ミッション・ポッシブル
派手に勝つでもなく、大負けして荒れるでもなく。
静かに的確に降りていく、というある種の離れ業でエドゥアルドが賭場の空気を支配しだしていた頃。
メルツェデス達は、その賭場へと密かに侵入していた。
「……大丈夫です、誰もおりません」
窓を塞ぐ板をずらして中を覗き込んだハンナがそう言えば、背後でメルツェデスが頷く気配がする。
ちなみに、当然こんな治安の悪い場所で、さらに違法レートでの賭博をしているのだから戸締まりは強固にされているはずなのだが、ハンナが何やらしたと思えば、あっさりと開いてしまった。
立て付けも悪そうだというのに、板はゆっくりとではあるものの音もなく開き、細身の人一人が通れる隙間が確保される。
まずはこういった侵入に慣れているハンナが先に窓へと取り付き、もう一度中を確認すると音もなく部屋の中へするりと降り立った。
その後に続いて、メルツェデスもまた軽々と窓枠を越えて侵入する。
とん、と小さな小さな音。ハンナでようやっと聞き取れる程度の音を立ててしまったのは、流石に不慣れ故だろう。
いや、不慣れでそれはどういうことだと、クリストファーかエレーナがいたら突っ込んでいたところだろうが。
ともあれ気付かれることなく入ったそこは、どうやら物置のよう。
雑然と様々なものが置かれているが、あまりめぼしいものは無いようだ。
「流石に、こんなところに大事な帳簿だなんだはおかないわよねぇ」
「恐らくはそうでしょうが、万が一ということも……いえ、なさそうですね」
「あら、どうしてわかるの?」
イヤイヤながらも捜索しようとしていたメルツェデスが、ハンナの言葉に止まる。
そんなメルツェデスへとハンナは向き直り。
「あちこちに埃がつもり過ぎています。ということは、ここに頻繁に取り出すようなものはない、ということかと」
「なるほど、偽装して隠していたとしても、わざわざ埃をかけ直すだなんてことはしないわよね」
「仮にそれをしていたとしても、不自然さはどうしても出ますからね」
ハンナの説明に、メルツェデスは納得したように頷く。
外から漏れは居る薄明かりの中で。
この明かりの中でハンナは埃の積もり具合に気づき、メルツェデスも納得した。
二人とも、この程度の明るさがあれば充分に見える程に夜目が利くらしい。
「となると、他の部屋を探した方が良さそうねぇ」
「はい。……廊下に人はいないようです」
「もしかしたら、ノイさんが賭場で大活躍して、皆そっちに行ってるのかしら」
「あの方でしたら、ありえるのが……」
冗談めかして言うメルツェデスに、ハンナは微妙な顔である。
そして実際今、あまりに負けなさすぎるノイエことエドゥアルドのイカサマチェックのため、複数人が呼ばれて動員されていたりするのだが。
先程の打ち合わせで、エドゥアルドが賭場でカモられているフリをしている間に、メルツェデス達が侵入して資金の流れが追える資料などがないかを探り、あるいは上と繋がっていそうな人物がいれば確保する、という手筈になっていた。
エドゥアルドがカモられるなり無類の強さを発揮するなりすれば、責任者的人間が出てくるはず。
そうでなくとも、彼を大負けさせるために、あの手この手が使われるだろう。
今彼がカードでじわじわ削られているのは、メルツェデス達が裏で動く間の時間稼ぎでもあったのだ。
賭場の現状はわからないが、今動きやすい状態なのは事実。
音と気配をもう一度確認した後、ハンナが先に立って廊下へと出る。
ハンナとしては、メルツェデスの後ろに付き従いたいところ。
お付きという立場もそうだが、何より今のメルツェデスは珍しくパンツルック。
つまり、背後に立てば、普段見られないお尻のラインが見えるのである。
だが、探索慣れしている彼女が前に立つのは道理だし、敵地で主を前に出すのも避けたいところ。
いや、メルツェデスならば問題はないのだろうが。
ともかく、職務と感情を秤に掛けて、職務を優先してハンナは前に立っているのだった。
「次はこの部屋……やはり人の気配はありませんね。少しお待ちください」
ハンナがそう言ってしゃがみこめば、メルツェデスは周囲へと視線を向ける。
然程待たせることもなく鍵を外したらしく、す、とまた扉が開いた。
忍び足で中へと入れば、今度は酒瓶などがやたらと置いてある。
「ここはお酒の置き場所かしら。……仕方ないのでしょうけど、あまり質の良いものではなさそうね」
