遊び人の顔と、王子の顔と、もう一つ。
※いただいた感想で気づいたのですが、エドゥアルド登場の場面で、彼は現在『ノイエ』として振舞うために変装をしているという描写が抜けておりました、申し訳ありません。
こちらについては該当箇所に追記もいたします。
エドゥアルドの問いに答えられなかったわけは、至極簡単なことだ。
勝っているのに何を当たり前な、ということではない。
むしろ、その逆だ。
「確かに、わたくし達は今まで彼らの企てを退けてまいりました。
ですが、言われてみれば、それで勝利条件に近づいたかと言われれば、首を捻らざるを得ないですわね」
数秒考えた後に零れたメルツェデスの言葉を受けて、エドゥアルドも重々しく首を縦に動かす。
「そう、場面場面、局面局面ではあなたを始め皆勝利を収めてきた。
普通であれば、これらによって相手の戦力を大幅に削ぎ、勝利へと近づいているはず。
だけど、僕には全くそんな手応えは感じられないし、陛下もそうおっしゃってたよ」
メルツェデスも漠然と感じていた違和感。それをエドゥアルドは、より鮮明に感じていた。
いや、むしろメルツェデスだからこそ、強く違和感を感じられなかった、と言ってもいいだろう。
人間関係においてはゲームの枠を外れることが出来たメルツェデスだが、全てが全て、とはまだ言い切れない。
こと魔物に関しては、ゲームでは無限に湧いたものだし、どこかでそれが当たり前だと考える意識があった。
だが、ここが現実の世界であれば、それは考えられない。少なくともゲームのように次から次へと湧いて出るわけはないし、もしそうであればとっくに溢れた魔物によって流通網は壊滅しているだろう。
しかし、そんなことはない。
魔物もまた、本来は有限なのだ。
「今回『魔王崇拝者』達はあれだけの戦力を、分散して注ぎ込んできた。それも、王都外縁部に。
ということはつまり、連中の狙いは他にあり、それは恐らく王城への侵入。
これ自体はわかりきったことではあるんだけど……そのために、あの戦力が、なかば捨て駒として使われたということでもある。
それが意味するところは、わかるよね?」
「敵主力は温存されており、彼らにとってこの失敗は大きな痛手ではなかった。そうおっしゃりたいのですよね?」
「うん、その通り。実際に、どこまでの痛手なのかはわからないけど……少なくとも、今回の計画は、何が何でも成功させないといけないものではなかった。
もしそうなら、流石に最高責任者が出張るなりしただろうしね」
メルツェデスの返答に、エドゥアルドは我が意を得たりとばかりに……そして同時に、苦いものを滲ませながら頷いてみせる。
それが意味するところ。それは、恐らくメルツェデスの方がより良くわかっていたかも知れない。
「あの戦力ですら失敗しても諦めが付く程度のもの。それは即ち、それ以上の戦力を保有している、もしくはあてがある。
つまり、魔王復活は為されている……いえ、それでしたら攻め込んできていますわね。
となると、魔王復活の準備は出来ている……もしくは目処が立っている。後はそれをいかに良い条件で為すか、ということですか」
「恐らくそうじゃないかと思う。そして、魔王復活のためには絶対的な条件があるんだろうね」
「それが『魔王崇拝者』の首領。彼がいなければ魔王は復活できない。だからこそ、これだけ慎重に、絶対に彼にたどり着けないことを最優先に振る舞っている、と」
そこまで口にすると、メルツェデスは小さく溜息を零す。
彼女の記憶でも、魔王復活の儀式はどうやら黒幕のみが知っていたような描写がされていた。
だからこそ『魔王崇拝者』の首領として君臨することも、あれだけの人員を動員することもできるのだろう。
「となると、魔王復活をさせてもいいと彼らが判断する前に片付けなければならないわけですわね」
「そういうこと。そしてそのためには多少は強引な手段が必要になるだろうし、このチャンスを逃すのも勿体ないということでもあるわけさ。
何しろ、向こうは居場所のわからない首領を討たれなければ、戦略的には敗北したことにならないわけだからね」
「組織の規模が違いすぎるので、戦略的勝利敗北を論じていいものかはわかりませんが……おおよそ、おっしゃりたいところはわかりました」
溜息を飲み込んで、メルツェデスは考えを巡らせる。
ゲームにおいては、『機が熟した』程度の説明しかされていなかった、魔王復活のタイミング。
それがどういうことなのか考察していたサイトもあったようだが、残念ながらメルツェデスは前世でそれらを漁ってはいなかった。
そもそもユーザーの考察でしかないのだから、当たっているかどうかは怪しいものだが。
となると、彼らが魔王を復活させるトリガーが何かがわからない。
そのことに思いが至れば、背筋に冷たいものが走った。
「とはいえ、だ。じゃあ向こうは戦略的勝利を意識しているのかと言われたら、それも怪しい。
どうにもチグハグだからね。今となっては、どうやらジーク憎しで動いているところもあるみたいだし」
「ああ、それは確かに。もし国を落とすつもりであれば、狙うべきは国王陛下。
ですが、ジークフリート殿下の排除を最優先しているようには見えます。
『闇払う炎』の事を考えると、ある意味当然ではありますが……」
そこまで口にしたところで、メルツェデスはふと言葉を切った。
それから、しばし考えて。
ジトリ、とした疑いの目をエドゥアルドに向けた。
「殿下、まさかとは思いますが」
「あ~……ほんっと頭の回転速いなぁ。誤解の無いように言っておくけど、命を捨てるつもりは毛頭ないからね?
