獅子身中のドラゴン。
ガシャン、とルーレット台が落ちる音が響く。
いや、もうその時点でおかしいにも程があるのだが。
ガランガラン、とルーレットが奏でる断末魔だけが響く空間で、一人メルツェデスだけが誇らしげに立っていた。
その右手で、片手で、大の男の首根っこを掴み、高々と掲げながら。
あまりにシュール。
それでいてどこか神々しい。
前衛絵画のような光景に、誰もが言葉を失っていたのだが。
「あ、あっはははは! まさか、そうくるとはね!
いや、確かにルーレット台の下に何か仕掛けがあるんだろうとは思っていたけど、それを下からぶちまけるとかさぁ!」
沈黙を破ったのは、エドゥアルドの笑い声だった。
この場に居る者全員が肝を潰されたような顔をしているというのに、彼一人が、それはもうおかしそうに笑っている。
確かに、おかしいと言えばおかしい。色々な意味で。
ただそれは、笑える類いのおかしさではないだろう。普通の胆力ならば。
だから大半の人間は今も言葉を発していないし、何なら笑えているエドゥアルドを信じられない目で見ているくらいだ。
「あらノイエさん、お褒めに預かり光栄ですわ?」
にっこりとした笑みを見せながら彼の偽名を口にしつつ、メルツェデスが台から出てくる。
その間も台の下にいた男の首根っこからは手を離さず、片手で引きずるように……と言うには軽々と引っ張り、エドゥアルドの傍へとやってきた。
そうすれば、周囲から向けられる視線は最早化け物を見るかのような目になっている。
そんな視線を気にした様子もなく、イカサマの証拠たる男を、ぺいっと床に放り出す。
……びくびくと痙攣したように動いているから、生きているのは生きているらしい。
「そうそう、色々面白いものが見つかった上にジョニーさんも先程無事発見しまして、外へと誘導いたしましたわ」
先程メルツェデス達が発見した、地下へと続く通路。
その先には、イカサマにはめられた男達が閉じ込められている部屋があった。
家具職人のジョニーはもちろんのこと、他にも数人。
話を聞けば、いずれも家具職人だとか大工だとかの職人達。
その人選に色々と思うところはあるが、その話はまた後でもいいだろう。
「それは良かった、無事だったなら何よりだよ。……ということは」
メルツェデスの報告を聞いて、エドゥアルドはほっと一息零す。
それから、笑みを張り付かせたままゆっくりと周囲を見渡した。
その視線の圧に、自分達は無関係だとばかりにそそくさとさがる、仕込みでない客達。
さがるにさがれないのは、この賭場の関係者くらいのもの。
何しろイカサマをここまで白日の下にさらされたのだ、ここで黙ってメルツェデス達を帰してしまえば、夜道に気をつけないといけない生活が待っているのだから。
二つの意味で必死な彼らへと、メルツェデスも楽しげな笑みを向けて。
「ええ、ということは、もう気兼ねなく暴れて大丈夫、ということです」
「いや、そこまで暴れたいわけじゃなかったんだけどね?」
それはもうノリノリで、愛用の両手剣……よりは短い、潜入任務用と言って作ってもらった片刃の剣を抜き放つメルツェデス。
若干低い温度感で答えるエドゥアルドは、ひょい、と両腕を一振り。
両袖から一本ずつ、金属製の短杖が飛び出てきたのを掴む。
前腕程度の長さであるそれは、護身用の武器としてそれなりに使われているもの。
そして、それを持つエドゥアルドの手つきは、明らかに慣れていた。
「な、何が暴れて大丈夫だ、たった二人で何が出来る!」
この場のリーダーらしい先程までディーラーを務めていた男が声を張り上げる。
……明らかに虚勢を張っているだけなのだが、虚勢が張れるだけまだましなのかも知れない。
もっとも、そんな虚勢が通じる相手ではもちろんないのだが。
「あら、二人ではなくってよ? ハンナ」
「はい、お嬢様」
メルツェデスの呼びかけに、唐突に現れたハンナが答える。
気付いていなかった男達はぎょっと目を剥き、エドゥアルドはそれはもう面白そうに笑みを深めた。
「ハンナは……ノイエさんのサポートをお願い。それから、サムとゴンザも」
指示に従いハンナが無表情でエドゥアルドの傍に控えた後、周囲で野次馬のように推移を見守っていた男が二人、さっと駆け寄ってくる。
ばっと被っていたフードを取り払えば、出てくるのはいかつい人相の男達。
流石にエドゥアルドと男爵だけを囮にするわけにはいかず、ゴンザとサムが密かに護衛に付いていたのだ。
「お、おい、ありゃ『鉄拳のサム』と『鋼のゴンザ』じゃねぇか!?」
「まじだ、なんでブランドル一家の連中が!?」
二人の顔を見て、一部の人間がざわつく。
こういった賭場に出入りする連中だ、裏のあれこれに通じているのもいるのだろう。
「あらあら、サムもゴンザも有名人ね?」
「からかわねぇでくだせぇ、あっしらなんてまだまだで」
「そうそう、よっぽどお嬢様の方が有名でしょうに」
メルツェデスが揶揄えば、ゴンザもサムも揃って首を振る。
確かに二人はその筋でもそれなりに有名ではあるが、もちろんメルツェデスには及ばない。
比べるのがそもそも間違っているのかも知れないレベルで。
「ちょ、ちょっとまて、ゴンザとサムが、お嬢様と呼んだぞ……?」
「え、ちょまてよ、まさか、あの女……いや、あのお方は……」
その言葉に、ざわついていた一角が一気に押し黙る。
改めてみれば、艶やかな長い黒髪に勝ち気な表情をした令嬢と思しき美少女。
その特徴は、彼らが想像した人物に合致していた。
そして、あともう一つ。
「……ね? お嬢様の方がよっぽど有名でしょう?」
「まあ、誰が呼んだか、と自分でも言ってしまうこともあったものねぇ」
ゴンザが言えば、しみじみとした口調で己の言動を思い返すメルツェデス。
ちなみに、思い返しただけで反省もしていないし後悔もしていない。メルツェデス・フォン・プレヴァルゴとは、そういう令嬢である。
「ならば、皆様の期待に応えて名乗らせていただきましょう!
恐れ多くも国王陛下よりお許しいただいた、この『天下御免』の向こう傷!
メルツェデス・フォン・プレヴァルゴ、世に言う退屈令嬢とはわたくしのことですわ!」
高らかに、歌い上げるように言いながらメルツェデスの手が前髪を踊らせる。
その向こうに、真紅の三日月が鮮やかな輝きを見せていた。




