それは、野太刀のように鋭くて。
「はい、ステップ、1、2!」
フランツィスカとクララの二人がしっかりと組み合ったのを見て、メルツェデスがカウントを取る。
その瞬間。
「はい?」
ヘルミーナが、間抜けな声を零す。
何故ならば。
「き、消えた……?」
ヘルミーナの目には、そうとしか言いようのない光景が繰り広げられていたのだから。
メルツェデスのカウントに応じて、クララが唐突に急加速。
だが、繋いだ手からその気配を感じ取ったフランツィスカが、完璧にタイミングを合わせて同じ速度でステップを踏んだ。
その結果生み出される、静止状態からの高速移動。
エレーナはまだしも、ヘルミーナの目ではついていけない速度のそれ。
動いたことに気付いて目で追おうとすればその瞬間にはまた移動しており、ヘルミーナは二人の残像を追いかけているような感覚になっていく。
そして辿り着く、クララが男子生徒を吹き飛ばしてしまったターン。
「はい、1、2、ターン!」
メルツェデスの合図と共に、摩擦で床に悲鳴を上げさせながら、クララが全力で旋回する。
だがフランツィスカはその動きに乗ってステップを華麗に刻み、今度は自身を回転軸としてクララを綺麗に回して、着地させた。
僅かに遅れて、ぶわりと二人の旋回が生み出した風が見ていた者達の頬を撫でる。
「凄い、流石フランツィスカ様……私が全力で動いても、びくともしないっ」
「ふふ、これくらいで私は揺るがなくてよ? さあクララさん、もっと全力で!」
「はいっ、フランツィスカ様!」
「色々とおかしいわよ!?」
全力で移動して、ターンをしてもぶれない相手。
むしろ、まだまだ底が見えず、もっと力を出していいと思わせてくれる微笑み。
クララは、今までになく高揚していた。
どれだけ速く、遠くへと踏み出しても確実に追随してくれる動きの余裕。
全力で回る動きすら、受け止めて更にはクララを回す余力すらある。
何よりも、言葉も交わしていないのにクララの動き出しを触れあった肌の感覚だけで察知する感知能力と、反応速度。
クララは今初めて、全力で、心置きなく踊っていた。
「フランツィスカ様、私、ダンスが楽しいです!」
「そう、いいことだわ、もっと楽しんでいいのよ?」
「はいっ!!」
「違うわ!? ダンスの楽しさって、そういうことじゃ……少なくとも社交ダンスの楽しさではないわ!?」
弾けるような笑顔を見せるクララへと、ふわりとした柔らかな笑みを見せるフランツィスカ。
だが、その傍で見ている最早唯一の常識人となってしまったエレーナはそれを暖かく見守るなど出来ず、全力でツッコミを入れ続けている。
むしろ、彼女の心の平安のためには、入れ続けるしかない、のかも知れない。
そんな、普段ならば鋭敏に捉えるであろうエレーナのツッコミも、今のダンス・ハイとでも言うべき状態に陥ったクララには届かない。
ヘルミーナがぽか~んと口を開けて眺める目の前で、近づく者をすっぱりとやってしまいそうな程にキレッキレなダンスを披露して。
「1、2、はい、ポーズ!」
メルツェデスのかけ声に合わせて、決めの姿勢、ピクチャーポーズを取るクララの顔は、これ以上なく満たされていた。
弾ける呼吸以上に弾ける笑顔は、光を反射する汗よりも輝いている。
キラキラという言葉が誰よりも似合う、ある意味主人公らしい笑顔のクララに、ヘルミーナとメルツェデスはパチパチと拍手を送る。
……その隣で、エレーナがぐったりと疲れたような顔で肩を落としていたが。
「お疲れ様、クララさん。踊ってみた感触はどうだったかしら?」
「あ、ありがとうございます、メルツェデス様。はい、とても踊りやすくて、こんなにのびのびと踊れたのは初めてでした!」
二人へとメルツェデスがタオルを差し出しながら言えば、クララは興奮冷めやらぬ顔でハキハキと答える。
それは、初めて思う存分駆け回った後の子供のようで。
居合わせた全員が思わずはっとする程あどけなく。直後、うんうんと頷いてしまう程に保護欲をかき立てられるものだった。
「って、ちっが~う!! そうじゃないでしょ、これじゃだめでしょ!?」
その中で一人、早々に立ち直ったエレーナが声を張り上げる。
思わぬ大きな声に、残る四人はぴたりと動きを止めて。
「なんで皆して、そんなきょとんとした顔を向けて来るわけ!?
本来これは、クララの動きが鋭すぎるのを何とかしようって練習のはずだったでしょ!?
なんなの今の、むしろ今までで最高レベルにキレッキレだったじゃない?!」
「確かに、私の目では追いきれないくらいに鋭かった。消えたかと思ったくらいだもの」
声を張り上げるエレーナの隣で、うんうんとヘルミーナが頷いて見せる。
かくいう彼女もダンス中は無責任にその動きを堪能している側だったのだが、そんなことはおくびにも出さない。
「運動に関しては一応一般人なミーナの目に止まらない速さじゃ、大体の人は置き去りでしょ!?
っていうか、割と私でもきつかったわよ!?」
「そんな、エレーナ様でもきつかっただなんて……私、そんなに速く動けたんですね!」
「喜ぶところじゃないのよ、クララ!」
感動したように目を輝かせるクララへと、エレーナの叱責……というには鋭さに欠ける声が飛ぶ。
なんだかんだ、どうにもクララには厳しくしきれないらしい。
まあそれでも、クララが小さく肩をすぼめる効果はあったようだが。
「まあまあエレン、あまり強く言わないであげて。これにはちゃんと理由があるんだから」
「むしろこれには、フランの責任割合が大きいんだけどね?
……で、その理由って何?」
とりなそうとするフランツィスカはいつもの通りで、少しばかりそれが癪に障る。
かといってここで噛みついても仕方ないとわかっているエレーナはそれを飲み込み、じぃ、フランツィスカを睨む一歩手前のジト目で見やった。
「一つには、クララさんの身体能力の確認ね。少なくとも、今の動きが現状の最大値に近いのは間違いないと思うわ。
それから、思う存分身体を動かしてもらうこと、ね。多分今までのクララさんは、色々な意味で萎縮してたと思うから」
「な、なるほど……?」
これでしょうもない理由が返ってきたら思う存分言い返してやろうと身構えていたエレーナは、予想外にまっとうな理由を聞いて、くちごもった相づちしか返せない。
確かに、今のクララは楽しそうだった。そして以前のクララを思えば……表情が、張り詰めていたように思う。
「……私も、まだまだね……。それで、じゃあ次はどうすればいいの?」
少しばかり落ち込みながらも、そうしてもいられないと小さく首を振って頭を切り替えたエレーナ。
だが、返ってきたのは困ったような微笑みだった。
「そこは、今から考えることになるわねぇ……」
「いやまあ、流石にそんなぱっとアイディアは出てこないわよね……」
期待を裏切られた形ではあるが、少なくとも一歩前進した手応えはあった。
そもそもフランツィスカ達には泣きついたような形なのだ、良案が出ないからと責めるのは、それこそ理不尽と言うもの。
次の手立てを考えればいいだけのこと、とエレーナが頭を切り替えた時だった。
「おや、皆さんまだ練習をしてらしたのですか? 随分と時間が経っているはずですが……」
そう言いながらダンスレッスン室の扉を開けて入ってきたのは、講師のタチアナ・コバルチェフ子爵夫人だった。




