きっと、正当な評価。
※2/13(日)の19:30ごろにも一度投稿しておりますので、そちらをまずはお読みいただけたらと思います。
そんなちょっとした……トラブルとも言えないほどのことがありながらも、入場は続いていって。
「メル、先に来ていたのね」
そうこうしている内に、フランツィスカもやってきた。
こういう私的な演奏会などではあまり厳密ではないが、基本的に爵位が上の家ほど後からゆっくりとやってくるもので、それもあってフランツィスカとエルタウルス公爵家ご一同は。
……まあ、中にはわざと遅刻ギリギリにやってきて、自分達のために数分開始を遅れさせ、そんな忖度をされることで自尊心を満たす貴族もいるらしいのだが。
ともあれ居合わせた親友二人は、互いに軽く手を振り合って挨拶し。
「これはこれは、閣下。今宵は皆様でお越しなのですね」
「やあ、それはガイウスもじゃないかい?」
その横で、当主同士が砕けた様子で言葉を交わしていた。
元々国王派であり、方や政治の主導権を握るエルタウルス公爵、こなた軍事のトップにあるガイウスとあって、王宮では幾度もやりあった仲である。
いわば、政治的に強敵と書いて『とも』と呼ぶ関係。
仕事場を離れれば、こうして腹に一物持つこともなく会話も出来るというものだ。
こうして和やかに……端から見れば政治と軍事のトップ同士が会談しているエントランスロビーに、もう一組視線を掠いそうな面々がやってきた。
「良い加減諦めろ、お前だって納得はしたろうが」
「したけど、やはり抵抗感は残る。この腕だってメルに比べたらスッカスカだし」
「いやそれは比べる相手が悪いっていうか比べものにならないっていうかだなぁ……」
流石に普段よりは声を抑えているもののリヒターに対してギャイギャイと言っているヘルミーナが、それでも一応エスコートされる形で入ってくる。
それに続く形で、二人のやり取りをどこか楽しげに見やっているエデリブラ公爵と無表情なピスケシオス侯爵、その奥方達も入ってきた。
婚約関係にある大物二家族が同時に入場、とあってモンテギオ子爵夫人とその娘ロジーネは二人揃って応対に向かうのも当然のところ。
とはいえ、両家ともに幾度かモンテギオ家の演奏会には来ているらしく、挨拶も手続きもスムーズなものだ。
「これはこれは、エルタウルス閣下。プレヴァルゴ殿も」
「数日ぶりですかな、エデリブラ閣下、ピスケシオス殿も。……ご両家はもちろんですが、ご子息ご令嬢も相変わらず仲がよろしいようで」
にこやかな笑顔でエルタウルス公爵が言えば、何か言いそうになったヘルミーナの口を、慣れた手つきでリヒターが押さえ込む。
メルツェデス達と交流を深めるに連れて社交の場にも出るようになってきたヘルミーナだが、相変わらず口さがない物言いが多く、いくら侯爵家のご令嬢といえども、あるいはむしろそれだからこそ、行き過ぎた失言はトラブルの元となる。
そのためリヒターは両家の当主から、いざという時には強引に口元を押さえ込むという少々はしたない行為の許可を得ていた。
それが、今まさにこの場で発動された。それだけのことである。この二人に慣れている人間からすれば。
よく知らない面々が何やらざわついてはいるが、大体が子爵から下なので、政局に大きな問題はない。
ないったらないのである。
「だから、大人しくしてろっての。音階の精緻な構成といえばモンテギオ様が当代一なんだ、お前の研究の参考にこれ以上はないと思うぞ?」
「それはわかってる、けどそこじゃない。もやし野郎のもやしにつかまってエスコートされるのが不満なだけ」
「お前なぁ……」
口の減らないヘルミーナに、呆れたような声を返した後、リヒターは、数秒考えて。
「……なら、僕が鍛えて腕をたくましくしたら、文句は無いのか?」
「は? え、いや、何急に。まるで……ううん、そういう問題じゃなく……」
真面目な声で問われて、ヘルミーナは面食らう。
そんなことを聞かれて、あれこれ考えて。
結局言いたいことが纏まらず、ごにょごにょと言葉を濁してしまう。
「……珍しいものを見たわ」
「そうね、ああいうミーナは新鮮だけれど……あれはあれで可愛いわね」
