いて見せた。

 あの演奏の後で、この即答。もうこれだけでわかったような気もするが、やはり念には念を入れなければ。

 何しろ大人の、大物音楽家達にケンカを売ろうというのだから。


 そして進み出たユリアーナへと、いまだピアノの前に座ったままのロジーネが声を掛ける。


「じゃあ、ウォーミングアップがてらに精霊賛歌の1番いってみる?」

「そうね、じゃあ伴奏お願いしてもいいかしら」

「うん、もちろん」


 簡単なやりとりだけで意思疎通を完結させ、二人は視線を交わらせる。

 すう、と文字通り呼吸を合わせるかのように息を吸い、吐き出すタイミングでロジーネの前奏が始まる。

 比較的短いそれが終われば、ついにユリアーナが口を開いて。


 その瞬間に訪れる、花が咲いたイメージ。

 伸びやかで張りがあり、それでいて優しく清らかな声。

 鈴を転がすような、とはよく言われる例えだが、これはそんな儚げなものでなく。

 繊細さもありながら、力強さも兼ね備え。相反する要素が何故か同居し、それが得も言われぬ魅力を纏い響き渡る。

 

 きっとこの場に精霊がいたら、聞き惚れていたであろう。

 そう思ってしまう程、その歌声には精霊達への感謝と尊敬の念が込められていた。

 優れた声の質とそれを活かす技量、だけではない。

 声に感情を込め、描きたい世界を描き出すだけの表現力が、ユリアーナにはあった。


 存分にその力を発揮した後に、賛歌は終わりを迎え。

 出来はどうだったか、とユリアーナが問おうとしたところを制するかのように、不躾な声が響く。


「これ、私要らなく無い? むしろ邪魔じゃない? っていうか本気で遠慮したい」


 詠唱を研究するが故に、ユリアーナの声が表現したものを理解し、それゆえに逃げだそうとするヘルミーナ。

 それも無理からぬこと、と思いはするけれども、逃がすわけにはいかない。


「むしろミーナだけでなく、モニカやエミリーにも協力してもらって、バックコーラスを充実させないといけないレベルだと思うわ」


 首を振りながらフランツィスカが挙げたのは、侯爵令嬢の二人。

 エレーナよりも劣りはするが、それでも普通の令嬢からは飛び抜けた身体能力を見せる二人をも動員して、支えねばならない。

 それだけの声を、ユリアーナは見せた。


「……はい? ……えっと、あの、ということは……侯爵令嬢様を、三人も……?」

「ええ、あなたのバックコーラスにつけます。彼女達も納得すると思うわ」


 真顔でフランツィスカが言えば、ひぃ、と小さな悲鳴を上げてユリアーナが震え上がり。

 それに紛れて逃げようとしたヘルミーナが、今度はフランツィスカに掴まれ、逃げ場をなくす。


「いや、私は出来れば遠慮したいのだけど。イヤだってことじゃなく、恐れ多い」

「だめよミーナ、あなたも逃がすわけにはいかないわ。少しでも多くの土台が必要なのよ」


 強烈で鮮烈なユリアーナの歌声。

 一人でメインを張れるだけの声を持つユリアーナを最大限に活かすためには、下支えとも言えるサブコーラスにも相当な力が必要となる。

 そしてそれが出来る声量を持つのは、そして期限までに仕上げられるのは、彼女達しかいない。


「真面目にやってくれたら、カーシャさんのお店で甘い物食べ放題。どう?」

「のった」


 フランツィスカの出した餌に、あっさりぱっくり、ヘルミーナは食いついた。

 これで、当面の問題はクリアしたと言って良いだろう。


「これは……本番に向けて楽しくなってまいりましたわね?」

「あの……メルツェデス様、お願いですから、自重はしてください……」


 盛り上がる青春的熱量に、爛々とメルツェデスは目を輝かせ。

 心はいまだ小市民なクララが、そっと、恐らく刺さらないであろう釘を刺そうと試みたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] それはない(ミーナ様を見つめながら) まさか、まさかの脅威の才能。音楽の歴史を塗り替える可能性がここに…というか、メル様が道さえ開いておけば、本当に自分たちで歩いて行けそうな天才だったんで…
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