道化の王子。
盛夏祭前夜に人知れず行われた大捕物から明けて翌日。
祭りに浮かれたエデュっ子達が昼間からあちらこちらで笑い、歌い、飲んで騒いで。
夏の盛りを楽しんでる最中、祭りの熱気など欠片も入り込む余地がないかのような空気が、国王クラレンスの執務室には漂っていた。
「なるほど、そんなことが昨夜にあった、と。で、捕まえた連中はどうしたんだい?」
「僭越ながら、私が口を割らせました」
クラレンスへと報告に来たガイウスが、公的な場用の厳めしい顔で答える。
『マスターキー』の異名を取るガイウスの尋問技術は相変わらずで、男達はろくに耐えることも出来ずに口を割ってしまった。
……あくまでも尋問である。拷問ではない。
「もっとも、ギアスのかかっていない下っ端はろくな情報を持たず、逆にギアスのかかっている連中は相当な情報制限がかかっています。いつもの手口ですな」
淡々と、ガイウスが報告を続ける。
これが、拷問ではなく尋問に留めていた理由でもある。
ガイウスの拷問で強引に口を割った場合、しゃべろうとした瞬間に呪いが発動して結局死なせてしまうのだ。
別に彼らを出来るだけ死なせたくないなどといった、人道的な理由からではない。
もしもギアスを解呪できれば、改めて情報を引き出すことが出来るかも知れないという打算が一番の理由だ。
ガイウスに、連中に情けを掛ける理由など、これっぽっちもないのだから。
「となると、連中が使っていた倉庫の持ち主に対しての事情聴取も、あまり意味はなさそうかな」
「今現在進めてはおりますが、望み薄かとは。蜥蜴の尻尾切りに関しては、本当に徹底しております」
「まあ、だからこそ致命的な動きが出来ていない、とも言えるけどね」
今までの様々な事件においても、ブッツリと辿る道筋は切られていた。
それも、ギアスを駆使して手下の口を封じるのだ、死者を蘇生するような魔術のない世界においては、それ以上の追求などできはしない。
しかしそれは同時に、手下に充分な判断能力や実行権限を与えていない、ということでもある。
本来であれば独裁的なトップダウン形式の指示系統は、迅速かつ強力な実行力を持つはずだ。
だが、今の魔王崇拝者達の動きは、どうにも速さや実行力が然程では無い。
絶対に黒幕へと辿り着けないよう断絶がいくつも挟まれている分、指示が伝わるのに時間がかかるし、疑問点を確認する相談ルートもない。
結果として、末端は確固たる意思を持つに至れず、同時に柔軟な判断力も失われている。
判断をする基準や規範が植え付けられていないのだ、とクラレンスは指摘した。
「なるほど、黒幕が腰抜けだからこの結果だ、と」
「そこまで悪し様に言うつもりもないけど、まあ、リスクを抱えない一手はどうしても軽くなるよね」
時に先陣を切ることもあるガイウスが納得したように頷けば、クラレンスは苦笑しながらも否定しない。
リスクと効果を秤に掛ける必要はもちろんあるが、命のやり取りをする現場においては、時に指揮官が身体を張る必要が生じることもある。
味方の鼓舞もあるが、現場の空気から感じられる情報を取得する、意思や考えを示す、という効果もあるからだ。
そしてこれは、過酷な戦場であればあるほど、効果を発揮してしまう。当然リスクも跳ね上がるが。
「ということは、黒幕はやはり、戦場を知らぬ人間。己の命と秤にかけるような何かを持たぬ者、ということですな」
「うん。……もしかしたら、自分でも気付いていないのかもね。自己保身を優先した結果として、これだけの戦力を浪費してしまう結果になったのだし」
もしも実行犯達が己の命を捨て石に、メルツェデスを無視して魔物達を街中に向かわせていれば、今頃こんな会話を暢気にしてはいられなかったはず。
彼らにそこまでの決意を持たせられなかったのは黒幕の落ち度だし、これだけ現場と黒幕に隔たりがあれば、それはそうもなるだろう。
そして何よりも致命的な勘違いも、是正できただろうに。
「リスクを犯してでも現場に来ていれば、ジークが今までのあれこれを解決していた、だなんて勘違いもしなかっただろうに」
と、クラレンスが揶揄うような笑みを向ければ、今まで黙って控えていたジークフリートが何とも言えない微妙な表情を浮かべた。
「そもそもジークにメルツェデス嬢やヘルミーナ嬢の手綱を握るなんて真似が出来るわけがない、と簡単にわかりそうなものですけどね」
「兄上、そこまで言わなくてもいいじゃないですか!?」
同じく控えていたエドゥアルドが揶揄うように言えば、思わずジークフリートは反応してしまう。
慌てて口を閉ざすが、今この場にいる人間はそのことを咎めるようなことはしない。
……そんな場合ではない、とわかっているということでもあるが。
「ジークが言いたくなる気持ちもわかるけど、言われても仕方ない現状だしねぇ」
冗談めかして言って。
