一夏の経験、といえばそうかも知れず。
そんな、メルツェデスとヘルミーナがほんわかした空気を醸し出していた祭り初日の、その夜。
「何でだよ、何で何も起こんねぇんだよぉ!?」
一人の男が、王城近くにある建物の地下で騒いでいた。
本来であればとある商会の事務所として機能している場所なのだが、祭りの夜とあって彼以外は誰も居ない。
むしろ、遅番の者にも休みを与えていたくらいである。
そこまでして彼は、今この場に、彼一人がいる状況を作っていた。
そして、それが空振りに終わった。
「おかしいだろ、なんで四カ所に散らしたってのに、どこでも騒ぎになってねぇんだ!?
一カ所だけでも大騒ぎなはずだぞ、あいつらなら!」
喉が張り裂けんばかりに声を上げながら、男は思わず壁を力一杯殴った。
当然凄まじい痛みが生じるのだが、今の男はそれを認識出来ていないようだ。
実際、一体でも討伐に騎士団が派遣されるような魔物が、それぞれの場所で少なくとも四体以上配置されていたのだ、大騒ぎにならないはずがない。
召喚前に取り押さえられでもしない限りは。
つまりそういうことなのだろう、と直ぐに気付く程度には、男の頭の回転は速かった。
「くっそ、やっぱりあいつの仕業か。何でだ、どうやって嗅ぎつけたってんだ?」
このテロ行為自体は、ゲームのイベントには全くなかった。
というか、むしろこの盛夏祭は主人公と攻略対象がデートして仲を深めるという甘酸っぱいイベントでしかない。
こんな殺伐とした企てなど、一切出てこなかった。
だというのに、まるで事前にわかっていたかのように襲撃は潰された。
彼は気付いていない。
今までの彼の企てたあれこれが、メルツェデス達の警戒レベルを引き上げていたことを。
何より、違和感に気付くくらいには衛兵達が優秀であり、やれることを全力でやりきるだけの士気を持っていたことを。
「この分だと……ああくっそ、王城の警備もいつも通り、これじゃ忍び込むなんて出来やしねえ」
外に放っていたコウモリ型使い魔の視界を借りて外の様子を窺えば、王城の前を守る衛兵達はいつもの通りに油断なく視線をあちこちに向けている。
夜ともあって当然複数人が詰めており、それぞれが王城の門番たり得るだけの猛者の空気を醸し出していた。
つまり、突破などとても出来そうにない。
彼が召喚した魔物を使えば勿論突破は出来るだろう。突破だけならば。
ただし、その大暴れっぷりに彼が巻き込まれる可能性はゼロではない。
更に、勢いで突破して、城の奥から、それこそ『魔獣討伐訓練』で大暴れしていたガイウスクラスの騎士でもやってきた日には、その魔物すら討伐されかねない。
だから、街の外縁で大騒動を引き起こすつもりだったのだが。
それで王城内に忍び込み、シャドウゲイトの出入り口を設置できれば最低限それでよし。
混乱の状況によっては、一気に国王や王子達を狙うことまで考えていた。
だがその皮算用は、文字通り取らぬ狸となってしまったのだが。
「ちっくしょう、またかよ、またお前が邪魔をすんのかよ、ジークフリートォォォォォ!!!」
そしてまた彼は、勘違いをしたまま怨嗟の叫びを上げる。
勘違いは二つ。
もちろん、ジークフリートは転生者などではないこと。
そして、もう一つ。
ガイウスに肩を並べられる騎士など、この国でも何人もいないということ。
これは、彼がもしもこの盛夏祭を普段から楽しんでいれば、払拭できたことだったかも知れないのだが。
そんな、喉を痛める程に黒幕が叫び続けた翌日。
メルツェデスは、ハンナをともないながら祭りで賑わう王都の街を歩いていた。
たくさんの出店が並び、それを楽しげに冷やかしている多くのエデュっ子達。
そんな光景を目を細めて眺めながら、メルツェデス達は大通りを外れ、少しばかり入り組んだ道を歩く。
裏路地、という程には汚れていない、掃除などの手も入ったその通りを歩くことしばし。
この立地としては若干場違いなほどに立派な建物が見えてきた。
「おや、お嬢様、お早いお付きで。使いを寄越してくだされば、あっしがお迎えに上がりましたものを」
タイミングよく出てきたブランドルが、ニッカリと先日のように裏表のない笑みを見せる。
その格好はいかにもな普段のそれと違い、ちょっと気合いの入った一張羅。
がっしりとした体格、堂々とした態度も相まって、言葉遣いさえ直せばどこぞの護衛兼執事と言っても通るかも知れない。
「だから、あなたの首も立場も、もうそんなに軽いものではなくてよ?
