読みあいの末に。
逆巻く炎を纏った巨人が、哀れかつ無残に斬り倒されていく。
その光景を、男達は唖然とした顔で見ているしかなかった。
あの巨人は、彼らの切り札だった。
そして、なんとかなるかも知れない、と期待を抱かせるだけの存在感、魔力を持っていた。
実際の所、ムスッペルとほぼ同レベルであり、かつ水属性である霜の巨人、ヨトゥンであればメルツェデスとて苦戦は免れなかったし、この疲労では敗れていた可能性も充分あった。
また、ここに来たのがジークフリートであったならば、手も足も出ずに打ち倒されていたことだろう。
だが、そうはならなかった。ならなかったのだ。
そもそも、男達はそんな『たられば』を考えることが出来る状態でもなかったのだが。
「これで終わりでしょうか。実に素晴らしい戦力でした。……あなた達が用意したものではなさそうですが」
ムスッペルを倒した後もしばらく気を張っていたメルツェデスが、大きく息を吐き出す。
それを合図にしたかのように彼女が纏っていた青いオーラも消え、少しばかりその圧力も減った。
もっとも、そのことを男達は認識できていないが。
たった一人で十数体に及ぶ、それも高レベルの魔物達をたった一人で斬り伏せてしまった少女。
そんな存在を前にして、彼らの抜けた腰は戻って来ない。
いや、あるいはまだ気を失っていないというだけでも賞賛に値するのかも知れないが。
言葉も返せない男達を嘲るでもなくスルーし、メルツェデスは彼らが漁っていた箱を改めた。
既にその中は空っぽ。どうやら、全ての魔石を使い切ってしまったらしい。
メルツェデスの武威に恐れを成したが故の後先考えぬ使い方だったのだが、その判断自体は間違いとも言えなかった。
戦力の逐次投入は戦場において避けるべきであり、まして一太刀でミノタウロスを斬り伏せるようなメルツェデス相手に一体ずつの投入など愚の骨頂。
一気に投入したからこそ、彼女をここまで消耗させることが出来たし、彼らが生きてこの場を逃れるにはそれしかなかった。
ただ、それ以上の結果が出せなかったのも事実だが。
「ふむ、ここにはもう、これだけのようですね」
箱を調べ、上げ底などもないことを確認し、ついでとばかりに周囲の魔力も探って。
どうやら魔石はこれで打ち止めと見て、メルツェデスはもう一つ息を吐き出す。
と、それを聞いた男の一人が、いきなり笑い声を上げた。
「あ、あっひゃひゃひゃひゃひゃ!!! こ、これで終わり、だと!?
ああ、ここにあるのはこれで終わりだ、だが、ここだけだと思ったか!?」
どこか狂気染みたその声に、しかしメルツェデスは眉一つ動かさない。
そんなメルツェデスの反応が気に入らないのか、それとも気にする余裕もないからか。
男は両腕を大きく広げながら目を見開いて天井を仰ぐ。
「そうさ、ここは保管場所の一つにしかすぎねぇ! お前がここを潰したからって、他は無事だ!
今から探したって無駄だ、わかる頃にはもう、そこから更にあちこちへばら撒いてるからなぁ!」
ここにあった魔石は十数個。そして、あの『魔獣討伐訓練』での襲撃失敗から黒幕が魔石を作り始めて、およそ一ヶ月。
メルツェデスが知るよしもないが、三十個前後の魔石が、作られていたはずだった。
ここにあったのがその約半数、ということからもわかるように、ここが一番の保管場所であったことは間違いない。
だが、その他の場所にも分散して後十数個。
一つでも街中で解き放たれれば、大きな混乱と被害を免れないであろう魔石。
それが、まだこの王都のどこかにある。
ということを正確に理解したはずのメルツェデスは、それでも表情を動かさずにいた。
「なるほど、それは確かに大変ですわねぇ」
明らかに大変と思っていない顔と声音で言うメルツェデス。
その声音は、男の心に強い苛立ちを生んだ。
「当たり前だ、大変に決まってるだろ!? いくらお前が強くてもなぁ、王都中を探し回るなんてできっこねぇからなぁ!!」
何とかメルツェデスに一泡吹かせようと精一杯の虚勢を張るが、メルツェデスはまるで意に介しない。
そんな態度を見て更に苛つきを増した男が、更に言い募ろうとしたその時だった。
「お嬢様、こちらの掃除も終わりました」
唐突に。
男にとっては本当に唐突に、メイド姿の女性が現れた。
だが、さも当然といった顔でメルツェデスは振り返り、にこやかな笑みを見せる。
「流石ハンナね。他はどうかしら」
