退屈、で終わらないかも知れない演奏会。
そして、そんなやり取りがあって、しばらくして。
メルツェデスは、モンテギオ子爵が主催する演奏会へとやってきていた。
「はぁ……まあ、仕方ないわよね」
などと移動中の馬車の中では零していたのだが、いざ降り立てば、その表情は悠然としたもの。
レースやフリルを余り使わない抑えめな真紅のドレスを身に纏いながら、『今夜の演奏が楽しみで仕方ありませんわね』とでも言いたげな顔を作る辺り、色々規格外ではあるものの、やはり彼女も貴族令嬢ということなのだろう。
そして、傍に控えるハンナもまた、あれやこれや思っていても一切表情には出さない。
ちなみに、演奏会はプレヴァルゴ家へと届けられていたため、当主であるガイウスや継嗣のクリストファーも招かれている。
むしろ二人が先に下りて、周囲へと睨みを利かせてからメルツェデスを下ろしたくらいなのだが……不幸にもと言うべきか、それとも彼らの思惑からすれば幸いにしてというべきか、メルツェデスには気付かれなかったようだ。
何しろ夜会服に身を包んでいるにも関わらず、ガイウスとクリストファーは武闘派貴族だからこそ出せる非日常的な……有り体に言えば戦場の空気を纏っている。
その目力に気圧されて目を逸らす男性陣と、凜々しいクリストファーや普段と違ってまさに令嬢と言わんばかりに淑やか……な風を装っているメルツェデスへと熱い視線を向ける女性陣という様相を呈しているのだが、良くも悪くも彼らは慣れっこである。
そしていつものようにガイウスがメルツェデスをエスコートし、クリストファーが少し下がって、護衛騎士かのように周囲へと目を配らせながら会場へと入れば、それに気付いた一人の令嬢がマナー違反ギリギリの速さで足早に歩み寄ってきた。
肩より少しだけ伸びた、貴族令嬢としては短めな髪は明るい茶色。
それでいて装飾も色合いも抑えたものなのは、動きやすさ重視、にも見える。
そしてその醸し出す活発な雰囲気そのままに、その令嬢は声を弾ませた。
「ようこそおこしくださいました、メルツェデス様! ……あっ、申し訳ございませんプレヴァルゴ伯爵様、無作法な真似をいたしまして……」
メルツェデスへと嬉しげに笑いかけた令嬢は、ガイウスに気付くと慌てて足を止め、マナーに則った淑女の礼を取る。
だが、もちろんそんな些細なことを気にするガイウスではなく、軽く手を振ってその意思を伝え。
「いやいや、お気になさらず。モンテギオ嬢ですな、お噂はかねがね。なんでもお父上に恥じない才覚をお持ちだとか」
「はい!? あっ、重ね重ね申し訳ございません! それから、私が父に恥じないなど、そんな……」
どうやら予想外だったらしいガイウスの言葉に、うっかり素が出てしまったようで。
気付いた彼女は、慌ててペコペコと頭を下げ謝罪と、謙遜の言葉を重ねる。
若干のそそっかしさと、それでもそれが不快と思わせない明るさ。
貴族令嬢としては異端といっていい彼女だが……むしろプレヴァルゴ家の面々には好意的に映るようだ。
「ふふ、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ、ロジーネ様。わたくしはもちろんのこと、父も弟も細かなことで揚げ足を取るような真似はいたしませんから」
「そ、そうですか、その、申し訳ございません、ありがとうございます。……メルツェデス様のご家族ですものね、そう思えば……」
メルツェデスがフォローを入れれば、納得、かつ安堵したような顔になる少女。
彼女はメルツェデスの同級生であるロジーネ・モンテギオ。
モンテギオ子爵の娘であり、彼の才能を色濃く受け継ぐと言われる令嬢である。
例えばピアノ演奏であれば、あれだけ才ある貴族子女が集まる学園においても抜きん出て並ぶ者が無い程。
それだけでなく、父同様作曲においても優れたものを見せているという。
「ロジーネ様、今日は受付のお手伝いですか?」
「ええ、父は演奏の準備に掛かりきりですから、母と二人で皆様にご挨拶させていただいております」
見れば、恐らく子爵夫人であろう女性が他の貴族達へと挨拶を行っていた。
相手は上位貴族である侯爵家の人間……恐らく、上位貴族に対しては夫人が、中位から下位に対しては主にロジーネが応対をするようにしているのだろう。
「私的な演奏会とは言え、モンテギオ様のとなると流石に大勢の方がいらっしゃるでしょうから、大変ではございません?」
「お気遣いありがとうございます。確かに少々大変ではありますけど……いつものことですし、今年からは私も手伝えますので、多少はましかと」
周囲を見渡しながらメルツェデスが言えば、ロジーネは気丈な顔でそう答える。
