ひとまずは。だけれども。
「おかげで大きな収穫があったよ、ありがとう、メルツェデス嬢」
あれから、何とかハンナに気付けを施した後、家具職人のジョニーを心配していたおかみさんのところへ送り、メルツェデス達一行はまたブランドル一家のカジノ、その特別室へと戻ってきていた。
ちなみに賭場の連中は違法賭博で衛兵達が連行していったのだが、彼ら自身はあくまでも違法なレートで賭博をしてはいただけであり、協力的な態度で情報提供をした分、ある程度お目こぼしもあって罰金刑だけとなりそうだ。
ただ、その後は根性を鍛え直すためにプレヴァルゴ・ブートキャンプ行きが決定している。
それを聞いた剣士は思わず喜び、そんな彼を信じられないものを見るような目で破落戸連中は見ていたが。
やはり元騎士からすれば、プレヴァルゴのキャンプは畏怖と憧れがあるのだろう。
そんな形で、この一件には、片が付いた。
「いえいえ、とんでもございません。それに、まだこれからが、ですもの」
エドゥアルドが感謝を伝えれば、メルツェデスは恭しく頭を下げて応え。
それから、すぐに表情を改める。
あくまでも今回捕らえたのは切り落とされる前の蜥蜴の尻尾。
本丸には、まだまだ至れていないのだから。
「そうだね、ここからが本番……それでも、彼へと至る道筋がはっきり見えたことは大きいよ。
何しろ、ジェミナス伯爵がなにやらきな臭い、ということはわかっていたけれど、まさか『魔王崇拝者』と繋がっている可能性がある、だなんて思いもしなかったからね」
ジェミナス伯爵が野心家であることはわかっていたし、何かを企んでいるらしいことはわかっていた。
中央から離れた地で経済的にも軍事的にも力があるとなれば、そうなることもあるだろう。
これで領地を広げ更なる権益を、程度ならばまだ良かったのだが。
「まだ明確な証拠はございませんが……もしそうであれば、国家転覆程度は考えていてもおかしくはございませんね」
今回の件は、あくまでも王城や学園に入れる手先を確保しようという動きであって、最も疑わしくはあるが、その大元が『魔王崇拝者』なのかは、まだはっきりとはしていない。
だがもしそれが確定すれば、魔王を復活させ社会秩序を崩壊させようとしている連中と、その秩序を守る側の人間が手を組もうとしている、ということになる。
それはつまり下剋上、反逆を企てているということに他ならない。
「一先ず、違法賭博をやってた連中から送金を受けてたっていう証拠は出たのは幸いだね。
問い詰めたところで伯爵は白を切るだろうけど……王家の密偵を大規模に動かす大義名分としては充分だから」
プレヴァルゴ家の密偵には劣るが……いや、そもそもプレヴァルゴ家の密偵のレベルがおかしいのだが……王家とて充分な質の密偵を多数揃えている。
彼らを動員してジェミナス伯爵領に潜り込ませれば、更なる情報を得られる可能性は高い。
「ただ、密偵の皆さんには、命を最優先で、逃げる時は迷わず逃げるよう伝えておくべきかとは」
「それは確かに、ね。本当に『魔王崇拝者』と繋がっているのなら、凶悪な魔物を貸し出されている可能性はあるし」
「左様でございますね。ガーゴイルなどの一見置物のように見える魔物ですとかも、居ておかしくはないでしょうから」
先日メルツェデスが対峙したような大型の魔物は、目立つのでいないだろう。
だがしかし、サイズは小さくとも恐ろしい魔物もまたいるものだ。
それらを避けながら潜入するのは、本当に命がけとなるのは想像に難くない。
「……本当に、すぐには赴けないのが残念で仕方ありません」
「あなただったら全部叩き斬れるんだろうけど……流石にそれは、目立つからねぇ」
「わかっております。ええ、わかっておりますとも。ですから、わたくしが行くのは諦めました」
苦笑するエドゥアルドへと、メルツェデスは若干わざとらしい溜息を吐いて見せる。
ハンナに諭された今となっては、本当に行くつもりはない。
ただそれでも、まだ見ぬ強力な魔物と一戦交えられないのは残念でならないのだ。
「お嬢様、代わりにミラを行かせましょうか」
「そうねぇ、正直それもありなのだけれど……いえ、だめね。連中の狙いを考えると、ミラには学園に張り付いてもらった方がいいわ」
ハンナの提案にメルツェデスは頷き掛けて……それから、ゆっくりと首を横に振った。
学園への侵入を、今回のこれで諦めたとは思えない。
もちろん学園側も堅固な警備態勢を取ってはいるのだが、今回のことを考えるに、どんな手段を取ってくるかわからない。
であれば、何かと器用で対応力の高いミラを張り付かせるのは、悪くない選択のはずだ。
「今度はこちらから反撃、と思っていたところで足下は掬われるものだし、それは面白くないね。
足下を固めながらも時にチャレンジもして……バランスを取りながら、かな」
そう言って纏めると、ぱん、とエドゥアルドは軽く手を叩いた。
「ということで、今できることはそんなところ。
明日からこそ、メルツェデス嬢も盛夏祭を楽しんでおいでよ。ちょうど剣術大会もあることだし」
「そうですわね、新人の部で出させていただきますし、父も成人の部で出ますから」
「お前のような令嬢がいてたまるか!」に続いて「お前のような新人がいてたまるか!」と各所から全力でブーイングされそうなことをさらりと言うメルツェデス。
しかし、実際に彼女はルール的には新人なのだ。
