深まる芸術の秋。
こうして、タチアナ・コバルチェフ子爵夫人を巡る騒動も一段落し、秋も深まっていって。
豊穣祭まで後一月余りとなった頃。
学園から帰ってきた後プレヴァルゴ邸の自室にて寛いでいたメルツェデスの元へ、ハンナがやってきた。
「お嬢様、モンテギオ子爵様から、演奏会の招待状が届いております」
「あら……モンテギオ様から?」
いつものようにあまり感情が見られないハンナが招待状を差し出せば、それを受け取って。
メルツェデスは、一瞬だけ、眉を寄せた。
当然それは、卓越した動体視力と何よりもメルツェデスへの執着を持つハンナの目に留まり。
それはなんとも珍しい反応だっただけに、ハンナは小首を傾げた。
「あの……モンテギオ子爵様がどうかなさいましたか?」
ハンナが知る限り、モンテギオ子爵はこの国でも最高峰にある作曲家であり、指揮者だ。
そして、ただの武辺者でなく貴族としての教養を修めているメルツェデスもそのことは知っているはず。
実際、去年も彼の演奏会に出席していた。
だというのに、この冴えない表情は。
そんなハンナの疑問に、メルツェデスは苦笑を見せながら答える。
「モンテギオ様ご自身に含むところはないのだけれど……ちょっとこう、ね。興味がそそられないのよ」
「そそられない、ですか?」
思わぬ返答に、ハンナは目をぱちくりと瞬かせた。
モンテギオ子爵の構成する音楽は、豪華でありながら精緻。
計算し尽くした楽曲構成が、えもいわれぬ華やかさを演出しているものだ、と記憶している。
少なくとも、ハンナがメルツェデスに付き添った際に聞いた音楽は、そうだった。
『あれにそそられない、とは……流石お嬢様、耳も肥えていらっしゃる!』などとハンナは内心でメルツェデスを褒めそやしているのだが、表情にはこれっぽっちも出さない。
そして一人で自己完結しそうだったところに、メルツェデスが言葉を返してきた。
「ええ、そそられないのよ。確かにお上手でご立派な楽曲を作ってこられるのだけれど……こう、なんというか……驚きがないのよねぇ」
「そうなのですか? 毎回、巧みな構成をされていると思うのですが……いえ、然程詳しくない私が言うのもなんですけれど」
溜息を吐きながら言う主へと、思わず言い返してしまう。いや、言い返す、というには驚きと困惑の方が強い口調だったが。
メルツェデスの言うことに迎合しない辺り、この二人の関係がただの主従ではない親密さを滲ませているのだが……当事者二人は全く気付いていない。彼女達にとっては、それが当たり前だから。
そして、思わず零れたハンナの歯に衣着せぬ言葉に、メルツェデスは気分を害した様子もなく頷いて見せる。
「ええ、巧みな構成はなさっておられるのよ。けれど、巧みなだけ、というか……想定の範囲内というか。
去年なんかは特にそうだったわ。聞き終えた直後に思ったもの、『ああ、モンテギオ様だ』って」
「……それは、お話を聞くに、褒め言葉ではない、ですよね?」
「ええ、残念ながら、ね。期待されるレベルはちゃんと越えてくるのよ。だけど、それ以上ではない。
安心感はあるけれど、驚きはない……申し訳無いけれど、退屈だ、と思ってしまったのよねぇ……」
戸惑いながらも、ようやっと主が言いたいことが飲み込めたらしいハンナへと、応じるメルツェデスの言葉は辛辣、と言ってもいい程の言葉。
基本的に相手を尊重する言動が多いメルツェデスにしては、この言い方はなんとも珍しい。
「差し出がましいかとは思うのですが……その、何とも手厳しい評価ですね?」
「そうね、自分でもそう思うわ。けれど、何と言うか……もっと出来るはずなのに、小さく纏まってしまっているというか、自分の殻の中に閉じこもってしまっているというか……そういうもどかしさを感じてしまうのよねぇ……」
ハンナの意見はもっともで、メルツェデスもそれは自覚している。
それでも思ってしまうのだ。あなたはこんなものではないはず、と。