デビュタントを終えた令嬢令息は一応一人前扱いとなり、家の仕事を本格的に手伝うようになるのはなるが、それでもまだ学生とあってあまり重い責任は持たされないし、本人達の気構えも普通はまだまだできていない。
普通は。どこぞの、魔獣達と大乱闘を繰り広げるような令嬢はともかく。
明るく快活に振る舞っているロジーネもまた普通の令嬢ではあるようで、若干の緊張はどうしても滲んでしまうところだろう。
そんなロジーネを見て、メルツェデスは一瞬思案げな顔を作り。
「なるほど、それに今日は国王派のお家がほとんどのようですし」
それから、にんまりとどこか意地の悪い笑みを浮かべながら、その前髪を払ってみせた。
「まして、この『勝手振る舞い』を許されたわたくし、メルツェデス・フォン・プレヴァルゴの学友たるロジーネ様に、妙ないちゃもんを付けるような分別の無い方もいらっしゃいませんでしょうから」
やや顔を上に向け、額の向こう傷が見えやすいようなポーズを決めつつ高笑いの一つも飛ばしてやれば、あっという間に周囲の注目も集まってしまうのだが、当の本人であるメルツェデスはまるで気にした様子が無い。
『あれが話に聞く……』『陛下がお認めになった……デビュタントの時にはよく見ることができなかったが……』などと言ったざわめきも漏れ聞こえるが、それも黙殺。
そんなメルツェデスへと向けられる視線は、好奇と畏怖が入り交じったもの。……若干名、怯えが入った者もいるだろうか。
ただ、いずれにせよ大半の貴族が、彼女に一目置いているということが雰囲気から伝わってきて。
いきなりの高笑いに驚いていたロジーネは、その空気を感じ取って、何故いきなりメルツェデスがそんなことを始めたのか合点がいった。
何しろ普段は気さくで、『天下御免』を振りかざしたことなど見たことがないメルツェデスが、いきなりこれ。
どうしていきなりこれ見よがしに、と思ったのだが、つまりそれは周囲への牽制であり、何よりも『何かあったら力になれるから安心しなさい』と遠回しに伝えてきている、ということなのだろう。
彼女なりの、そして彼女にしか出来ない励ましに、思わずロジーネは笑ってしまう。
「そうですね、頼りにさせていただきます、メルツェデス様」
そう返す彼女の表情は、先程よりもぐっと柔らかくなったようだった。
「ええ、その時はどうぞご遠慮なく。……さて、随分と話し込んでしまいましたわね。わたくし達はこの辺りで……」
と、メルツェデスが話を終えようとしたその時。
入り口の方が少しばかり、ざわりとしたのを感じて、思わず振り返る。
その視線の先には、一人の中年男性。恰幅のいい体型ながら、単に太っているのではなく体幹が鍛えられているのか、ピンと伸びた背筋。その姿には、見覚えがある。
それから、彼の少し後ろからついてくる、サラサラとした長い黒髪をなびかせた少女にも。いや、むしろ彼女の顔はよく知っている、とすら言っても良い。
「あれは……声楽家のキャプラン子爵様? ユリアーナ様もご一緒なのね」
ユリアーナもまた学園における級友であり、であれば入り口がざわついたのにも合点がいく。
キャプラン子爵家は貴族派に属する家で、かつ、声楽を生業とする音楽家の家系。
その上キャプラン子爵は新しい技術手法を取り入れることに熱心とあって、保守的なモンテギオ子爵とは犬猿の仲であることは社交界でも比較的有名であり、その彼がわざわざこの演奏会に来るというのだから、何事かと思いもするだろう。
「……実はキャプラン子爵様、当家の演奏会には度々お越しくださっているのです。
逆に、我が父も招待されて、キャプラン子爵様の発表会に何度も行っておりまして……その度に大げんかをして帰ってくるのですけども」
はふ、とロジーネが小さく溜息を零す。
それから、視線を母であるモンテギオ夫人へと向ければ、心得たとばかりに小さくうなずき、夫人が応対へと向かった。
流石に彼に対しては、ということなのだろう。
「でも、いつもなら、こんなに人が多い時間には入場されないのですけど……珍しいこともあるものです」
若干慌てた足取りで向かう夫人の背中を見ながら、ロジーネがぽつりと零す。
その視線は母を追い、やがて応対されるキャプラン子爵へと辿り着いて。
隣で心細げに佇むユリアーナへと目を留めれば、彼女の視線もロジーネへと向いて。
困ったような苦笑のような微笑みを見せるユリアーナと、気遣わしげに見つめるロジーネの視線が交わることしばし。
やがて挨拶が終わったのか子爵が会場へと向かって歩き出せば、一瞬ユリアーナの視線が揺れて。
それから、小さく頭を下げた後、父の後を追って会場へと入っていった。
 




