進化と真価。
最初に口火を切ったのは、サイクロプスだった。
鈍重なイメージのある巨体は、その纏った膨大な筋肉によって急激に加速し、メルツェデスへと迫る。
大きな身体ゆえに大ぶりに見える動作、ゆったりに見える拳。
だが、人間では発することの出来ない筋力によって放たれたそれは、人間の目では捉えきれない速度となってメルツェデスへと襲いかかる。
そして、次の瞬間。
ゴトン、と重たい音がした。
サイクロプスの拳がメルツェデスを捉えたならば、もっと重く激しい炸裂するような音が響くはず。
だというのに、聞こえたのは何か重たく硬いものが床に落ちたような音だった。
「グギャァァァァァァ!?」
何が起きたのか男達が理解するよりも早く、サイクロプスの咆吼が、悲鳴の色を帯びて轟く。
見れば、サイクロプスは男達には理解出来ない叫びを発しながら右腕を振り上げたのだが……その、手首から先がなかった。
あの瞬間、『水鏡の境地』を発動していたメルツェデスは、サイクロプスの拳を見切り、紙一重のところで避けながら収束した魔力を纏わせた刃による斬撃を加え、サイクロプスの拳を切り落としていたのだ。
当たり前だが、普通の人間なら避けることすら出来ない速度の拳に対してカウンターを入れるなど、常人の所業ではない。
だが、そんな常軌を逸した芸当を見せたメルツェデスは、さも当然とばかりの涼しい顔。
対するサイクロプスは痛みを堪えようとしているのか、痛みで混乱しているのか。
闇雲に右腕を振り回しながら、今度は左の手のひらでメルツェデスを押しつぶそうとする。
だが、その手のひらに伝わるのは冷たく硬い石の感触ばかり。
その感覚すらも次の瞬間には失われ、火傷するような痛みへと変わってしまう。
両手を失った痛みと絶望によってサイクロプスが取り乱す間に踏み込んだメルツェデスは更に刃を振るい、その膝を割り、腿を切り裂き。
巨体を支えきれなくなったサイクロプスがガクンと膝を衝けば、程よい高さに降りてきたその頭部を真っ向から両断。
一撃で意識を断たれたサイクロプスは、地響きを立てながらそのまま床へと崩れ落ちた。
「……なるほど? もう少し調整は必要そうですが、これなら問題無く使えそうですわね」
小さく呟きながら、付着したサイクロプスの血を払わんと刃を振るうメルツェデス。
……余りに早い剣速のせいで血が文字通り霧散したように見えたのは気のせいだろうか。
そのあまりにもあまりな光景を見た三体のヘカトンケイル達が、メルツェデスを取り囲むようにしながら展開しつつ手近な木箱を掴み、あるいは床の石を剥がし、メルツェデスへと投げつける。
三対六本もある腕を器用に駆使して次から次へと、致命的な質量を不可避の速さで投じられれば、抵抗する間もなく物言わぬ肉塊へと変わり果てるはずだ。
その一体でも充分致命的な投擲を、三体でもって十字砲火のごとく弾幕を張るのだ、生きていられるわけがない。
わけが、ないのだ。
普通であれば。
だが。
メルツェデスはそれらの弾幕を流れる水のような淀みない動きでスルスルと回避し、あっという間に真ん中に陣取ったヘカトンケイルの足下にまで辿り着いてしまった。
ガイウスのほとんど予備動作のない剣戟にすら反応できるメルツェデスにとって、大ぶりな腕から繰り出される投擲など予告されながら投げられるようなもの。
如何に速くとも、来るタイミングとコースがわかってしまえば避けられるのだ、『水鏡の境地』に至ったメルツェデスであれば。
こうなってしまえば、まさか味方を巻き込むわけにもいかず、残る二体のヘカトンケイルも投擲は出来ない。
だが、ヘカトンケイルへと肉薄したメルツェデスの横合いから、今度は弾幕がなくなるのを待っていたかのようにキマイラが飛び込んで来た。
この辺りの連携は、流石高レベルで知能も高い魔物ならでは、と言えるだろう。
ただ、本当に相手が悪かった。
キマイラが飛び込んできているのを、『明鏡止水』状態のメルツェデスは感じ取っていた。
だから、直前で前触れもなく止まれば、その眼前に無防備な側面を晒しながら飛び込んでしまったキマイラ。
スン、とそのライオンの首を飾っているたてがみが刈り取られる静かな音。
直後、そのメルツェデスのウェストほどの太さがあろうかという首が、スッパリと断ち割られて、床へと落ちる。
それで安堵することなく一歩後ろに下がれば、その眼前に三対六本の腕が、メルツェデスを叩き潰そうと振り下ろされていた。
