秋の戦線異状あり。
※新年、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞ、退屈令嬢をどうぞよろしくお願いいたします。
激動と言って良い程に様々な事があり、それでいて表面上は平穏に過ぎていった夏。
それが終われば次は秋、実りの季節を迎えていくことになる。
農業に従事するものは数ヶ月かけて育てた麦を始めとする作物を収穫するために。
官吏はそこから適切に徴税するために。
商人達は届けるべきところへと届ける算段をして。
そして王都では、その実りを祝う豊穣祭に向けた準備が進んでいた。
剣術大会などもあり活気に満ちていた盛夏祭とは違い、豊穣祭は得られた実りを精霊達へと感謝する祭りとなる。
そのため、音楽や歌、踊りを捧げるという文化的な側面が強い祭りとなっているのだ。
この日の為に腕を磨いていた楽士や音楽家はもちろんのこと、普段は芸術なんてとんと触れたこともないような酔いどれおやじですら歌を口ずさむ、そんな季節。
そんな国を挙げての祭事とあって、当然のことながら貴族の子女が多数通う王立学園においても、様々な準備が行われていた。
とは言っても、普段から弛まぬ努力をしているメルツェデスやフランツィスカ達に触発された貴族令嬢達に抜かりはなく、それに負けてなるものかと令息達も例年になく盛り上がっている。
だから、準備に差し障りがある者などいるわけがない。と、誰もがそう思っていたのだが。
「はい、では皆さんペアの方と組み合って……」
ダンス担当の講師が声をかければ、ダンスルームに集まった生徒達が互いのパートナー達と手を交え、組み合っていく。
そして普通に、それぞれに練習をそれぞれなりに積み重ねたダンスが普通に始まる、はずだったのだが。
「はい、ステップ、1、2!」
講師のかけ声と共に、生徒達が動き出す。
その中で、一人。
リード役であるはずの男子生徒を置いてきぼりにする勢いで急加速する女子がいた。
「うわぁ!? え、ちょぉ!?」
かと思えば、踏むべき位置を正確に捉えて、急停止。
引きずられるようにステップを踏まされた男子は、巨岩のように揺るぎなく止まった彼女についていけず、身体が泳ぐ。
更に次のカウントを聞いて彼女が動き出せば、踏みとどまろうとしたところを更に引きずられ、また急に止まられて。
武術やスポーツの世界においては、動いている中での急制動、そこからの急加速はそれだけで一種のフェイントとして機能するという。
それを今、そんなことをやられるなど全く予想もしていなかったダンスレッスン中にやらかすのだから、その幻惑効果はどれだけのものか。
ペアを組む男子とて、騎士資格を持つ男爵家の令息であり、運動能力はそれなりに高い。
だというのに、全く彼はついて行けず、振り回されている。
そして。
「はい、1、2、ターン!」
講師の合図に合わせて、少女が急旋回。
ギュン、とダンスレッスンにあるまじき音が響き、彼女が身を翻せば。
「ちょっ、ぎゃぁぁ!?」
ここまでの流れで完全に体勢を崩されていた男子は最早耐えることはこれっぽっちもできず。
悲鳴を上げながら吹き飛ばされ、ごろごろと床を転がってしまう。
その先には誰もおらず、巻き込まなかったことだけが不幸中の幸いだろうか。
その男子がぐったりと床に突っ伏せば、しん、とダンスルームに沈黙が落ちる。
こんな非常識なことをしでかすのは、もちろんメルツェデス……と思うだろうが、そうではなかった。
今このダンスルームを使っているのは、子爵以下の令息令嬢達。
そんな面々の中で、こうも非常識なことが出来る人間は限られている。
「え、あ、え……ど、どうして……?」
自身がやらかした結果を、信じられないような顔で見つめているのは、クララだった。
切れ味鋭いステップを見せ、豪快なターンで相手を吹き飛ばす。
どう考えてもダンスの形容としてはふさわしくない動きで相手を圧倒してしまった彼女は、ホールドの体勢で伸ばされていた手をワナワナと震わせ。
一瞬の後、はっと我に返って。
「ご、ごめんなさい、大丈夫ですか!?」
慌てて転がった男子へと駆け寄り、すぐさま回復魔術をかけていく。
夏のキャンプを経て磨かれた魔力は恐ろしい勢いで男子を回復させ、ものの数秒で意識を取り戻させた。
はっと目を開けた彼は、まだ茫洋とした顔で左右を見て。
それから、クララの顔を認識して。
「おうわぁぁぁ!?」
ずざざざ!! と尻餅をついた体勢のまま凄まじい勢いで後ずさり、その顔に恐怖を張り付かせる。
それはまあ、それなりに動けると思っていたところに、為す術も無く振り回されて吹き飛ばされたのだから、仕方ないところ。
おまけにその張本人は、全くそんなことを思い描かせない可憐な少女であるクララなのだから、なおのこと。
しかし、ただでさえ混乱していたクララからすれば、その反応は更に混乱を広げてしまって。
向き合った二人は、あわあわと慌てるばかりで、どうにも動けないでいた。
「二人とも、怪我はありませんか? いえ、ジタサリャス嬢が回復魔術をかけてくださったのならば問題ないはずですが……念のため見せてください」
そこに近づいてきたのは、ダンス講師であるタチアナ・コバルチェフ子爵夫人。
白灰色の髪を頭頂部付近で結い上げてまとめ、それなりに年齢が刻まれた顔の中心で、今なおキリリと鋭いつり目気味の目元は、しかし二人を心配する色に満ちていた。
叱りつけるでもなく、ただ二人の身を案じていることが伝わったのか、男子もクララも恐縮したように居住まいを正す。
「わ、私は大丈夫です、ご心配ありがとうございます、コバルチェフ夫人」
「お、俺も、いや、私も大丈夫です、すみません、失態を……」
二人してそう言えば、本当だろうかとしばし夫人は観察して。
確かに問題なさそうだ、と確認すれば、小さく息を吐いた。
「そうですか、無事であるならばよろしいです……と言いたいところですが。
動きそのものを矯正しなければ、また同じ事を繰り返してしまいそうですね」
ほっとした顔を見せたのもつかの間、コバルチェフ夫人はすぐに表情をキリッと引き締める。
こうして生徒を心配する情に厚い女性ではあるのだが、レッスンそのものは厳しいことで有名であり、今まさに、その厳しい指導者としての顔を覗かせた。
その豹変ぶりに、クララも男子も、ぶるりと背筋が震えるのを止められない。
「さあ、今日は徹底的に矯正いたしますよ!」
「「ひ、ひぃぃぃぃ!?」」
夫人の宣言に、クララと男子は、これ以上無く情けない悲鳴を、同時に上げた。