それに、今日はこちらが無理言ってお邪魔するのだもの、あまり負担はかけられないわ」
無骨ながらも律儀なブランドルへと、メルツェデスは若干苦笑気味に笑って返す。
5年前のあの日から、ブランドルの忠誠心は代わらない。いや、むしろ年々増して言っているくらいだ。
そんな彼の律儀さには、時折気後れをしてしまうこともある。
自分はそんな大した人間ではない、と。
恐らく、彼女を知るほぼ全員から否定されるだろうが。
ともあれ、普段はブランドルの方から御用聞きに伺うところを、今日はメルツェデスが逆に脚を運んだ形。
それというのも、だ。
「そもそも、支配人であるあなたがいなくて、カジノは回るものなの?」
「へぇ、そこはまあ、祭りの日とはいえども昼日中から博打を嗜まれる方は、やはり夜に比べると少ないものですからね」
つまり、メルツェデスはブランドル一家が運営するカジノに遊びに来たのだ。
いや、賭博をするつもりはないから、見学の方が正しいかも知れないが。
何度か述べているが、ブランドル一家は地回りとしては比較的真っ当な部類だ。
ショバ代シノギを含めた恐喝、盗みなどは禁じており、手下達もそれを守っている。
その収入源はサムとジムがやっていたような串焼きやなどのいわゆるテキ屋、それも日常からあちこちに展開している出店。
またそのテキ屋に下ろす肉の、更にその前段階である屠畜場の運営、そこで出た皮革の下加工などもやっている。
かと思えば街路の清掃なども請け負っており、いわゆる人が忌避しそうな、しかし必要な業務を引き受けることで大きな収入を得ていた。
だが、近頃それらよりも大きな収入源になっているのが、このカジノである。
如何に国王クラレンスの治世が安定していようとも、賭博場が無くなることなどない。
むしろ彼自身はそれらの必要性もある程度理解している。……なんなら、若い頃にはそこらの賭博場に来ていたという噂もあったりするくらいだが。
ともあれ、大っぴらにではないが、賭博場はあちらこちらにある。
当然賭博場などピンキリ、なんなら胡散臭い連中がイカサマを当たり前のように仕掛けてくる賭場が多いほど。
その中にあってブランドル一家の運営するカジノは、ある意味安心安全と評判だった。
何しろ、そのバックにいるのはプレヴァルゴ伯爵家。いや、正確に言えばその令嬢だが。
カジノの内装も清潔感と若干の高級感があり、スタッフもゴツい外見ではあるが、それでもそれなりに礼儀正しく対応してくれる。
更にレートは基本的に低く、初心者でも安心して遊べるとあって、男爵や子爵などの低位貴族も顔を出せる賭博場として人気を博しているのだ。
……まあ、上級者向けのヒリつくようなレートで遊べる部屋もあるのだが、それは本当にあくまでも上級者向け。
右も左もわからぬ者をカモるような真似はしていない。
そんな良心的な運営が、この王都では評判を呼んでいるのだ。
「やはり、祭りの日となると遊びに来る人は普段より多いの?」
「へぇ、特にこの盛夏祭と、秋の豊穣祭は地方貴族の方も多数来られますからね。
王都の空気を楽しもうとしている中で、うちに遊びに来てくださることも多くて」
普段は地方で行政に精を出し、時に王都へ参上して社交をして、と地方貴族は存外のんびりとはやれないもの。
そんな事情もあって、安心して遊べるこのカジノは、折角王都に来たのだからと足を運ぶ貴族に事欠かないらしい。
「そういう方々に楽しんでいただけるのはありがたいことねぇ。……わたくしも少し遊んでいこうかしら」
「お嬢様、どうかそいつはご勘弁を。伯爵様のお怒りを受ける前に、ハンナさんの雷が落ちてしまいやす」
楽しげに笑うメルツェデスへと、慌ててブランドルは頭を下げる。
その首筋にひやりとしたものが走るのだから、やはりハンナとしてはあまりこういう場に馴染ませたくはないのだろう。
そして、ブランドルもそれには同意だった。
「しかし、見て行かれるだけでも充分楽しんでいただけると思いやすよ」
だからブランドルは、殊更いい笑顔を見せて、メルツェデスを中へと案内するのだった。