それから、クラレンスは表情を改めた。
「そして、悪いけど、これを利用しないわけにもいかない状況でもある」
クラレンスが言い切った瞬間、執務室の中に沈黙が訪れた。
メルツェデスがもたらした、黒幕が勘違いをしているらしいという情報。
流石に転生者云々は伏せた形ではあったが、その情報は状況証拠とも一致していたため、ガイウスもクラレンスも納得した。
更に言えば、幼い頃に狙われたジークフリートが力を付けて反撃に転じた、とすれば、話としても自然である。
だからこそ利用価値も高いのだが。
「しかし、そうなるとジークフリート殿下には、ある種屈辱的な振る舞いをしていただくことになってしまいます」
ガイウスが、申し訳なさそうにジークフリートを見る。
クラレンス達が考えた一手とは、メルツェデスが為してきたことを、ジークフリートの手柄であるかのように扱うということ。
これが名声を得られればそれでいい、と思うような俗物的な人間であれば問題はなかっただろうが、あいにくジークフリートはそんな性格ではない。
むしろメルツェデスに並ぼうともがいている人間であり、手柄を横取りするような真似など、プライド的にも彼女の心を射止めるためにも、出来るわけがない。
わけがないのだ、普通ならば。
「私ならば構いません、ガイウス殿。むしろ私が道化となれば、連中は一層私を狙ってくる。そうなると、メルツェデス嬢も一層動きやすくなるでしょう?」
「それは、確かにそうなのですが……」
ただでさえ『闇払う炎』を持つものとして魔王崇拝者達に狙われているジークフリートが、更に今まで彼らの企みを阻止してきていた、となれば更に激しい攻撃に合うだろう。
そして、ジークフリートを狙うために連中が動けば、注目を浴びることなくその側面を突くかのようにメルツェデスが動けるようになる。
より自由に、より効果的に。
それは、いずれ連中に取って致命の一太刀となるに違いない。
だが。
「しかしそれでは、いずれ連中を掃討した後に事が露見すれば、御身の障りとなりましょう」
そして、ジークフリートは、何なら自分から明らかにするのではないか。
ガイウスは、そう危惧している。
この若く有望な第二王子の名誉に傷がつくのは、決して好ましいことではない。
だが、当の本人が、まるで意に介した様子がない。
「それはそれで、立ち回り方も生まれるでしょう。兄上の名に傷が付くよりは、よほどましです」
さらりと言われてしまえば、最早ガイウスに言える言葉は無い。
黙って深々と、頭を下げるのみである。
「いや、私としては、ジークに気を遣われる方がよっぽど嫌なんだけど」
「そこはもうちょっと上手く折り合いを付けてください、いずれ王になるのだから」
エドゥアルドの軽口に、ジークフリートもどこか挑発的な笑みで応じた。
いずれエドゥアルドが王となれば、ジークフリートは王弟として何某かの職責を得るなり臣籍に降りるなりして彼の臣下となる。
それを考えれば、今からジークフリートが道化なり汚れ役なりに手を染めておくのは悪くない選択だ。
それだけを考えるならば。
「兄としては、もうちょっと弟に格好を付けさせたいやりたいところなんだがね。今のままだと歯牙にもかけられないだろうし」
「何のことを言ってるのかわかりませんね?」
若干憐れむような視線を向けてくるエドゥアルドに対して、ジークフリートはとぼけてみせる。
そしてその件を聞かなかったことにしたいガイウスは沈黙を守り、クラレンスは息子の青い春を見て若干ニヤニヤしていたり。
少しばかり緩んだ空気の中、コホンとジークフリートが咳払いを一つ。
「私のことはともかく。ガイウス殿、メルツェデス嬢はいいのですか?
これでは、一時的にとはいえ、彼女が得るべき名誉を私が奪う形になるのですが」
ある意味当然とも言える問いに、ガイウスはゆっくりと、大きく頷いて見せた。
「はい。当のメルツェデス本人から、そうした方がいいとすら言われております。
元々、あれも名誉欲で動いているわけではありませんから」
「そうですか……そうですね、彼女ならばそう言うでしょう」
どこか嬉しげに笑うジークフリートに、ガイウスの内面では最大級の警報が鳴り始める。
やはりこの王子。しかし嫁にはやらんぞ。
そんな決意を顔には一切出さずにガイウスは頭をまた下げた。
「では、その方向でいこう。流石に大々的に宣伝したりはしないけれど、そこはかとなく……ああ、ついでに、どう情報が伝わっていったかを後追いできるように流せたら一番かな」
「御意。では情報部に投げて、案を出させましょう」
クラレンスの言葉に、ガイウスはまた頷く。
ジークフリート王子の件は一先ず置いて。
かつてメルツェデスに傷を負わせた憎き連中を追い詰めるために。
ガイウスの脳裏では、既に手筈が整えられはじめていた。