「こういうところで好まれるのは安くて酔えるものでしょうし、もしかしたら悪酔いしやすいから出している、という可能性もありますね」
「つくづく、ブランドルは良心的すぎるわね……」
悪酔いしたギャンブラーほどカモにしやすいものもないだろうし、この賭場ならばそういう客を意図的に作るくらいはするだろう。
ここで遊ぶことはないだろうな、と思いながらメルツェデスは部屋の中を軽く探り。
「まあ、ここもないわよねぇ」
「ええ、酒を置いている、ということは人の出入りが多いでしょうし、うっかり濡れるなんてこともあるでしょうから」
「となると……隣が物置、ここはお酒の置き場所。この当たりは重要な物を置いてない部屋が多そうだし、もう少し離れたところから探った方がいいかしら」
メルツェデスがそう提案するも、珍しくハンナが首を横に振った。
「時間を考えればそうしたいのですが……出来ればしらみつぶしに行きたいですね」
「あら、どうして?」
反論され、メルツェデスは不思議そうに小首を傾げる。
何しろこうした潜入捜査においてはハンナの方が先輩なのだ、その意見は傾聴すべき。
と殊勝な態度のメルツェデスに、ハンナは『流石メルツェデス様』と感心していたりするのだが。
「……そうですね、丁度お教えできそうです」
そういうと、ハンナは唇に人差し指を当てた。
その意味するところを察してメルツェデスが黙れば、足音を立てずにハンナは一人で扉の前に進み。
しばらくの静寂の後、足音が聞こえてきた。音からして、一人。
部屋の中にいるメルツェデス達に気付かず、そのまま通り過ぎて。
男の背後で、静かに扉が開き。背後に忍び寄ったハンナがきゅっと腕を男の首に巻き付け、一瞬で締め落とした。
気を失った男を酒置き場へと引っ張り込み、手足を縛って騒げないよう猿ぐつわも噛ませる。
それらが終わってからメルツェデスへと振り返り。
「と、このように隠れたり、排除した人間を隠したりできるわけです」
「なるほど、長時間の潜入でなく短時間での捜索なら、こういう手もありなわけねぇ」
もちろんこうして隠した人間が見つかることもあるだろうが、短時間の捜索であればその前に離脱できる可能性が高い。
なんなら、手当たり次第に全員気絶させて部屋に放り込んでしまう、までありだ。
少なくともメルツェデスとハンナの二人ならば充分に可能だ。
「なら、この調子でどんどんいきましょう」
「かしこまりました、お嬢様」
声を抑えながら宣言するメルツェデスに、ハンナが恭しく頭を下げる。
そう、今は二人きり。彼女達を止める人は誰も居ない。
こうして二人は、次から次へと賭場の人間を締め落としては部屋に放り込んで探索を続けていった。
「……ここは、帳場みたいね」
「そのようです。やはりこういう場所が一番可能性は高いかと」
「そして、ちょうどそこにいかにもな金庫もあるわね」
メルツェデスが指させば、即座にハンナが解錠に取りかかる。
流石に今までの扉のように簡単にはいかなかったものの、程なくして金庫の鍵も開けられた。
「これは……なるほど、マル秘な感じの帳簿に……危なそうなお薬、かしら」
「そちらの薬は手で触らない方がよろしいかと」
「あら、やっぱり?」
ハンナの忠告に軽く肩を竦めると、メルツェデスは帳簿の方に目を通していく。
出来れば精査したいところだが、今は時間が惜しい。
流し読みのように次から次へとめくっていけば、ちらほら気になる名前も目に飛び込んでくる。
「……これって……いえ、まだ結論づけるのは早いけれど……」
もしもそうなら、これは大きな手がかりになる。
なるほど、これなら足取りが辿れないのもわからなくはない。
思考を巡らせていたメルツェデスへと、ハンナから声がかかった。
「お嬢様、こちらに地下への入り口がございます」
「地下……やはり秘密の隠し場所と言えば、地下よね」
一つ成果が得られたからか、メルツェデスは思わず目を輝かせ。
いやいやいけないいけない、と気を取り直してからしばし考える。
「この帳簿だけでも悪くない成果だけれど、出来ればもっと直接的な証拠も欲しいし……探ってみましょうか」
「はい、かしこまりました」
この賭場が、その資金の動きが怪しいことは間違いない。
であればその先に、『魔王崇拝者』の尻尾がぶら下がっている可能性は、あるのだ。
それが掴めるのならば。
「虎穴に入らずんば、とも言うものね」
そんなことを言いながら、メルツェデスはハンナとともに地下への入り口へと入っていった。




