備えあれば。
「皆様、この度は父がご迷惑をおかけ致しまして、誠に申し訳ございません……」
翌日。ユリアーナはメルツェデス達を前にして頭を下げていた。
授業も終わった後の音楽室、関係者一同が集まったところで。
しずしずと頭を下げているユリアーナだが、内心では一杯一杯である。
同一派閥のトップであるエレーナとこうして会うだけでも滅多にないことだというのに、対立派閥である国王派筆頭公爵令嬢、更には侯爵令嬢、ほとんど侯爵と同格と扱われている伯爵家の令嬢までいるのだから。
そんなユリアーナの心情を知ってか知らずか……いや、恐らく察しているからこそ、彼女を取り巻く面々の表情は優しい。
……一人、ヘルミーナだけはいつもの表情に乏しい顔だが。
「大丈夫ですよ。それに、まだ直接的な被害というか、問題は発生していないのですから、どうかお気になさらず」
答えを返したのは、国王派筆頭であるエルタウルス公爵家令嬢、フランツィスカ。
どちらが先に声を掛けるか、エレーナと視線で会話をしてからの答えに、ほっとユリアーナの肩から力が抜ける。
ある程度ロジーネから人柄などは聞いていたから、きっと大丈夫だとは思っていた。
だが、実際に会ってみれば、やはり気圧されるものも感じてしまう。
この国の頂点に近い位置にいる公爵家の令嬢と、それぞれの分野で才能を花開かせている侯爵令嬢と伯爵令嬢。
同じ人間だというのに、そして別段威圧するような空気もないというのに、何か自分とは違う空気を感じてしまう。
そこに元平民の聖女候補な男爵令嬢が居てくれるのが、ある意味ありがたくはあった。
もっとも彼女は彼女で、また別の意味で触れがたいものを感じさせてはいるのだが。
だからといって空気に飲まれてしまっては、言うべきことも言えないし、彼女の決意も空回りに終わってしまう。
「ありがとうございます、エルタウルス様。温かいお言葉に、感謝いたします」
下げている頭を上げることも出来ずというか、せずというか。ともかく頭を下げたままユリアーナは謝辞を口にする。
こうは言ってくれているが、彼女とロジーネの父親達がおかしなことになっていなければ、こうしてフランツィスカ達が歌の練習をする必要などはなかったのだから。
だから申し訳無いとも思うのだが……同時に、ありがたくもあった。
彼女では。あるいは、ロジーネと二人では至れない打開策を打ち出してくれたのだから。
まだ、それが上手くいくかどうかはわからないけれども。
「まあ、まだお礼を言ってもらう段階ではないのだけれど。本番で盛大に失敗する可能性はまだあるのだし」
「ミーナ、それは今ここで言うことじゃないわよ……」
色々とぶち壊しなことを言うヘルミーナへと、額を指で押さえて沈鬱な表情を作りながらエレーナがツッコミを入れる。
その光景にユリアーナは思わず目を瞠りながら幾度か瞬きをして。
それから、なるほど、と腑に落ちた気持ちになる。
校内でまことしやかに言われていた噂は、本当だったのだ。そのことに覚えるのは、安堵。
彼女からすれば、派閥の対立などない世界で好きなように歌えるのが一番なのだから。
「その可能性を出来る限りなくすために、これから練習していくんでしょう?
それに大丈夫よ、ここに集まったみんななら、きっと上手く成し遂げられるわ」
メルツェデスがそう言えば、その場にいた全員が頷いて返す。初めて参加したユリアーナですら。
本当に上手くいく保証などどこにもないのだが、彼女が言えば何故か大丈夫な気がしてくる。
これが生まれ持ったカリスマ性というものなのだろうか、などという言葉がユリアーナとロジーネの脳裏をよぎった。
いや、メルツェデスだけでなく、フランツィスカやエレーナの言葉にも感じる、抗いがたい何か。
上に立つ人間とはこういうものか、と今更ながらに思う。
「その『みんな』の中に、私は入れないで欲しい」
「まだそんなこと言ってるの、往生際が悪いわよ?」
小さく呟きながらそっと距離を取ろうとするヘルミーナの首根っこを、がっとエレーナが掴む。
リヒターを『もやし』などというヘルミーナだが、彼女自身はそれ以上に虚弱な身体。
当然エレーナの腕から逃れることは出来ず、ぷらーんと捕獲された猫のように抵抗を諦めていた。
そんなコミカルなやりとりに……緊張していたユリアーナは、思わず笑ってしまう。
「ふ、ふふ、そうですね……皆様とでしたら、きっと上手くやれるのだろうと思います。例え……」
気が緩んだせいだろうか、余計なことまで口走りそうになり、ユリアーナは手で口を押さえた。