キマイラへと強烈な一撃を振り下ろした直後だというのに、視界の外から振り下ろされた手にもあっさりと反応してバックステップで回避したその動き。
あるいはガイウスの言う通り、センスだけならばメルツェデスはガイウスを越えるのかも知れない。
直後、ヘカトンケイルが床を打ち据えた手に力を入れ、反動で上体を起こそうとしたところに横一閃。
右側の手を一本切り飛ばされて左右の力のバランスを崩されたヘカトンケイルの身体が斜めに傾げば、その隙に懐へと飛び込み膝を割る。
その、力の入りそうな瞬間を捉えることが出来てしまうのは、天才的な感覚と言っていいのだろう。
ただでさえ身体が傾いでいたところに膝を割られては、いくら筋力に優れた巨人族といえどもその巨体を支えることなど出来はしない。
そして、もんどりを打って倒れてしまえば、メルツェデスの振るう必殺の刃が、太い筋肉で覆われ人間よりも遙かに硬い骨を持つ首を、易々と両断してしまう。
だが、これで巻き込む味方はいなくなった、と即座に立ち直った二体のヘカトンケイルがまた床の石をひっぺがすが、それを投げることが出来ない。
メルツェデスが更に踏み込めば、その先にいるのは使役者たる二人の男。
このまま投げてしまえば男達に当たるかも知れないとあって、ヘカトンケイル達は石を投げることが出来ない。
だからと言って、男達にこのまま迫れるかと言えばそんなことはなく。
新たに召喚されたサイクロプスが立ち塞がり、流石に無茶な突撃を控えたメルツェデスは足を止め。
おもむろに、大きく後ろへと飛びすされば、直後、ほんの一瞬前までメルツェデスが居た場所を、上空から降下してきたマンティコアの爪が薙ぎ払っていった。
目立つサイクロプスが囮になって、死角である背後、その頭上からの急襲。
この連携すら、今のメルツェデスは感じ取り、回避してしまう。
その意味を理解できるサイクロプスやヘカトンケイル、マンティコアの額にはじわりと汗が滲み、理解を超えてしまった男達は腰が抜けたのかへたり込んでしまっている。
普通の人間ならば数十回は死んでいるような攻撃を、涼しい顔で回避しきった存在を直接視野に入れてしまったのだ、それも無理からぬこと。
その、最早人外とすら言える領域にいる彼女の、常軌を逸した立ち回りは止まらない。
一度は爪をかわされたマンティコアだったが、倉庫の屋根スレスレで体勢を立て直すと、再びメルツェデスへと目がけて急降下を敢行した。
本来両手剣のリーチでは、上空からの攻撃に対して有効な攻撃は難しい。
というか、そもそも上空の敵に対する技術が無い。
何しろ、飛行型の魔物に対しては弓兵や魔術師と組んで対応するのが普通だからだ。
仮に回避されたとしても、上空に意識が向いてしまえば他の魔物の攻撃を防ぐことが難しくなるはず。
マンティコアは、そう考えたのだ。
常識的に考えれば、それは間違いではない。
相手が、常識の範疇に居れば。
「甘いっ!」
響く、メルツェデスの一喝。
牽制のつもりだったマンティコアのその急降下が、だから若干タイミングや勢いが甘かったのはあったかも知れない。
それでも、普通の人間であれば為す術もなく潰されるか、逃げ惑うかしか出来ないはずだった。
だが、この令嬢は。
マンティコアへと向かって、跳んだ。
そして、その勢いを乗せて下から上へ、月を思わせる弧が描かれて。
その月の輝きに頭部を捉えられたマンティコアは、そのままの勢いで制御を失い、地面へと激突。ピクリとも動かなくなったと思えば、さらさらと闇色の粒子となって消えていく。
現代日本に存在する、格闘ゲームという遊戯。その中にある、対空技という概念。
もちろん普通の人間であれば使えるわけもない技ではあるのだが。
先日の『魔獣討伐訓練』の際に、メルツェデスはその対空技の必要性を感じてしまった。
そして、気付いてしまったのだ。
今の自分の身体能力ならば、出来るのではないかと。
そして、実際に出来てしまった。
その結果が、強敵であるはずのマンティコアを一発撃墜である。
悪い冗談としか思えない光景に、残る魔物達の足が竦み、一歩が踏み出せない。
「ふふ……楽しく、なってまいりましたわね……?」
彼らの視線の先で、うっすらと笑みを見せるメルツェデス。
男達にとってその姿は、最早理不尽に死を振りまく死神にしか見えなかった。




