鎖なんて、引きちぎり。
こうして、人知れずに騒動は収束した。
流石にチェリシア王国の間者らしきもの達が企んでいた計画の報告と、捕らえた男の引き渡しはしなければいけなかったが……色々伏せての報告を受けた結果、タチアナへの処分は下されなかった。
「この案件そのものはもちろん重要なものだけれど。……コバルチェフ夫人に限って言えば、ずっと間者として動かなかった上に、むしろこちらに利する行動を取ってくれたわけだしね。
私は信じていいと思うけど、ガイウスはどう思う?」
「はい、私も信じてよろしいかと。問題があったのならば、我が娘が斬り捨てていたでしょうから」
国王クラレンスの問いに、ガイウスは恭しく頭を下げながら答えた。
実際の所、メルツェデスの人を見る目は、相当に確かだとガイウスも思っている。
ブランドルをはじめとして、彼女が引っ張ってきた人材はいずれも逸材。
更にはそこらの騎士よりも忠誠心高く彼女に仕えているのだから。
今回のケースでは、流石に部下としてのそれではないが……それでも、恐らく大丈夫だろうとガイウスも思う。
「であれば、コバルチェフ夫人をいきなり失うことのデメリットの方が大きいかと思います」
「まあねぇ……彼女がいなかったら、今度の豊穣祭の監修も不安になるし、中長期的に大きな損失になるのは間違いないし。
ここは飲み込んだ方が良いだろうね、彼女の今までを考えたら、この程度であれば、さ」
ガイウスの提言に、クラレンスも納得した顔で返す。
何しろ彼女の教え子は多い上に、その大半は社交界の、つまり政財界の中心人物。
その教え方や人柄から彼女を慕う者は多く、彼女が取り仕切れば舞踏会も万事恙なく進行する程。
ここでもしも彼女を失う、それも処断という形でとなれば、外交内政ともに大きな穴が空いてしまうことは間違いない。
今回の経緯を聞いて、心情的にも彼女に同情するところはあったが、それ以上に政治的なあれこれを考えれば、お咎めなしとするのが良いだろう。
そう考える程度には、クラレンスもガイウスも大人であり、世間ずれしてしまっている。
為政者として必要なことではあるけれども。
「ま、『勝手振る舞い』持ちのメルツェデス嬢が『何も無かった』ことにしようと言うのだから、それを許した私が違えるわけにもいかないしね」
そう言ってクラレンスは、どこか愉快そうに笑う。
大将軍であるガイウスも持つ『勝手振る舞い』の許しの中には、軍事や行政に至るまで、様々な権限が存在する。
その中には当然裁判権もあり、これを持つ人間が下した判決は王立法廷が下したものと同等の権威を持つ。
こうなると、クラレンスが異議を唱えない限り覆らないし、もちろんクラレンスにそのつもりはない。
となれば、これで晴れてタチアナは無罪放免となったわけだ。
「今後の動きは、連中の取り調べ次第、だけど……どう?」
「は、恐らく洗いざらい吐かせたとは思うのですが、何をしろという指示はあれど、何故、という部分は伏せられていたようで。
……この辺り、ギアスはなけれども、連中と同じものを感じます」
クラレンスの問いに、ガイウスは憮然とした表情で答える。
『魔王崇拝者』ではないため、ギアスはかかっていなかった。
だからガイウスは思う存分にその腕を振るい。……しかし、元々大した情報が与えられていなかったため、少々物足りない結果に終わっていた。
それでも、色々と面白い証言は引き出せた、とも思う。
「やっぱり、繋がってるんだろうねぇ……正面切って突きつけても、どうせ肯定しないだろうけど」
何しろ所詮は間者、非合法な存在。
チェリシアが知らぬ存ぜぬを通せば、それ以上の追求は難しい。
だが、それでも今後の動きを予測する材料としては充分だ。
「この冬……いや、明けた春以降が忙しくなりそうだね」
