剣の音は空高く。
二人が会場へと出れば、途端に沸き起こる割れんばかりの大歓声。
今回初めて出場する、なんなら普段は仕事でろくに会場に来たこともないジタサリャス男爵は、その熱気に一瞬驚きの表情を見せた。
その中にあってなにやら野太い声が聞こえたなと思って視線を向ければ、見慣れた顔。
どうやら衛兵の中でも非番のものが応援に来ているらしい。
誰の応援か、は言うまでもなく。そのことが、何となく気恥ずかしい。
「ふむ、どうやらジタサリャス卿の応援で今年は盛り上がっているらしいな」
この大舞台の常連であるガイウスは慣れたもので、どこた楽しげに笑っている。
その言葉にふと引っかかりを覚えたジタサリャス男爵は、ガイウスへと顔を向けた。
「毎年このように盛り上がっているのではないのですか?」
「ああ、去年一昨年はこうじゃなかった。まあ……原因はわかっているんだが……」
問いに、ガイウスはゆっくりと頷いて。
それから、気まずげに頭を掻いた。
何しろその原因とは、すなわちガイウスなのだから。
彼があまりにも強すぎたため、観客は『どうせ今年もプレヴァルゴ様なんだろ?』という空気が漂っていた。
そしてまた、実際にガイウスが勝ってしまうのだからどうしようもない。
かといって出場しないという選択肢はないし、わざと負けるなど考えるわけもない。
ということで、年々決勝戦の空気は冷え気味だったのだが。
「今年は、初出場の卿が決勝まで来たものだから、もしかしたら、という期待があるのだろう」
「なるほど」
まるで人ごとのように言うガイウスに、男爵は小さく頷いて返す。
その期待をわかってなお、彼は負けるつもりがない。それだけの自信があるらしい。
そして、ジタサリャス男爵自身も、ガイウスの方が上である、とはわかっている。
しかし、それでも。そうそう簡単に負けるわけにはいかないのだ。
男爵へと向けられる、期待と好奇の入り交じった多数の視線。
熱心に応援の声を上げている部下達。
何よりも。
一段高いところにある貴族層の観客席で、こちらを見つめている妻と娘。
二人して、祈るように両手を握り、どこか必死な様子でこちらを見ている。
実の親子でもないのにそっくりなその姿を目にして、思わず小さな笑みが零れた。
「ふむ。初めてこの大舞台に上がるというのに、中々余裕だな」
「自分でも驚くほど落ち着いております。……心強い応援があることですし」
そう告げるジタサリャス男爵の視線を追えば、納得したようにガイウスも頷き返す。
なるほど、あれは心強かろうと納得もして。
それから少し視線を動かせば、そのすぐ近くには愛する娘と息子が座っている。
クララ達と違って、こちらの二人は落ち着き払ったもの。
ガイウスが負けることなど微塵も考えていないようなその様子に、流石に苦笑を零してしまう。
「おや。……どうやら、私では相手にならぬと見られているようですな」
「そう言って油断を誘うつもりか? 生憎と俺は、卿を油断ならぬ相手と思っているからな」
「しかし、勝てぬとはこれっぽっちも思ってらっしゃらぬ、と。そこに付け入る隙がありそうです」
などと軽口をたたき合いながら、二人は会場の真ん中へと進み出た。
いよいよ、とあって更に大きくなる歓声の中、二人は……静かに向き合った。
口ではなんだかんだ言いながら、相手がこの程度の舌戦で揺らぐとは思っていない。
向き合えば、尚更その思いは強くなる。この相手に、似合わぬ小細工など弄するべきではないのだろう、きっと。
「あるいはピークを過ぎたのではと淡い期待をしておりましたが……黒獅子は未だ健在、衰えを知らぬようですな」
「子供達が一人前になるまで、老け込んでもいられんさ。それに卿こそ……まるで5歳ほど若返ったかのような気力の漲り方だぞ?」
