親と親の晴れ舞台。
「……このギュンター、この夏で一皮剥けたつもりでしたが、どうやら思い上がりだったようです」
「いいえ、そんなことはございませんわ? 間違いなくお強くなられました」
忸怩たる思いを隠すこともなく零すギュンターへと、メルツェデスは悪いと思いながらも慰めの言葉をかける。
思えばギュンターは、入学した当初の手合わせでは最初の『剣合わせ』で激突の衝撃に負けて剣を取り落としていた。
それが今は、手の痺れは多少あれど攻勢に出ることが出来る程度には、打ち負けていなかった。
その後の怒濤の攻めも、間違いなく以前よりも勢い、鋭さともに増していた。
ただ、メルツェデスにはそれでも届かなかっただけで。
「お言葉におすがりするならば、強くなったからこそ、プレヴァルゴ様との差がより鮮明に見えたのかも知れません」
「それは……まあ、わたくしもこの夏は色々ありましたもので」
生真面目なギュンターの言葉に、メルツェデスは言葉を濁す。
『水鏡の境地』についてはあまり口外しないようガイウスから言われているため、恐らく口が硬いであろうギュンターにも少々言いづらい。
軍事機密までは言わないが、切り札には間違いないので出来る限り伏せておく方が良いのは確か。
だから、メルツェデスは余り詳しくは話さないようにした。
……ただ、それが後に『プレヴァルゴ様は一夏の経験を経て更に変わられたようです』という報告となってジークフリートに届けられ、そこが震源となって王家に激震をもたらすことになるのだが……それはまた別の話である。
そして、新人の部から数時間後。
気の長い夏の日も流石に紅く染まりだした頃合いに、カツン、カツンと闘技場へ向かう通路で硬い音が響く。
片や漆黒の騎士服に身を包んだ偉丈夫、片や威を示すために若干派手さのある衛兵隊長用の騎士服を纏った、見劣りしないだけの偉丈夫。
二人の男が剣を腰に佩き、手を伸ばしても届かない程度に距離を空けつつ並んで歩いていた。
勿論一人は『黒獅子』の異名を取るガイウス。
そして、もう一人は。
「しかし意外だな、ジタサリャス卿。卿がこういった催しに参加するとは思わなかった」
隣、というには離れた距離をあるく男へと、ちらり、視線を流したガイウスが少し抑えた声で言う。
そう、共にこの通路を歩くもう一人は、クララの義父であるジタサリャス男爵。
彼らは、剣術大会成人の部決勝の舞台に上がるところだった。
つまり、この時点でエドゥアルドは的中させたことになる。
それはともかく。
ガイウスが知る限りジタサリャス男爵は目立つことを好まず、故に四十を越える歳でこれが剣術大会初出場だというのだから、ガイウスが訝しむのも不思議ではない。
そして、それが至極もっともな疑問だとわかっているジタサリャス男爵は、何ら表情を動かすことなく頷いて見せた。
「左様ですな、正直なところ私自身も驚きがございます。まさか自分がこのような心持ちになるなどと」
落ち着いて、淡々と。
その口ぶりは、ガイウスも知る仕事人間なジタサリャス男爵の口調そのものだった。
つまり、彼は乱心しただとかでなく、確かに彼自身の意思で参加し、今ここに立って居る、ということ。
であれば、彼をここに導いたというその心持ちが少々気になるのも仕方が無い。
「心持ち、か。ということは、何か参加する理由があった……いや、卿であれば、参加しなければならない、と思う程の何かがあった、ということか?」
ガイウスの問いかけに。
普段であれば淡々と返すだけのジタサリャス男爵が、口籠もった。
言うか言うまいか、迷っている様子。
少しばかり耳が赤いのは気のせいだろうか。
そんな男爵の様子を、ガイウスは答えを急かすでもなく、横目でさりげなく見ていた。
普段から然程交流があるわけでもないが、こんなジタサリャス男爵は初めて見る。
それほどの理由があるのか、と更に好奇心が刺激されたところで、ジタサリャス男爵が重い口を開いた。
「……ドレスを」
「うん? なんだって?」
全く予想もしていなかった単語に、思わずガイウスは聞き返してしまう。
そのせいで、一瞬男爵は口を閉ざして。
沈黙が漂うこと、数秒。
若干耳の赤身を増しながら、男爵は改めてそれを口にした。
「ドレスを、買ってやりたくなったのです。妻と……娘に」
妻はもちろんわかる。そして、娘が意味するところ。
理解して、しかしガイウスともあろう者が、すぐには言葉が出なかった。
一瞬か数秒か、沈黙が流れ。
「娘、とはクララ嬢のことか。しかし、であれば、奥方はともかくクララ嬢の分は、ギルキャンス公爵閣下に言えばいくらでもくださるのではないか?」