などと親友二人が言い合っているけれど、若干パニックに陥っているヘルミーナの耳には届かない。
そうこうしている内に、時間と相成って、国王派の中でもトップにある四家は、そろって会場へと入ったのだった。
こうして始まった演奏会だが、人によっては期待通りであり、あるいは予想通りであった。
指揮者であるモンテギオ子爵が指揮棒を振るえば、重く暗い、コントラバスなど低音楽器が奏でる冷たいとすら思える音から始まり、しかしそれは、すぐに解けていく。
軽やかで彩りに満ちた、春を思わせる音の構成。特にフルートなど金管の響きが瑞々しい。
第二楽章に入れば、夏を思わせる力強い音の数々。
出だしと打って変わった音を響かせるコントラバス、チューバにユーフォニウム。
それを土台として軽やかに奏でられるヴァイオリンやピアノは躍動する生命を感じさせて。
そして第三楽章、実りの秋を思わせる穏やかで豊かな音の構成。
これまでの全ては、この時のためにあったのだと思わせるような、全ての楽器の魅力をふんだんに盛り込んだ音が響く。
その意図するところは明確で、これぞ豊穣祭の前に奏でる楽曲、と言わんばかりのフィナーレを迎える。
そう、明確であった。
良く言えば初心者でもわかりやすい。
悪く言えば、予想通り。
期待通りとも言えはするのだが。そして、確かに1時間以上も聴衆に聞かせきったこと自体は素晴らしいことではあるのだが。
それでも、期待以上、とは言えなかった。
先だってハンナへと愚痴にも似たことを言っていたメルツェデスなどは、如実にそれを感じ取っていた。
そして、この場にはメルツェデスよりも更に敏感にそれを感じ取れる人間がいる。
「……申し訳無い、モンテギオ夫人。控え室に行かせてもらうことは出来ましょうか?」
演奏が終わり、カーテンコールも終わって人々が退出し始めた流れに逆らって、キャプラン子爵がモンテギオ夫人へと話しかけていた。
子爵とは大げんかする間柄だが、夫人に対しては至極紳士的な態度。
ただ……何やら思うところがあるらしい、というのは雰囲気から滲み出ていた。
そんなキャプラン子爵の問いに、夫人は困ったように眉を寄せながらも、こくりと頷いて見せる。
「はい、キャプラン子爵様がそのようにお申し出になられたのならば、お通しするよう言付かっております」
「そうですか、ありがとうございます。それならば話は早い。……あいつめ……」
丁寧な対応に、恭しく頭を下げて礼を言ったキャプラン子爵は。
案内のために夫人が背を向けた途端、目を吊り上がらせた。
その空気は、当然傍で見守っていた娘二人も感じ取って居て。
「……ごめんなさい、ロジーネ。また父が……」
「ううん、それを言うなら、元々の原因はうちの父だもの。あの頑固親父ったら……」
申し訳なさそうに話しかけるユリアーナへと、ロジーネは小さく首を振って応じる。
彼女とて父の才能を受け継ぐと言われる程の能力はあり……だからこそ、キャプラン子爵が何に憤っているのかもわかってしまっていた。
そして、この後どれだけの大げんかが繰り広げられるかも。
こうして会場で聞いていたらよくわかる。
確かにきちんとした演奏だった。フィナーレの直後の拍手も盛大なものだった。
ただ。
ただ……アンコールの声はかからなかった。つまりは、そういうことなのだろう。
ふぅ、と肺にため込んだ息を吐き出した後。
不安げに胸の前で両手を組んだユリアーナへと微笑みかける。
「大丈夫、けんかにはなるだろうけど、いつものことだし大きな騒ぎにはならないよ、きっと」
「……そうだと、いいのだけど……」
ロジーネの言葉に、それでもユリアーナの不安は払拭されず。
払拭できない自分に、ロジーネは歯がゆい思いをしながらも、それを顔には出さない。
胸の前で組まれたユリアーナの手に、そっと自分の手を重ねて。
「きっとそうだよ。頑固親父だけど、だからこそ、法や何かに外れたことはしないはずだから。いざとなったら、私が止めるし、ね?」
「う、うん……だったら、その時は私が父を止めるね?」
ロジーネの言葉に、少しだけ安心したのかユリアーナは少しばかり微笑みを見せて。
多くの聴衆が退出して静けさを取り戻し始めた会場の中、二人で静かに見つめ合っていた。




