裏側、あるいは縁の下。
いつものように名乗りを上げ、悪だくみをしていた二人組と対峙するメルツェデス。
しかし、ここに辿り着くまではいつもの通り、でもなかった。
如何にブランドル一家やプレヴァルゴ家の密偵達が優秀だといっても、これだけ広い王都をカバーして半日足らずで捕捉するなど出来るわけがない。
だが、質は彼らに劣れども、充分な規律とカバー範囲を持つ者達が居た。
つまり、この王都を守る衛兵達である。
彼らもまた、この騒ぎの異常さには気付いていた。
とはいえ彼らも言わば公務員、そうと気付いても職域を越えた行動を取るわけにもいかないところだ。
……普段であれば。
「いやぁ、噂に名高いプレヴァルゴ様にご助力いただけるとは、本当に助かります!」
「出来る限り早く片付けましょう、なんせ『祭り』がありますからね!」
『祭り』を控えた彼らの士気は、高かった。これ以上もなく。
何しろ大半が王都エデュリオン生まれのエデュリオン育ち。つまり、エデュっ子だ。
そんな彼らが、盛夏祭の邪魔をしようとしている連中を放っておくわけがない。
普段よりもキビキビと、報告・連絡・相談もテキパキと、実にめざましく動いている。
「普段からこうであればいいのですが。……いや、それではいけませんね、この動き方では遠からずバテてしまいます」
その報告を受けているのは、ジタサリャス男爵。
クララの義父であり、この区画の警備責任者でもある彼は、少しばかり複雑な顔をしていた。
対立派閥に属するプレヴァルゴ家の令嬢と協力することは、彼の立場的にはあまりよろしくない。
しかし、彼とて噂に聞き、こうして目にすればその鍛え方と場慣れっぷりが嫌でもわかるメルツェデスの協力が得られるのは僥倖でもある。
そして何より。
「そういえばプレヴァルゴ様、先日はクララがお世話になりまして、ありがとうございます。
中々お礼にも伺えず、申し訳ございません」
上位貴族の令嬢でありながら、義理の娘クララを友人として扱ってくれているメルツェデスをぞんざいに扱いわけにもいかない。
そんな若干複雑な事情を顔に出すことなく、ジタサリャス男爵は頭を下げる。
「いえいえ、男爵様がいかにお忙しいかは伝え聞いておりますし、どうぞお気になさらず。
それよりもまずは、この一件を片付けませんと」
「左様ですな、もしプレヴァルゴ様の嫌な予感が当たっていれば、挨拶だなんだと言っていられなくなってしまいそうです」
衛兵の詰め所、その会議室の中央に位置するテーブルの上に広げられた地図へとジタサリャス男爵は目を落とした。
起こっている騒ぎは例年より間違いなく多いというのに、その被害規模は不自然に小さい。
そして、何よりもやたらめたらと広範囲に広がっている。
「例年であればスリだの酔っぱらい同士の喧嘩だのが多く、その場での仲裁で片付くことも少なくありません。
そしてほとんどが単身、あるいは数人程度のものなのですが……今回は、徒党を組んでの脅迫、恐喝行為が大半で、しかもほとんどが大した抵抗も出来ない程度の半端者ばかりでした」
「抵抗出来ない? つまり、抵抗の意思はあれど腕が伴わない連中ばかりだった、と?」
「ええ、おっしゃる通りです。それもあって、何か妙なものを感じてはいるのですが……」
男爵の言葉を受けて、メルツェデスはしばし考えに耽る。
広範囲で騒ぎを、そんな半端者達に起こさせている。これではまるで。
「……まるで、逮捕させるために暴れさせているようですわね?」
「逮捕させるために、ですか? いやしかし、それでは尚のこと、何を考えているのやら、わからなくなりますが」
メルツェデスの言葉に、ジタサリャス男爵が首を傾げるのももっともなところ。
彼もまたこの世界の常識の内側にいる人間なのだから。
そして、これを考えた人間と同じく、メルツェデスはその外側を知っていた。
「そうですね、手勢として使うつもりだったならば。しかし、彼らは大した力がなかった。
男爵様、恐らく彼らは、比較的容易に取り押さえられたのではないですか?」
「ええ、こう言っては何ですが、我が部下達は相応に鍛えておりますから、あの程度のチンピラなど造作もなく」
