祭るもの、祭られるもの。
そんな、少しばかり予想外な一悶着があった演奏会も終わり、休日を一日挟んで、また学園が始まれば、いつも通りの日常が始まる。
「おはよう、メル、フラン、ミーナ。モンテギオ様の演奏会はどうだったの? ……って、その顔を見ればなんとなくわかるわね……」
登校してきたメルツェデスとフランツィスカ、そしてヘルミーナへとエレーナが声を掛け。
二人が見せた表情に、色々察したのか、一人納得した顔になる。
「え、あの、どういうことですか??」
ジタサリャス男爵の養子となってまだ一年経つか経たないかなクララだけが状況を飲み込めず、え、え、と言わんばかりに居合わせた面々をグルグルと見回すけれども。
いくらなんでも率直に言ってしまえば角が立つのはわかっているので、曖昧な笑みを返すばかり。
ただ一人を除いて。
「恐ろしいまでに計算され尽くされた構造で、多重詠唱の研究においてとても参考になった。
……ただ、計算されすぎていたというか、計算しかなかったというか」
「ミーナ……その分析は流石なのだけど、もうちょっとこう、何と言うか手心を、ね……?」
淡々と告げるヘルミーナへと、額に手を当てながらフランツィスカが窘めるようなことを言う。
言うのだが。彼女とて、ヘルミーナの意見を否定はしていなかったりするのだが。
「計算……な、なんだか、音楽の感想とは思えませんね??」
驚きと困惑が半々な顔で、クララが躊躇いがちに言うけれども。
誰も、それに対して否定の声を上げなかった。
「確かに、そうねぇ。言われてみれば……」
ふと、何かに思い至った様子のメルツェデスが言葉を零す。
モンテギオ子爵の音楽に感じていた物足りなさ、その正体とはもしや。
それを口にしていいものかどうか、迷った一瞬。
そこに、声が掛けられた。
「皆様、ごきげんよう。フランツィスカ様、ヘルミーナ様、メルツェデス様、先日はお越しくださいまして、ありがとうございました」
声の主は、モンテギオ子爵家の令嬢、ロジーネ。
まずは演奏会に来ていた三人へと謝辞を述べながら頭を下げ。
それから、エレーナの方へと向き直り、再度頭を下げる。
「エレーナ様、クララ様、ご歓談中に割り込んでしまい、申し訳ございません」
「いえ、謝るようなことではなくってよ。というか、丁度その演奏会の話をしていたところでしたから」
心の底から申し訳なさそうなロジーネへと、エレーナは含んだところもなく首を振って見せる。
立場を笠に着た居丈高な素振りなど全く無く、むしろ気安いとすら言えるような言動。
だというのに、かえってその器が大きく感じてしまうのは何故だろうか。
恐らくゲーム通りのエレーナであれば得ることのなかったであろうその器を見て、ただ一人それを知るメルツェデスは嬉しげに目を細める。
きっと、ゲームの世界よりも今の彼女は素敵なはず。それが、親友としてとても嬉しい。
まあ、エレーナがそうなった最大の要因はそれこそメルツェデスなのだが……悲しいかな、本人には全くその自覚が無い。
そんな朴念仁の視線の先で、ロジーネは困ったような笑みを見せていた。
「それは、何とも、こう……ありがたくもあり、お恥ずかしくもあり……」
謙遜、というには随分と縮こまるロジーネ。
さてどう声をかけたものか、と一堂が思案しようとしていた、のだが。
「ああ、やっぱりあの後一悶着あったの? 遠くでキャプラン子爵とモンテギオ子爵が言い合う声が聞こえた気がしたのだけど」
「ちょっとミーナ! そういうことは聞こえたとしても伏せておくべきことよ!」
ばっさりと言うヘルミーナへと、エレーナが慌てて言う。
普段ならば同じく抑え役に回るはずのフランツィスカが一歩出遅れたのは、その場に居合わせて、同じ事を思ったからだろうか。
もちろん、普通であれば音響設備の整ったホールの奥にある控え室から、声が聞こえてくることなどありえない。
しかし残念なことに、あの時居合わせた四人は、それぞれに普通ではなかった。
特にメルツェデスなどは、4km離れたところで針が落ちる音すら聞き分けるのではないか、と冗談で言われる程である。
それでも流石に、会話の内容まではわからなかったが。
「あ、いえ、実際その通りでしたし……その、皆様にお声がけしたのも、それが原因でして」
口さがないヘルミーナを咎めるでもなく。普段の快活さはどこへやら、何とも奥歯に物が挟まったように歯切れが悪いロジーネ。
その様子に、メルツェデスは何やら嫌な胸騒ぎを覚えてしまうのだが……こんな時の悪い予感ほど、よく当たるものだったりするものだ。
「いつものように大げんか、で終われば良かったのですが……いえ、あまり良くはないのですが……その、今回は色々と拗れてしまいまして……。
キャプラン子爵様が当家と断交、父が音楽監修を務める豊穣祭にも参加しない、とまでおっしゃってしまわれたのです」
「なんですって? キャプラン子爵様が、豊穣祭に参加しない、と?」
驚きの声を上げたのはエレーナだが、フランツィスカもメルツェデスも、同じく驚いた顔になっていた。
事情がよくわからないクララが何事かとあわあわ左右を慌ただしく見やり、我関せずとヘルミーナはつまらなそうに黙っている。
クララはともかく、貴族令嬢のヘルミーナがそれなのは、かなり問題なのだが。
「はい、当家が関与する全てのイベント、祭事に至るまで参加なさらない、と。
父も父でへそを曲げて、それで構わない、こちらからお断りだとまで言い出す始末でして……」
「モンテギオ様まで? あの方だって豊穣祭の意義も、声楽部門の重要さもわかっているでしょうに、どうしてそんなことに?」
「申し訳ないのですが、それが全くわからないので、困っているのです……今までも色々言い合いはしていましたが、こんな国家を揺るがしかねないような事は控えていたというのに」
フランツィスカが問えば、苦しげにロジーネは答える。
どうにも沈鬱な空気の中、一人取り残されていたクララが、そっとエレーナの袖を引いた。
「あの、エレーナ様……何がどう大事なのか、よくわからないのですが……」
「ああ、そうね、クララにはまだ説明していなかったものね。……一言で言えば、来年は前代未聞の大凶作になりかねない状況になっているのよ」
「なるほど。……なるほど? え、はい?? だ、大凶作ですか!? なんでそこまでの大事に!?」
もちろんクララとて豊穣祭の意義はわかっているし、だからこそダンスの練習をあれだけやっていた。
だが、そこまで大きな影響があるとは、流石にわかっていなかったのだ。
「どうしてかは、精霊様達にお聞きしないとわからないけれど……恐らく、祈りのようなものだと思うのよ。そしてそれは、音楽と歌とが合わさって初めて機能する、と」
いくらクララよりも知っているとは言え、エレーナとて知らないことくらいはある。
それでも、こうだろうという仮説は聞き知っており。
「なっ……ということは……ええ!? お、大事じゃないですか!?」
つまり、豊穣祭の意義を根幹から揺るがす事態である、とクララにも伝わって。
朝の爽やかな空気の中、彼女の声が大きく響いた。