それに、あの生真面目なジークの性格だと王位に就いたらストレスが酷いだろうから、僕が就いた方がいいだろうとも思っているし」
懐疑的なメルツェデスの視線に対して両手を挙げる降参のポーズを取りながら、エドゥアルドは苦笑を見せる。
その表情は、いつものように軽く見えて、しかし、その目は真剣な光を帯びていた。
「ただ、ね。能力的には僕と比べても申し分ない。つまり、万が一の時に僕の代わりは充分こなせる。
だけど、僕にジークの代わりはできないからね。
ああ、もちろん光属性を使えるクララ嬢がいるというのもわかってはいるんだけど、有効な戦力は確保しておくべきだろう?」
「それは、そうなのですが……それでも、やはり御自ら、というのは……」
「いやぁ、これがねぇ。自分で言うのもなんだけど、上手くこなせそうなのが、僕くらいしかいないんだよね」
まだ折れないメルツェデスへと、エドゥアルドはへにゃり、緩んだような困ったような顔を見せる。
言われて、彼女の知る学園の貴族令息達の顔を思い浮かべ……反論できずに口を噤む。
「身分的にはリヒターなんておあつらえ向きだけど、どう考えても性格的に向いてない。多分演技とか下手だし。
そういう意味ではジークもそう。というかそもそも、今一番危険に曝したくない存在だしね」
「……それなら、ギュンターさんはいかがですか?」
「ギュンターはねぇ……肉体派に見えて腹芸もできるから、そういう意味でありはありなんだけど……素人でもわかるくらい、嵌めようとしたら物理で突破されるのが目に見えてるでしょ」
「確かに、最近風格も出てきましたものねぇ……」
エドゥアルドの返答に、納得したようにメルツェデスは頷く。
実はキャンプから帰ってきた後、クリストファーとギュンターの訓練に立ち会う機会があった。
ついでに、請われるまま練習試合に一本付き合ったのだが、また鋭さが磨かれたメルツェデスの攻撃を、それでも瞬殺されずにある程度は耐えるだけの堅固さを見せている。
彼もまた、この夏で成長していたのだ。
「他の令息達だと、こんな囮捜査に耐えられるだけの素養を持つのはいないし。
一番適任なのはもちろんあなただけれど、顔が知れ渡っているし……一昨日の夜に大活躍してくれた功労者をこき使うのも申し訳ないじゃないか」
「別に動く分には構いませんが、顔が知られているのは否定出来ませんわね。……まさか、ここでこんな足かせになるとは……」
今更言うまでもなく、メルツェデスは庶民の味方として知れ渡っている。
困ったことに、その特徴的な容貌も含めて。
であれば、どれだけ彼女の演技が上手く、カモれそうな雰囲気を醸し出そうとも、彼女を嵌めようとする人間はいないだろう。
ついでに言えば、彼女相手にイカサマを見抜かれないという自信がある者もいるわけもなく。
「となると、市場調査で街を歩き慣れている僕が適任ってことになっちゃうんだよね。もちろん変装は必須だけど」
「え。し、市場調査だったんですかぃ?」
ぽりぽりと頭を掻くエドゥアルドに、ジムが目を見開きながら問いかける。
今まで散々あちこちに付き合わされた彼からしてみれば、それはとんでもなく意外な言葉だった。
「ああ、ジムには言ってなかったかな?
例えば、『ここは僕の奢りだ~』っていつもの調子で言うじゃない。
そうしたら、ちゃんと食べられてる地域だと皆普通に盛り上がるだけだけど、これが食うに困っている地域だと、一気に目がギラつくんだよね。この機を逃してなるものか、ってばかりに。
もちろん普段から景気動向の報告は上がって来てるんだけど、数字と実際の乖離ってあるからさ」
「そ、そんなことをしてらしたんですか……」
「父上が言ってたよ、酒の飲み方は財布の鏡ってね。そういう細かなところは、書類とにらめっこだとわからないよね」
その後、『あっしはつい、ただ遊んでらっしゃるばかりかと』と馬鹿正直なことを言いそうになったジムは、慌てて自分の口を押さえた。
いくら連れ回されるくらいの間柄とは言え、言ってはいけない言葉もある。
まあ、こうやってわきまえる時はわきまえるからこそ、なおのことエドゥアルドに気に入られているのだが。
「って言っても、それに気がついたのは数年前だし、それまでは普通に遊んでただけだから、あまり誇らしげに言うものでもないけど。
流石に正式な王太子となった後に出来ることでもないから、今のうちに乖離を感覚的に掴んでおきたくて、ね」
そう答えるエドゥアルドの表情には、少しばかり寂しげなものと、覚悟を決めた人間のそれがあった。
ただ。それでもまだ、メルツェデスは腑に落ちないでいた。
「殿下ご自身が囮となる理由は、ある程度は理解しました。
しかし、最適でなくとも、他の令息や成人した貴族、あるいは貴族家の次男三男などを立てることも出来るのでは」
「まあ、ねぇ。もしかしたら、他の人でも出来なくはないかも知れないけれど、やっぱり最善は僕だろうからねぇ。
いつ連中が切り札を切ってくるかわからない状況だったら、最速の手段を取るべきじゃないかな。
というのは、王子としての見解でね」
そこで一度言葉を切ったエドゥアルドは、しばし逡巡し。
少しばかり照れたような顔で、口を開いた。
「……兄としては、さっさと首領をとっ捕まえて、ジークには代わりのいる気楽な立場になって欲しいんだよね」
その表情には、軽薄な遊び人でもなく、作られたように理想的な王子でもなく。
一人の兄としての顔が見えていた。