成人を迎えたとはいえ16歳はまだ年若い。故に、こういった大会では成人から2年経つまでは新人として扱われるのが常である。
……普通の16歳ならば。
現状ではギュンターも十二分に規格外、魔術が使えないがフランツィスカも充分に驚異的。
だが、この二人と比べても更にメルツェデスは破格、もはや論外である。
それでもルールはルール、彼女は新人の部に出ないといけないのだ。彼女自身も不満ではあるが。
「だよねぇ。……今年は、ブックメーカーとしては史上最悪なんじゃないの、親分さん」
若干同情の色を交えてエドゥアルドはブランドルを見る。
この剣術大会は規模も大きく、優勝者を当てる賭けも勿論行われているのだが……近年は少々盛り上がりに欠けていた。
何しろ、この十数年、ガイウスが連覇を続けているのだから。それも、圧倒的なまでの勝ちっぷりで。
そのためほとんどがガイウスに賭け、実際ガイウスが勝ち、払い戻し。
倍率は1.1倍を切ることもザラ、とあって賭ける側にも胴元にも旨味が少ない状況になってしまっているのだ。
それでもまだ新人の部は誰が勝つかわからない面白さがあったのだが、そこにきてメルツェデスが出場するのだから、最早どちらの部も倍率は1.1倍以下になるのは目に見えている。
だというのに、ブランドルはどこか余裕の表情である。
「仰る通り、普通のとこでしたら泣きが入るのでしょう。
ですがうちは、ちょっと前からお嬢様のご意見を取り入れまして、少し変わった形にしているものでして」
「変わった形?」
問い返すエドゥアルドにブランドルが答えたのは、こうである。
つまるところ、現代日本の競馬などのように、1位を当てるだけでなく2位に誰が来るかも当てる形の賭け方も出来るようにしたのである。
こうすれば、1位はガイウスで堅いとは言えども、2位は誰が来るかわからない。
去年までの実績を考えるか、今年の成長を重視するか。
おかげで去年はブランドル一家の賭場だけは大いに盛り上がったものだった。
「今年はさらに3位まで予想するものや、2位や3位に入ればそこそこ戻る、なんていう賭け方もご用意しておりますわ」
ブランドルの説明に続けたのは、メルツェデス。
そう、この賭け方の発案者は彼女だった。
現代日本で一応多少競馬も知らなくはなかった彼女は、賭けの盛り上がらなさに悩むブランドルへと助言し、結果去年は過去最高の売り上げを出したりしている。
「もっとも、おかげで払い戻しの計算がえらく大変になってますがね」
などと嘯いてブランドルは肩を竦めるが、確かに嬉しい悲鳴ではありつつも、それなりに算術の出来る者を臨時で雇うなどして何とか回していたりと抜かりはない。
今年もここで一稼ぎ、とは考えているのだろう。
「なるほど、面白いこと考えるねぇ。これなら、考えられる賭け方も多くて盛り上がりそうだ」
「ええ、すでに前日から盛り上がっておりまして。ああ、折角ですしノイエさんもいかがですか」
そう言いながら、ブランドルは対戦表をエドゥアルドに見せる。
これは、あくまでも社交辞令のつもりだった。
だが、エドゥアルドはそれに乗っかってきた。
「いいねぇ、親分に負けた分を取り返さないと。……でも、ならこれで決まりだね。
1位ガイウス卿、2位にジタサリャス男爵、で」
さっと対戦表を見たエドゥアルドは、ほとんど悩むことなくそう告げて、硬貨を1枚置く。
それも、金貨を。
クララの義父であり、衛兵達が晴れ舞台に送り出そうと奮闘していたジタサリャス男爵。
彼を、エドゥアルドは迷うことなく推した。それも、かなり強烈に。
「なるほど……今年初出場ということであまり票を集めてはおりませんが、衛兵隊長としての実績を見れば実力は高そうです。流石ノイエさん、目の付け所が素晴らしい」
「おだてないでよ、これで外れたら恥ずかしくなっちゃうじゃないか。
……まあでも、彼は強いと思うよ、間違いなく」
「おや、そう言い切れる材料が何かおありで?」
事情通のブランドルでも知らない情報を、エドゥアルドは持っているのだろうか。
もちろん口外はしませんとブランドルが言えば、エドゥアルドは肩を竦めて見せた。
「材料って程でもないけどね。職務に忠実で堅物な彼が、今まで出なかった大会に出る。
ってことは、出場を決意した、何か大きな理由があるんじゃないか、ってね。
彼の性格からしたら、そんなものを背負ってたら……そりゃ強くなるだろうな、って思ったわけさ」
「……この情報はちょっとこう、インサイダー的な……いえ、しかしジタサリャス様の性格を知っている人は、かなりいるでしょうから……」
これは胴元として受けて良い賭けなのだろうか、と少しばかりブランドルは考える。
情報の統制などあまりされていないこの時代、まして出るのは専業の剣闘士などではなく、腕に覚えのある騎士や剣士、冒険者などなど。
であれば、それぞれの個人情報を持っている者も当然いる。
ただ、今まではその情報が意味を失う程にガイウスが圧倒的だっただけで。
今回、それが意味を持ってしまうような予感がしつつも、ブランドルは受けることにした。
「かしこまりました。では、1位ガイウス様、2位ジタサリャス様で確かにお預かりいたします」
「ありがとう、親分。ああ、当たったときは払戻金はジムに預けてもらえる?」
「文字通り荷が重すぎやすよ!?」
いきなり名指しにされたジムが悲鳴のような声を上げ、特別室には笑い声が響いたのだった。




