夏が刻んだもの。
その日、プレヴァルゴ家の訓練場は壊滅した。
……ということは、なかった。
先日の大暴れの時とは違い、魔力の放出を制御し集約していたため、周囲への被害はそこまでではなかったのである。
ただし。
「うわぁ……これ、どこまでいっちゃってるの……」
二人が存分に手合わせをした跡を検分していたクリストファーが、呆れと恐れの入り交じった声を思わず零すような光景がそこにはあった。
ガイウスが繰り出した打ち下ろしの一撃をメルツェデスが受け流した際に地面に刻まれた、深い亀裂。
集約された魔力の刃によるためその幅は狭く、故にあまり光が差し込まない、ということはあるが。
それでも、その亀裂の底が見えない、というのはどうしたものか。
どれだけの魔力を、どれほどの精度で収束すればこうなるのかと考えてしまったクリストファーは、ぞっと背筋を震わせた。
それから、そっと目を横にずらす。
そこに刻み込まれている亀裂は、メルツェデスが刻み込んだもの。
それは、ガイウスに比肩するほどの鋭さと深さに見えて、また背筋を震わせる。
「ていうか、これって……」
ふと気付いた物に手を伸ばし、まじまじと見つめる。
それは、斬られた大ぶりの石。
割れた、ではない。その切断面は、明確に斬られたそれだった。
超高圧で水を噴き出し石すらも削り、あるいは切断する、ウォーターカッターと呼ばれるものが起こす現象に似ているのだが、いかにクリストファーといえどそんな現象はまだ知らない。
であれば当然、不可思議で何なら不気味とすら言える現象である、というのに。
「これもまた、水の力の可能性、か……なんだかんだ捨てたものじゃないな」
ぽつり、そう呟く。
火や風に比べてどうしても攻撃力で劣る、と思われがちな水属性。
しかし、使い方によってはこうも鋭い刃となる。
……なんだかんだ、彼もまたプレヴァルゴなのだった。
そんな一幕がありながらも、プレヴァルゴ家の夏期訓練は無事全日程を終了した。
参加した各自がそれぞれに手応えを感じた夏。
「……絶対お嬢様とそのご友人方には迂闊に近づかないでおこうな」
「おう」
メルツェデスの、そして類友の恐ろしさを改めてプレヴァルゴ家の騎士・兵士達に刻み込んだ夏。
「実に有意義な訓練だった。やはり実戦経験が豊富な人達は、もやし野郎とはまた一味違う。
色々と実験もできたことだし」
「正直、山の生態系が変わってしまわないか、最後は心配でしたけど……」
キャンプの打ち上げを兼ねたお茶会で、それはもうツヤツヤとした顔で満足げに言うヘルミーナ。
恐る恐ると一言添えるようになったのは、ある意味クララの成長だろうか。
高機動力を手に入れたヘルミーナはその後も様々な新戦術を考案、プレヴァルゴ家の魔術師達と共に研鑽に励んだ。
いや、実験台にした、とも言うかも知れない。
流石に広域攻撃魔術は人間を実験台にはしなかったが……試行錯誤の結果『スペル・エンハンス』つきの『ホワイト・アウト』で割とシャレにならない被害を出したりもした。
いや、人的被害はなかった。治せないものは。
……その被害者の心も折れていないというのだから、プレヴァルゴ家は家臣まで大概なのかも知れない。
そんなヘルミーナとクララの横では、憂鬱そうな顔でフランツィスカが溜息を吐いた。
「やっぱり、メルとの立ち会いを見た後だと、ガイウス様が気を遣ってくださってるのがわかっちゃうのよねぇ……」
「気を遣わないわけがないでしょ、っていうかそれでも充分シゴキの範疇に入る訓練だったと思うわよ?」
手応えを感じながらも、まだまだ充分とは思えないフランツィスカ。
散々ツッコミに回っていい加減疲れも感じているのに、それでもツッコミを入れるエレーナ。
ある意味、この夏一番疲れたのはエレーナかも知れない。
「それでも、まだまだ足りないのよね。せめて『水鏡の境地』を使ってない全力を出していただけるくらいにならないと……」
「多分それ、この国でも捌ける人、五人もいないわよ……?」
フランツィスカの言葉に、流石にエレーナの言葉にも呆れの色が濃くなる。
どうにかして止めないと、と思うエレーナに、意外なところから助太刀が入った。
「そもそもフランはゴリゴリの前衛というより剣も魔法も使える中衛タイプ。
無理に白兵戦技術だけを向上させる必要性は薄い」
「……言われて見れば、ミーナの言う通りね」
納得したように頷きながら、フランツィスカは少々感動すら覚える。
あの、自分の魔術にしか、それも攻撃魔術にしか興味がなかったヘルミーナが、本当に成長したものだ、と。
他人の適性を見て意見を言うなど、ほんの1年前の彼女であれば考えもしなかったことだろう。
この傾向は『魔獣討伐訓練』の頃から見られていたが、プレヴァルゴ家のサマーキャンプに参加してさらに良い方向に行ったようだ。
隣で聞いていたクララなど、驚愕のあまり目を見開いて硬直しているくらいなのだから。
「そうそう、それに比べたら、私なんて同じ場所に立てるかすら怪しいんだから」
「それを言われたら、私としても何とも言いがたいものがあるのだけど……」
自嘲した風でもなく本当に何気なく言うエレーナへと、むしろフランツィスカの方が気を遣ってしまう。
聡いフランツィスカももちろん気付いてしまったのだ、エレーナの伸び代と自分やヘルミーナの伸び代の差を。
しかし、フランツィスカが目にしたのは、穏やかに微笑むエレーナだった。
「いいのよ、別に立つ場所が違ったって、私達は私達。なんなら、一緒に行くよりも、無茶をするあなた達が帰ってくる場所を整えておく方が気が楽かも知れないわ」
無理している風もなく笑うエレーナに、思わずフランツィスカはぱちくりと幾度か瞬きをしてしまう。
戦闘能力的にはともかく、どうやら彼女も一皮剥けたらしい。
そんなエレーナを、クララが優しく見守っていたりするのだが、残念ながらエレーナ以外の誰も気付いていない。
「適材適所。私は私の適所を適当に見つけて流離うのみ」
「いや、ミーナはもうちょっと大人しくしてて欲しいのだけど?」
などと窘めたフランツィスカは笑いながら一つ息を吐いて。
「……それでも、私はメルの隣に立てるだけの腕が欲しいと思うわ」
そう言いながら、今まで黙って話を聞いていたメルツェデスへと視線を向ける。
向けられた瞳によぎるのは意思と、希望と、不安と。
少しばかり揺らぐその視線を、メルツェデスは微笑みながら受け止めて。
「そうね、わたくしとしても、フランが隣に立ってくれたら、心強いと思うわ」
答える彼女の視線にも、少しばかり照れが含まれていた。
こうして、令嬢達の夏は過ぎていく。
不安も焦りもあれば、成長と変化もある、そんな夏。
彼女達の年頃であれば当たり前な、それでいて色々と特別な夏が過ぎていく。
けれど。
夏期休暇はまだ、半ばを過ぎたばかり。
彼女達の夏は、まだ、終わらない。