「ということは、斬り捨てるまでもなく、だから拘置所に連行する必要も生じる、ということですわよね。
ちなみに、拘置所はまだ収容人数に余裕はございまして? そして、拘置された者達の監視に当たる人員は何人くらい割り振られていますか?」
「……お、お待ちください、プレヴァルゴ様。も、もしや連中の狙いとは」
メルツェデスの問いかけに、ジタサリャス男爵の声が震える。
彼とて区画責任者を任されるだけの騎士、頭の回転は決して悪くない。
問われて状況を整理して、次に起こることを想定して……思わず、身震いをしてしまう。
「もし彼らが捨て駒……いえ、もしかしたらそれ以下の、最初から役に立つことを期待されていない存在だったとしたら。
しかし、それでも彼らの計画全体としては役に立つ方法があるとしたら。
……通れないようにと橋の上に転がされ積み上げられる死体のような扱いですわね、正直なところ」
「ですが、有効な手でもあります。斬り捨てる程ではなく、まさか逮捕しないわけにもいかないですから。
拘置しないわけにも、取り調べをしないわけにもいかない……まさか、そんな手があったとは」
ぼやくように言いながら、ジタサリャス男爵はまた地図へと目を落とした。
もし狙いがそれだとすれば。
いや、それだけでなく、陽動も兼ねているとしたら。
逮捕現場と、各詰め所の配置を地図上で確認していけば、見えてくるものがあった。
「……プレヴァルゴ様。その仮定が本当であり、更に我らに対する陽動も兼ねているのであれば。
衛兵達の巡回が手薄にならざるを得ない区域がいくつかございます」
「なるほど? こちらからこう動いて……流石ですわね、ジタサリャス男爵様」
男爵が指し示す動きに、メルツェデスが感心したように頷いて見せる。
いかにメルツェデスといえど、衛兵の詰め所を全て把握しているわけではない。
逆に、区画責任者であるジタサリャス男爵は、他の区域も含めて把握しておかねばならないし、実際把握している。
その結果、候補となる場所が浮かび上がってきた。
「でしたら、自由に動ける私の手の者を使いましょう。皆様には皆様のお仕事をしていただかねばなりませんし、ね」
「申し訳ございませんが、お願いいたします。我らは我らで、務めを果たさねばなりません」
言葉通り申し訳なさそうに頭を下げるジタサリャス男爵。
その姿に、メルツェデスはどこか嬉しそうに目を細める。
「何を仰いますの、皆様が規律正しく動いてくださっているからこそ、連中の企みが網に引っかかったのです。
そして、だからこそわたくしも勝手に振る舞って動くことも出来るというもの。
……美味しいところを持って行ってしまうのは、どうかご免くださいませ?」
そう言って微笑みながら示されるのは、前髪の向こうに透けて見える『天下御免』の向こう傷。
これをこう見せられて、文句など出るわけもなく。
「ええ、どうぞご存分に」
苦笑しながらそう返したジタサリャス男爵は、更に詳細な情報を集めるべく部下達に指示を出していく。
それを見たメルツェデスもまた、彼女は彼女で動くべく詰め所を後にした。
その際に。
「よっし、気合い入れて行こうぜ!」
「ああ、男爵様の晴れ舞台も待ってるんだ、俺達で片付けちまおう!」
そんな衛兵達の言葉を耳にした。
男爵の晴れ舞台、とはこの盛夏祭のイベント、剣術大会のことだろうか
となれば、どうやら彼らが楽しみにしている『祭り』はもう一つあったらしい。
つまり、悪だくみをしていた連中には本当に運がなかった。
たまたまヘルミーナが出店を出して、たまたまそこにチンピラが絡んでしまった。
たまたま区画責任者であるジタサリャス男爵とメルツェデスが協力できる関係にあった。
たまたま衛兵達が頑張る理由があった。
……まあ、大体メルツェデスが原因だったりはするのだが。
ともあれ。
それらの偶然、あるいは奇縁が絡み合って、今男達の目の前に、メルツェデスが立っている。
何が起こっているのか理解しきれない男達の足下から、じわじわと絶望感がずり上がってきていた。