ジタサリャス男爵家の養女、クララ。夏のキャンプにも参加した彼女のことはもちろんガイウスも覚えているし、筋が良いとも思っている。
そしてその彼女は聖女候補として男爵家の養女となり、貴族派筆頭であるギルキャンス公爵家の庇護下にある。
だからその令嬢であるエレーナもキャンプに参加した側面もあるのだし。
そんなガイウスの問いに、ジタサリャス男爵は少しだけ考えて。
それから、ゆっくりと首を横に振った。
「確かに、閣下に申請すれば、それこそ金に糸目を付けず素晴らしいドレスをくださるでしょう」
淡々と、ガイウスの問いかけに返して。
それから、また少しだけ言い淀み。
「……そうではなく、私が用意したかったのです。私の得た金で、あの子のドレスを用意したかった。
流石に盛夏祭には無理ですが、秋の豊穣祭までには。くだらない意地だとお笑いになるかも知れませんが……」
そこでジタサリャス男爵は言葉を切り、ちらりとガイウスを窺う。
妙に、静かだ。
そう思って見れば、ガイウスは右手で顔を覆っていた。
「ジタサリャス卿。俺は卿のことを見誤っていたようだ」
「……左様ですか」
いっそ笑い飛ばしてくれれば気が楽だったというのに、この男は。
軍部の最高位にあり、かつ王国最強の剣士でもあるこの男は。
今にも感涙を溢れさせそうな程に、言葉を震わせていた。
「笑うとすれば、天晴れと称えるための笑いだ。その意気やよしと。
俺は、卿の戦う理由を肯定する」
ガイウスとてプライベートではただの親馬鹿、娘を思う気持ちはわかる。
だから、養女であろうと……いや、養女だからこそ、そこまでクララのことを考えるジタサリャス男爵の心意気に胸を打たれた。
ただ。
「だが。俺とて負けるわけにはいかん。卿が負けられないように、俺にも負けられない理由がある」
「ええ勿論。こんな四方山話で勝ちを譲っていただこうなどとは思いませんし……譲られた勝利では、クララに会わせる顔がありません」
そこで、一瞬言葉が途切れて。
先に口を開いたのは、ジタサリャス男爵だった。
「ちなみに、プレヴァルゴ様が負けられない理由とは。お聞きしてもよろしければ、ですが」
その問いかけに、顔から右手を離したガイウスは……笑みを、見せた。
「何、卿と大して変わらんよ。娘と息子に、強い俺を見せたい。それだけだ」
「……なるほど、それは……」
思わぬ答えに、ジタサリャス男爵は返答に窮し……それから、小さく笑った。
「つまり、親馬鹿と親馬鹿の対戦、ということですか、この決勝は」
「まあそういうことになるな。だが、もちろん負けるつもりはない。王国一の親馬鹿はこの俺だ」
ややもすれば貶す言葉として使われる『親馬鹿』。それを、ガイウスは実に誇らしげに自らへと当てはめた。
それが何ともおかしく、ジタサリャス男爵は口元に笑みを浮かべる。
「なるほど。しかし、そうなると……私とて王国一の親馬鹿を奪ってしまいたい心持ちになってまいりますな」
プレヴァルゴ親子に比べれば、親子として過ごした日数はもちろん遙かに短い。
しかし、だからといって簡単に譲りたくはない、とも思ってしまう。
そんな自分に、彼自身、驚いてしまうのだが。
「言うじゃないか。しかし、最近のあれこれで忙しくしているようだし、疲れも溜まっているんじゃないか?」
「それは、プレヴァルゴ様とて同じではありませんか」
部下達の奮闘もあって大事には至らなかったが、その後処理でやはりジタサリャス男爵もかなり忙しかった。
だが、さらにその上の責任者であり、その後の事件や更にまだ起こってはいない事件に対して対策を打っているガイウスは更に多忙なはず。
しかし、そのガイウスは自信ありげに唇を曲げた。
「何、俺がこうして剣を手にした時は、いつだってベストコンディションさ」
虚勢でもなく、それが当然とばかりに笑って見せるガイウス。
ジタサリャス男爵は、思わず目を瞠り。
それから、笑みを見せた。
「なるほど、これは貴重な学びをいただきました」
そう言いながらジタサリャス男爵は、そっと己が佩く剣へと左手を沿わせる。
試合用に刃を潰しているとはいえ、その感触は馴染んだもの。
思い浮かぶのは、この剣を手にして己の腕を磨いた日々。
「であれば、私も本日はベストコンディションです」
「それはいい、おかげで容赦なく全力を出すことが出来る」
応じたガイウスは、左拳をジタサリャス男爵へと見せて掲げてみせる。
それを見て、しばし男爵は考え。
右の拳を、ガイウスのそれへと軽く打ち合わせた。
「よい勝負を。……こちらこそ、全力でいかせていただきます」
「ああ、よい勝負を。王国一の親馬鹿は簡単には譲らんぞ」
そんな軽口をたたき合いながら、二人は決勝の舞台へと上がった。