「はい、クリストファー様とミラからも無事制圧との知らせを受けております。
三カ所で合わせて十六の魔石を破壊いたしました」
淡々としたハンナの報告に、メルツェデスはうんうんと何でも無いことかのように頷いているが、男達にとっては大事だった。
何しろ、男達が先程張った虚勢の拠り所、他にもある拠点が三カ所とも、そして魔石十六個全てを破壊されていたのだから。
その配分からもわかるように、この倉庫が最大の拠点ではあった。
だが同時に、囮でもあった。
この近辺で同時に十数体もの魔物が溢れれば、それだけで王国軍の緊急出動がかかるのは間違いない。
今回のように事前に嗅ぎつけられたとしても、この規模の魔物が集められていたのだとわかれば、これが全てだと普通ならば思うだろう。
間違いなく、それだけの質と量がここにはあった。
ただ、メルツェデス達はその上をいっていた。
それだけと言えばそれだけなのだが、男達にとっては理不尽とすら思える事態だろう。
十分過ぎる程の戦力を用意していた。
陽動や攪乱も念入りにしていた。
それらを全て凌駕されてしまったのだから。
「な、なんで……どうして……?」
「ですから、先程言ったでしょう? 見事過ぎた、と。この倉庫へと目を向けさせるように仕向けていた、その意図が透けて見えたのです。
そして、それを踏まえてよく見れば……残りの三カ所を見つけるのは、容易とまでは言いませんが、何とかなるだけの人材はいたのですよ」
勝ち誇る、ような色はない。
お湯を注げば茶が出来る。
そんな、さも当然であるかのような言われ方をした男達の失意はいかばかりか。
「それはそうとお嬢様。……なぜ、わざわざ正面から戦われたのです?」
言葉も無い男達を尻目に、激戦が繰り広げられた結果として惨憺たる有様となってしまった倉庫内部を見回しながらハンナが言う。
問われたメルツェデスは、悪戯を咎められたかのように小さく方を竦め、ちろりと舌を出して見せた。
「ごめんなさい、ちょっと試したくなってしまって」
「最初の打ち合わせでは、危険な相手である可能性が高いから、不意を打つようにとのことでしたよね?
ご無事でしたからこれ以上は申しませんが、実際とんでもない魔物ばかりだったようですし」
素人目にもとんでもない化け物が暴れていたのだとわかる戦闘の痕跡だ、ハンナが見ればそれがどれ程のものか、正確にわかってしまう。背筋が凍る程に。
ここにハンナがもし一人でいたら、これらの魔物には勝てなかった。
とても単純に、相性が悪かった。
ハンナは対人もしくは人間サイズの相手に特化した戦闘スタイルであり、大型の魔物相手に有効な攻撃手段はあまりないからだ。
だから、恐らく『魔獣討伐訓練』の時のように魔石による魔物召喚があると読んでメルツェデスが出した『出来るだけ不意を打つように』という指示は正解だったし、あっさりと制圧も完了した。
ただ一人、その指示を出した、そしてハンナの主であるメルツェデスが指示にない行動を取り、己の身を危険にさらしたのだから、物申したくもなるというものだろう。
「確かに、ちょっとわたくしの予想を上回る魔物が多かったけれど……でも、おかげで収穫もあったわ」
今の自分であれば終盤に出てくるような魔物相手でも戦えるだろうという自信はあったし、それは証明された。
流石にあれだけの高レベルな魔物を、あれだけの数用意してくるとは思っていなかったが。
そして何より、ムスッペルのような最終ダンジョン級の魔物を召喚するなど。
だが。それによってわかったこともある。
「恐らく連中は……いえ、これはお父様にまずご報告しなければ。ついでに、彼らも連れて行かないと、ね」
「はい、かしこまりました」
メルツェデスが言えば、ハンナがあっという間に男達を縛り上げていく。
その見事な手際を感心したように眺めながら、メルツェデスは内心で考えを巡らせる。
連中が用意した、切り札と言っていい存在、ムスッペル。
その選択の意味するところ。
そして、戦闘中にふと聞こえた、『王子様』という言葉。
事件の背後にいる、魔王崇拝者の首領の考えが、それこそ透けて見えた。
見立て通り首領、黒幕が転生者であれば、他の転生者が存在することを考える可能性は低くない。
そして、今回の事件の切り札たるムスッペル。それはつまり。
黒幕は、二人の王子のどちらか……いや、恐らくジークフリートの方を転生者と勘違いしている。
とうとうそのことに、メルツェデスは辿り着いたのだった。