初めての『勝手振る舞い』。
ご所望の向こう傷を見せられたというのに、エレーナ達は一言も発することができなかった。
彼女達が想像していたのは、醜い傷を受けて暗く歪んだ令嬢の顔。
しかし目の前にすっくと立つメルツェデスは、受けた傷も何のその、恥じ入ることなく堂々と笑みを浮かべている。
ここまで堂々とされると、それこそ武勲の証として輝いてさえ見えるのだから、不思議な物だ。
だからエレーナ達もまた、当初の下衆な好奇心とは別の何かで、その傷から目を離すことができない。
そんな様子をしばし見ていたメルツェデスは、ずい、と一歩踏みだす。
「さあ、いかがでございますかギルキャンス様。この向こう傷、ご満足いただけました?」
「え、ええと……」
踏み出され、問われて、エレーナ達は一歩後ずさる。
少なくとも、嘲笑ってやろうという当初の希望は満たされていない。
そして、それが満たされることは決してないだろう。
この、自信に満ちあふれたメルツェデスの顔を歪ませることなど、彼女にはとてもできそうにないのだから。
そんな内心の動揺からエレーナが返事もできないことを知ってか知らずか、またメルツェデスがずい、と間を詰める。
「いかがなさいました、ギルキャンス様。黙っておられては、わかりませんよ? さぁさぁ」
「わっ、わかりましたっ、もう十分拝見いたしましたっ!」
気圧されたのか、ふいっと顔を横に逸らしながらもエレーナは何とか返事をした。
それを見たメルツェデスはそこで足を止めて、にっこりと笑顔を見せる。
「それはようございました。
そうそう、順序を違えてしまいましたわね。わたくし、メルツェデス・フォン・プレヴァルゴと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」
そして繰り出される、お手本のようなカーテシー。ドレスの裾を持ち上げての挨拶に、思わずエレーナ達は見入ってしまった。
流れるような動き、乱れのない姿勢。何故か脳裏に、勝てない、という言葉が浮かぶ。
それでも、流石に挨拶を返さないにはいかないとわかる程度の躾けはされていたらしい。
「エ、エレーナ・フォン・ギルキャンスですわ、どうぞよろしくお願いいたします……」
エレーナがカーテシーを見せれば、慌てて取り巻き二人も同じように挨拶を見せる。
その顔には、羞恥の表情が滲んでいた。
三人の挨拶を、表情を見ていたメルツェデスは思案することしばし。
またエレーナへと、大きく一歩踏み込んで。
「ご挨拶いただき、痛み入ります。さて、折角こうしてご縁もできたことですから、一つご忠告を」
「ちゅ、忠告、ですの……?」
思わず仰け反りながら、何を言われるのだろうと身構えるエレーナの目は不安で揺れ動いている。
『天下御免』の許しを持つメルツェデスは、どんな無体を言っても咎められることはない。
……とエレーナが認識しているだけで、実際はそうでもないのだが。
ともあれ、何を言われるのかわかったものではない、と怯えるエレーナへと、メルツェデスが口を開いた。
「折角そんなにお可愛いのですから、あまり尖った言葉はお使いにならない方がよろしいですわよ?」
完全に予想外だった言葉に、エレーナは何も言えず大きく見開いて目をぱちくりと瞬かせる。
さらにもう一押し、とばかりに顔を寄せたメルツェデスは、ちょん、と人差し指でエレーナの唇をつついた。
「こんな愛らしい唇には、もっと綺麗な言葉を乗せるべきだと思うのです。
そうされましたら、もっとお可愛らしくなりますわ?」
そう言いながら、パチンと器用に片目をつぶって見せる。
と、エレーナが固まること数秒。
言われたこと、されたことがやっと頭に浸透してきたのか、一気に顔が真っ赤になった。
「んなっ!? な、なにおっしゃってますのあなたはっ!? っていうか、今、今っ!」
「ふふ、思ったことをそのまま申し上げたまでですわ。どうぞお許しくださいませ?」
エレーナの怒り……とはまた違う抗議の言葉に、メルツェデスはカラリと笑うと、ちょん、と額の傷を指し示した。
『天下御免』の向こう傷、『勝手振る舞い』の証を示されては、エレーナもそれ以上言い募ることができない。
顔を朱に染めたままわなわなと身を震わせ、若干涙目になりながらメルツェデスをしばらく睨んでいたエレーナは、ようやっと言葉を絞り出す。
「きょ、今日のところはここまでにして差し上げますわっ! エルタウルス様、お騒がせしました、これにて失礼いたしますっ!
さ、皆さん行きますわよっ!」
「は、はい、エレーナ様!」
バタバタと、まではいかないにしても、令嬢としてはギリギリアウトな勢いで退出していく三人を、メルツェデスは小さく手を振って見送った。
それからフランツィスカに向き直ると、小さく頭を下げる。
「フランツィスカ様、差し出がましい真似をいたしました、申し訳ございません」
「な、何をおっしゃいますか、メルツェデス様! 私こそ、この場の主人として至らぬ有様で……お手を煩わせて、申し訳ございません。
それに……」
そう言いながら、ちらりと視線がメルツェデスの額へと向かう。
フランツィスカの人生で見たこともない、生々しい傷痕。
醜く不気味ですらあるのだが、何故か嫌悪感などは沸いてこない。
思わずしばし見つめていると、不思議そうな顔でメルツェデスが小首を傾げた。
「どうかなさいました?」
「い、いえ、なんでもございませんわ!? その、お気になさっていたその傷を、人目に晒させてしまったのが申し訳なくて」
恐縮したように縮こまるフランツィスカを見れば、メルツェデスは思わずクスリと笑ってしまう。
「どうぞお気になさらず。こうして場を収めることが出来たのですから、お見せした甲斐があったというものですわ」
そう言って慰めるようにフランツィスカの肩に手をやり、幾度かさするように撫でた。
不思議と、それだけで心が安らいでいくような気がして、フランツィスカはほっと息を吐き出す。
それを見てメルツェデスも小さく息を吐き出すと、くるり、今度は中庭へと向き直った。
「皆様も、お騒がせして申し訳ございません。
それから……もし、この傷をご覧になりたいという方がいらっしゃったら、どうぞお申し出くださいませ。
ギルキャンス様にだけお見せして皆様にお見せしないのも不公平ですから、ね」
冗談めかして言うと、最後にまたパチリ、片目をつぶって見せる。
その仕草に、ほぉ……とため息を思わず零した令嬢が幾人も。
あれ? と予想外の反応に内心で首を傾げるも、少なくとも空気が乱入前のものに近くなったことを見て、少しほっとする。
「ハンナ」
「はい、お嬢様」
ハンナへと声をかければ、いつの間にか傍に控えていたハンナがメルツェデスへと帽子を被せ、髪をそっと梳いて整える。
そう、先程メルツェデスが放り投げた帽子は、ハンナがしっかりとキャッチしていたのだ。
すっかり元の格好に戻ったメルツェデスは、改めてフランツィスカに笑いかける。
「さ、フランツィスカ様。お茶の続きと参りましょう?」
「ええ、メルツェデス様、喜んで!」
フランツィスカも笑顔で答えると、二人はテーブルへと向かい並んで歩き出した。