普段の仕事場は違うが、軍部の責任者であるガイウスは各所の訓練なども視察している。
その際に勿論ジタサリャス男爵が訓練しているところも見かけたが、その時よりも歳を取った今の方が気力の充実を感じる。
何がそうさせているのか……わかるだけに、ますます気を引き締める。
その効果は、他ならぬガイウス自身がよく知っているのだから。
思考を巡らせている間に審判が二人の間にやってきて、簡単なボディチェックを済ませる。
審判が二人の間から下がれば、どちらからともなく腰の剣に手を伸ばして。
音もなく、鞘から抜き放つ。
離れた観客席でそれを見ていたメルツェデスが、真顔になった。
「……やはり、ジタサリャス様もかなりの腕前ですわね」
「え? あの、今のだけでわかるものなんですか?」
それを聞いたクララが思わずメルツェデスを振り返れば、ゆっくりと頷くのが見える。
「ええ、鞘の引き方、剣の引き出し方共にわずかのぶれもなく、鞘と刀身が触れた音が微塵もしませんでした。
これは相当に修練を重ねなければ出来ないことなのですよ」
メルツェデスの解説に、なるほどなるほどと一生懸命な顔でクララは頷いて。
それから、ふと首を傾げた。
「……あの、この距離とこの歓声の中で、そんな音って聞こえるものなんですか……?」
「ああ、普通の人は聞こえないでしょうね。わたくし、少々耳が良いもので」
「いや、少々ってレベルじゃないと思うけどね?」
メルツェデスの隣に座るクリストファーが、呆れたように言うのだが……彼の耳もまた、その音を捉えることが出来たりする。
どれだけ煩かろうが離れていようが、命の危険に関わる音は敏感に察知してしまう。それがプレヴァルゴというものらしい。
「でも、ということは……やはりお義父様は、お強いのですね」
「恐らく、本日の出場者の中で、まともな勝負ができるのはジタサリャス様だけでしょうね」
メルツェデスの太鼓判に、クララもジタサリャス男爵夫人もどこかほっとした顔になる。
「あ、いよいよ始まりますわよ」
言われて試合場へと目を向ければ、二人が剣を両手に持っていた。
ガイウスのそれはやや幅広で肉厚な、戦場で敵を屠るために質量を持った斬撃を叩き込むことを重視した剣。
ひるがえってジタサリャス男爵のそれは、対応すべき状況が多い王都の騎士がよく使う、両手でも片手でも使える剣。
対照的な剣を持つ二人が、試合場の中央で、同じような腰だめの構えを取る。
「始め!」
審判の合図とともに。
互いに一歩踏み込んで、全力の横薙ぎ。
次の瞬間に響き渡った岩でも砕けたかのような轟音が、会場の歓声を沈めてしまった。
度肝を抜かれた観客達の見守る前で、二振りの刃が拮抗して噛み合い。
すい、とそれを引いて、ジタサリャス男爵が切っ先を真っ直ぐ突き出す構えを取る。
「あれで手が痺れぬというのだから、やはり大したものだよ、ジタサリャス卿」
「この程度、挨拶のようなものでしょう? 確かに、プレヴァルゴ様の一撃は今までに味わったことのない重さではありましたが。
私の手は、こうしてまだ剣を握れております」
少しばかり長い台詞の後、言葉を裏付けるかのように切っ先を揺らして見せるジタサリャス男爵。
……そうやって稼いだ数秒で、僅かに生じた手の痺れは消えていた。
さて、そのことにガイウスが気付いたかどうか。
一つ確かなのは、彼が全力で叩き潰すつもりになったこと。
ゆっくりと、ガイウスが剣を頭上へと掲げて。それを、少しばかり右へと寄せた。
「ならばもっと痺れてもらおうか。プレヴァルゴ流剣術攻めの型、『荒波』……参る!」
「ならばジタサリャスの名に賭けて、迎え撃たせていただきましょう!」
舌戦はここまで、後は剣にて語るのみ。
津波のごとき圧力を受けてなお、ジタサリャス男爵は言葉通りに前へと一歩踏み出した。