そっと伺うように上目遣いで周囲を見れば……彼女達の表情を見るに、どうやら誤魔化されてはくれないらしい。
「そうね、例えキャプラン子爵、そしてモンテギオ子爵と対立することになったとしても」
「何なら、お二人とも引きずり下ろすくらいのつもりだしねぇ」
真面目な顔でフランツィスカが言えば、続いたメルツェデスはむしろ楽しげだ。
その落ち着き払った様子に、エレーナはまさか、と顔を引きつらせ。
「ね、ねえ、メル。あなたまさか、最初からお二人を……」
「エレン、いくらわたくしでも、流石に最初からそんなことは狙わないわよ?」
エレーナの問いに、メルツェデスは何でも無いと言わんばかりの笑顔でそう答える。
だが、エレーナは気を緩めない。当たり前の顔をして、とんでもないことをやらかすのがメルツェデスという女。
それは、今までの付き合いでいやというほど味わってきたのだから。
だから。
「ただ、結果としてそうなるかも知れないとは思っていたし、そうなったら叩き潰そうとは思っていたけれど」
「言い方! っていうかむしろそっちの方が悪いわよ!?」
メルツェデスがさも当然のような顔でとんでもないことを言い出したところに、ツッコミを入れることが出来た。出来てしまった。
これも付き合いの長さ故、と思えば嬉しくもあり、悲しくもあり。
ただ、まあ。ツッコミを入れながらも、どこか痛快な気分があるのも否定出来ないのだが。
「まあその、流石に叩き潰すとかは言い過ぎとしても……対立することになって、万が一勘当とか言い出しても大丈夫だから、そこは安心して頂戴ね?」
エレーナがメルツェデスへとツッコミを入れている横で、こほん、と小さく咳払いをしたフランツィスカが不自然な程に整った、整いすぎた完璧な微笑みでユリアーナとロジーネへ話しかける。
その言い知れない圧に、二人揃ってコクコクと頷いてしまったのも、また仕方の無いところ。
つまりフランツィスカもメルツェデスも、二人の子爵に対して腹を立てているのだ。
貴族としての責務。娘たちの将来と、年頃の少女としての感情。
そのいずれをも、彼ら二人は蔑ろにしているのだから。
「むしろ勘当とか言い出した方が楽、まであるわね。養子縁組をする理由の一つに出来るし」
「……はい? 養子縁組、ですか……?」
思わぬ言葉に、ロジーネもユリアーナもぱちくりと目を瞬かせる。
だが、そんな二人へとエレーナはさも当然のような顔で軽く頷いて返した。
「ええ。私もお二人の腕は多少知っているけれど、迎え入れたいと思う人はきっと現れると思うのよ。
豊穣祭で、その腕をいかんなく発揮すれば、だけれど」
「しかし、勘当されてしまえば平民扱いとなるわけですから、問題が発生しませんか?
私たちはその、流石にジタサリャス様程の特例扱いはされないでしょうし」
二人が抱いていた懸念をロジーネが口にすれば、フランツィスカはにっこりと良い笑顔を見せる。
何故か、ロジーネとユリアーナの背筋は伸びてしまう類のものだったが。
「そこがさっき言った、その方が楽、という話なのよ。
勘当と口で言うのは簡単だけど、貴族籍のはく奪って基本的には大事だから、すぐには受理されず、数日から一週間、長い時には一か月ほどかけて勘当事由の調査が必要になるわ。
ところが、養子縁組はそこまで時間がかからない。この時間差を利用して縁組を済ませてしまうという手があるの」
「そ、そんな手段が……というか、よくご存じでしたね、そんなこと……って、あ、まさか」
問いかけようとして、ロジーネがはっと気づく。
そんなことに気づく、ということは。
「そう、たまにあることなのよ。貴族の子女を保護しないといけないケースが、ね。
だから、ろくな理由もなく勘当なんて言い出す親から保護する手段としての縁組だと、更に早く受理されたりするのよね」
「これは残念ながら貴族派でもあることだから、私も知ってるのよね……」
フランツィスカが頷けば、エレーナも沈鬱な顔で続ける。
そんな二人の解説に、なるほどなるほど、とロジーネとユリアーナは頷き。
「……ということは」
「ええ、お二人が豊穣祭で共演して、子爵様達が万が一勘当だとか言い出したら、私達がなんとでもしてあげる。
だから安心して、歌に集中してくれたらいいわ」
公爵令嬢二人が太鼓判を押すのだから、本当になんとでもなってしまうのだろう。
もちろん好き好んで家とたもとを分かちたくはないが……最悪の事態は避けられる。
それは、ロジーネとユリアーナにとっては何よりの福音で
「「はい、ありがとうございます!」」
だから二人は、吹っ切れたような笑顔で答えたのだった。