前世の知識を思い出したメルツェデスは、音楽なども色々と思い出していた。
流石にそれをそのままこの世界に持ち込むのはどうだろう、と自身が演奏したりだとかはしていないが、聞く側の素養としては機能している。
そんな彼女の耳でも満足するような作品を作る音楽家だったはずなのだ、モンテギオ子爵は。
だというのに、ここ数年の新作は、なんとも心が躍らないものばかり。
何があったのかは知らないが、彼の音楽に対して、メルツェデスは退屈を覚え始めていた。
「だからと言って、無視するわけにもいかないのだけれど。お父様の体裁的にもよろしくないだろうし」
「それは、確かに。モンテギオ子爵様は国王派ですし」
困り顔のメルツェデスへと、ハンナも若干眉を寄せながら頷いて返す。
国内を二分する派閥の内、メルツェデスのプレヴァルゴ家が属する国王派。そこに、モンテギオ家も入っている。
だからこそ、古典からの流れに沿って王道的な音楽を作ってきてはいるのだが……昨今は、それが行き過ぎているというか、行かなさすぎているというか、停滞のようなものも感じさせていた。
しかし、だからといって個人的な感情で演奏会を欠席するのも、あまりよろしくはない。
「となると、フランも来るでしょうね。後は……ミーナにも招待状は行っているでしょうけど、多分、こないわねぇ……リヒターさんが何とか引っ張ってこられたらわからないけれど」
自分の好きなことには一直線だがそれ以外のことには無頓着、なんなら出来る限り避けようとする親友と。
それでもそんな彼女を何とかしようとする生真面目な婚約者殿。
はてさて、あの二人はどんな攻防を繰り広げるのだろうか、と別の方向に期待はしてしまうのだが。
……しかし、あの夏のキャンプで苦労していた侍女の顔が脳裏に浮かび、憐憫を覚えてしまったりもして。
「あの、お嬢様。もし音楽会に参加した方がよいと思われるのでしたら、『交響楽は多重詠唱の参考になるのでは』などと言って言いくるめるのはいかがでしょう」
「流石ハンナね、それならばミーナも聞きに行こうとするかも知れないわ。……大人しく聞いていてくれるかはわからないけれど。
……でも困ったわね、そうやって誘ってしまったら、自動的にわたくしも出席することになってしまうわ?」
先程までの苦笑と違って、どこか楽しげな笑みを見せるメルツェデス。
彼女からしてみれば、自身が出席するか否かよりも、友人達がくるかどうかの方が余程の問題。
もちろん対外的にはあまり褒められた態度ではないが、今ここに、それを咎める人間など居はしない。
「何でしたら、学園にてエルタウルス様やピスケシオス様に、お聞きになってしまわれては?」
「なるほど、それもそうね。一番間違いのないやり方だわ」
ハンナのご注進も、あくまでも友人間の調整が優先と言わんばかり。
だから、あっさりとメルツェデスも頷いて見せた。
そして後日、やはり最近のあれこれはともかく基本的に優等生なフランツィスカは出席、ヘルミーナは渋っている状態であることを確認。
出席するフランツィスカも、メルツェデスと同じ理由であまり乗り気では無い、ということがわかった。
「……もういっそ、わたくし達も連れ立ってお休みしてしまわない?」
「メル、それが許される立場じゃないことはわかってるでしょ? いえ、あなたなら『勝手振る舞い』を使えば許されるけれど」
「流石フラン、痛いところを突いてくるわね……そう言われたら、そんなことのために使えるわけがない、使っていいわけが無い、とわたくしなら思うとわかっていて言ってるわね?」
などというやりとりもあったりしながら。
こうなっては流石にメルツェデスも『退屈だ』の一言で不参加を決め込むわけにもいかず、やむなく出席することになった、のだが……。
それがまさか、後の大騒動へと繋がっていくなど、神ならぬ身のメルツェデスには、思いも寄らなかった。
 