「ええ、残念ながら。もちろん、それまでに万全の準備はいたしますが」
そう言葉を交わす主従のそれぞれは、既に頭の中でそれぞれが為べき算段を始めていた。
ともあれ、こうしてタチアナは、直ぐに教壇に復帰することが出来た。
「はいっ、1、2!」
今日もまた、ダンスルームにタチアナの声が響く。
ただ、その声はいつにも増して張りがあった。
それでいて丁寧であり、熱心であり。
教わる子息令嬢達も練習に熱が入る。
そんな中、タチアナは今までに感じたことのないほどの充実感を味わっていた。
命ごと捨て去ることになると、諦めていたこと。
もう一度、心ゆくまで教えたいという願いが叶った今、そのありがたみは今までの倍ではきかない。
嬉しい。楽しい。何よりも、やはり自分はダンスが大好きなのだ。
そう実感してしまえば、もう間者になど戻れるわけがない。
そして、メルツェデスの尽力により、戻る必要も、全てを奪われることもなくなった。
最早、彼女にどれだけ感謝すればいいのかわからないほど。
だから。
「さあジタサリャス嬢、もう一度いきますよ!」
「はい、タチアナ先生!」
だから、クララ達の群舞の指導に、更なる熱が入った。
依怙贔屓と言われればその通りだが、しかし、他にも特別レッスンを臨む生徒がいれば、そちらにも時間を割くつもりはある。
……若干、クララ達、というかメルツェデス達を優先はしてしまうだろうが。
だがしかし、タチアナの指導もあってか皆それぞれに、それなりに踊れている今となっては、特別レッスンを臨む者など居はしない。
結果として、こうして放課後メルツェデス達四人につきっきりでも、誰からも文句は出なかった。
「さあ、次は連続ジャンプ! いきますよ、ステップ、はい、1、2!
次、高く鋭く、1、2!」
タチアナの指示が飛べば、一糸乱れぬ姿でメルツェデス達が跳ぶ。
どこまでも軽やかに、そして、鮮やかに。
それは、タチアナの思う理想型に極めて近似していた。
「ああ……美しい……ええ、とても美しいわ……」
思わず、賞賛の声が零れる。
彼女がもたらした指導の結果。
そして何よりも、こうして巡り会った、素晴らしい才能の持ち主である少女達。
様々な因果の果てに、彼女が思い描く理想のダンスの一つが、今形になろうとしている。
そう思えば、知らず、涙も滲んできてしまう。
「答えてください、ジタサリャス嬢。あなた方のこの群舞とは!」
「吹き抜ける草原の風です!」
「その心身は!」
「清く鮮烈に!」
「人の前にあっては!」
「驚きと感動を!」
踊る前に伝えた、群舞の心得。
それらを確認していくほどにクララの表情は輝き、その動きはキレを増す。
そして、何も言わずともメルツェデス達が合わせ、群舞は更なる高みへと昇っていく。
いつかきっと、タチアナが思い描いた空想とも言える理想へと手が届くだろうとばかりに。
その光景はタチアナが長年待ち望んだものであり、同時に、彼女が至れなかった場所でもあり。
少しばかりの嫉妬が胸を焼くが、それもすぐに覆い隠される。
彼女がいたから、クララ達はあそこまで到達したのだ、と誇れるから。
「ご覧なさい、あの空は明るく輝いています! 届いてみせなさい、あの彼方まで!」
「はいっ、タチアナ先生!」
タチアナから発破を掛けられて、ぐん、と力強くクララが踏み込む。
それを見て取ったメルツェデスもフランツィスカもエレーナも同じく踏み込んで。
跳んだ。
それは、今までに無いほどの大ジャンプ。
一つの枷が外れたクララの、これまでにない程溌剌とした、それ。
だというのに、過たずついていくメルツェデス達。
一糸乱れぬその動きは、彼女達の絆の強さの証のようでもあって。
それを見たタチアナの頬を、一筋の雫が流れていった。




