当たり前の形。
「なるほど、それで予定時間を過ぎても練習なさっていたのですね」
「すみませんコバルチェフ夫人、熱が入りすぎてしまいまして……」
状況を聞いて納得したらしいタチアナへと、一堂を代表してエレーナが謝罪するも、タチアナは小さく手を振ってそれを遮る。
「いいえ、どうぞお気になさらず。むしろ、ジタサリャス嬢をきちんとお教え出来ていない私の至らなさ故。
それを棚に上げて偉そうな口を利くなど、そんな恥知らずな真似はできません」
ゆるりと首を振り、タチアナは苦笑を見せる。
何しろ一学期のクララはそれなりに踊れていた。
エレーナの教えもあったが、もちろんタチアナの指導もあってのこと。
だというのに、この夏に色々あって斜め上にパワーアップしてしまったクララを矯正すべき立場でありながら、いまだに出来ていなかったのだから。
「そんな、先生にはとても丁寧に教えていただいてますし!」
「ありがとうございます、ジタサリャス嬢。けれど、やはり結果が出なければ……意味が無い、まで言いませんが、やはり忸怩たるものがあるのですよ」
慌ててクララがフォローを入れるも、タチアナは受け入れてくれない。
そもそも、貴族の子女を育てるという立場であれば、それが上手くいかないとあれば上位貴族から何を言われてもおかしくないところ。
まして子爵夫人という身分のタチアナでは、己を守るだけでも神経を使うところなのだろうことは、この場にいる全員が察してしまう。
少しばかり空気が重たくなったのだが、そのタチアナが、パンパンと手を軽く打って一堂の視線を集めた。
「しかし、お話を伺って少しばかり活路も見いだせたように思います」
「え、今の話で、ですか……?」
どこにそんなヒントがあったのだろうか、とクララは小首を傾げる。
いや、ヘルミーナも同じくであり、メルツェデス達も顔には出さないが口を挟まないあたり、わかっていないらしい。
それぞれの反応に、くすり、と小さくタチアナは笑って。
「ええ、今のお話で。気付いてしまえば、簡単な話だったのですよ。
ジタサリャス嬢は、自分がきちんと動けているかを常に気にしてらした。むしろ、それだけを。
その結果、自分から動こうとする動きになっていたわけです。
ですが……そもそも女性側は、男性側のリードを受ける立場。リードに従って、何なら身を任せるくらいで丁度良いもの。
……そんな基本を忘れていただなんて、お恥ずかしい限りですが」
言葉通りに恥ずかしいのか、タチアナの頬が少しばかり赤らむ。
『あれ? コバルチェフ夫人ってもしかして可愛らしい人?』なんてクララなど思ってしまう程に、その姿は普段とのギャップが激しかった。
彼女もまた人間、鉄面皮のダンス魔神などでは決してなかったのだ。
それに気付いてしまえば、クララの肩から、もう一つ力が抜けていく。
「ですから、ジタサリャス嬢が安心して身を委ねられる方と練習すれば、力みも抜けると思うのです。
単純な力量だけで言えば、エルタウルス嬢でも充分でしょうが……」
恐らく、クララが身を委ねても支えきれる、というだけであればフランツィスカやメルツェデスでも充分だろう。
だが、精神的な部分まで考えれば。
「恐らく、ギルキャンス嬢と練習するのが一番ではないかと。
……ギルキャンス嬢は派閥の子女に指導をしていらっしゃるそうですし、となれば男性パートも踊れますよね?」
「ええまあ、先程その話もしたところですが……私も、男性パートは踊れます」
問われて、エレーナは頷いて見せる。
むしろ、彼女こそが入学前にクララのダンス指導をしていたのだから。
……そう考えると、この自体を招いた責任の、半分までは言わないが、三分の一はあるような気もしてくる。
まあ、そうでなくとも、クララを見捨てるなんてつもりは毛頭ないのだが。
「そうね、そういえば最近クララとは踊っていなかったものね。
コバルチェフ夫人、よろしければあと一回だけ、練習をしてもよろしいでしょうか?」
少しばかりの反省とともにエレーナが言えば、もちろんタチアナは頷いて返した。
「ええ、もちろん。むしろ、私も是非見せていただきたいところです」
ダンスルームの管理責任者であるタチアナが許可を出したのだから、最早咎める者はいない。
そうとなれば、と早速ダンスルームの中央にエレーナとクララは進み出る。
……心なしか、クララの足取りがウキウキしているようにも見えるが。
ともあれ、入学前にはクララのダンスレッスンをしていたエレーナだ、先程のフランツィスカよりも自然にクララと組み合って。
「ジタサリャス嬢、大きく息を吸って、吐いて。身体から力みを取ってください」
「は、はいっ!」
言われるがままに、クララは大きく息を吸い込んだ。
途端に感じる、爽やかな甘い香り。
クララの脳髄に刻み込まれているこれは、エレーナの香りだ。
誰よりも敬愛し、誰よりも頼りにしている存在が今、すぐ傍に居る。
そのことを、彼女の香りから強く感じたクララの身体から、力みが抜ける。
「ジタサリャス嬢、もう少しだけギルキャンス嬢の腕に体重を預けて。
大丈夫です、ギルキャンス嬢ならばきちんとあなたの身体を受け止めてくださいます」
「体重を預ける……こう、でしょうか……」
「うん、いいわよクララ。このくらいが丁度良い加減だわ」
言葉通りに、エレーナはクララの身体をしっかりと受け止めていた。
あまりの力強さに、鉄柱のごとき印象を受けたフランツィスカともまた違う。
競う相手ではなく、身を委ねていい相手なのだという安心感。
懐かしいとすら思えるその腕の中で、クララの肩から力が抜ける。
「大丈夫よ、私に任せて。じゃあ、いくわよ?」
「はい、エレーナ様……どこまでも、ついていきます……」
何かずれた事を口走るクララの表情は、その身体以上に蕩けて、緩んでいた。
そんなクララの様子に若干の不安を感じながらも、エレーナが一歩を踏み出す。
幼い頃からのレッスンで培ったエレーナの動きは、まさに優雅そのもの。
ゆっくりと入り、しかし緩やかながらも充分な加速を見せ、ステップを刻んだその場所へと収束するかのように動きを止める。
それに釣られてクララもまた、同じように。エレーナの動きをトレースするかのように。
そうすれば、自然とその動きは柔らかなものになっていく。
「いいですよジタサリャス嬢、その調子で。はい、1、2!」
タチアナのカウントに、僅かばかりエレーナの動きを待ち、それに合わせてクララはまた動く。
ゆるり、ゆるり。
ふわり、ふわり。
雲の上を歩くかのように柔らかなステップ。
春風が舞うかのような愛らしいターン。
クララの身体に刻み込まれていた動きは、エレーナのリードを得て本来為すべき動きを取り戻していた。
「これならば、どこに出しても恥ずかしくない」
「そうね、これだけ踊れる人はそういないわ」
率直なヘルミーナの言葉に、メルツェデスも頷いて返す。
辛辣とすら言えるほどズバズバと物を言うヘルミーナですら認める動き。
クララは今、エレーナの腕の中でこれ以上無いほどの輝きを放っていた。