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彼女の帰還。

 『彼女』が抱き返してきた、と感じた瞬間。

 周囲で渦巻いていた紫色の炎が静まり、済んだ薄い青色へと変わる。

 それは、今メルツェデスの身体がある泉の色にも似ていて。

 直感的に、試練を乗り越えたのだと、はっきりとわかった。

 

『あ……』


 そして、メルツェデスがそのことを理解したのと入れ替わるかのように、抱き留めていた『彼女』の身体がぼんやりと光、ふわり、はらり、と少しずつ、(ほど)けていく。

 

 ただ。

 (ほど)けては行くけれど、消えていくわけではない。

 そのことも、はっきりとわかる。

 『彼女』は解けて、メルツェデスの中へと溶け込んでいく。

 彼女達は、本当に一つになっていく。


『ええ、大丈夫。わたくしは、あなたのことを理解した。だから、大丈夫よ』


 蓋をしていた、メルツェデスの中に潜む暴力性。

 それを彼女の制御下に置いたということは、同時に、蓋が取り払われたということ。

 『彼女』が(ほど)け、溶けていく程に高まってくる、猛る炎のような感覚。

 だが、今のメルツェデスならばその手綱を握ることが出来ている。


 そして、ふと腑に落ちた。

 戦狂いのプレヴァルゴ家。

 戦場に出られぬという理由だけで侯爵位を固辞し、戦い続ける一族。

 過剰なまでの訓練を己に課し、ひたすらに鍛え上げる奇異な性質は、きっと己の中の炎を制御しながら吐き出すための方策なのだ、と。

 

 だとすれば。

 きっと、正しく使ってあげることが出来る。


『ミーナが出来て、わたくしが出来なかったら、指さされて笑われそうね』


 ヘルミーナが聞いたら怒り出しそうなことを言いながら、名残を惜しむかのように『彼女』の身体を抱え込む。


 ……もう、彼女が消えてしまうまでどれ程もないだろう。

 だからこそ、覚えておくように。忘れないように。

 しっかりと、抱きしめる。

 

 と、もぞりと『彼女』身じろぎをして。

 何事かと僅かばかり手を緩めれば、腕の中で『彼女』がメルツェデスを見上げてきた。

 (ほど)けていっているせいだろうか、少しばかり幼くも見えるその顔で、彼女は涙を流しながら……笑っていた。


 『お願い、ね……』


 そんな声が、聞こえた気がする。

 そして、お願いされたのであれば、メルツェデスが返す答えはただ一つ。


『ええ、任せて。あなたを閉じ込めはしない。無意味に暴れさせもしない。

 あなたがわたくしの中に居る意味を、失わせたりなんてしない。

 正しく使えば、あなたは何にも勝る力となるのだから』


 メルツェデスが応えれば、もう一度『彼女』は笑って。

 その笑顔が、光となって消えていく。

 離れがたいのは『彼女』も同じなのか、水を想起させる青の光がメルツェデスへと纏わり付いて。

 

 メルツェデスに溶け込むように。

 あるいは空気に溶けていくように。


 一つ、また一つと消えていく。


 最後の一つが消えて。

 彼女の名残は、もうどこにもない。

 ただ一つ、メルツェデスの胸の中を除いて。


『また一つ、背負ってしまったわね。……いえ、これは改めて背負い直したと言うべきかしら』


 そう呟きながらメルツェデスは、ゆっくりと立ち上がる。

 目を閉じて胸に手を当てれば確かに感じる、溢れ出しそうな何か。

 それでも、それはメルツェデスの器に収まっている。


 思えば生まれた時からあったはずのそれだ、収まらないはずがなかった。

 ただ、随分とじゃじゃ馬で、収めるまでに時間がかかっただけで。

 そして、まだまだ完全には大人しくしてはくれないし、きっと一生宥めたりしていくことにはなるのだろうが。

 それこそが自分であると、妙にスッキリともしている。


『さあ、いきましょう。一緒に』


 メルツェデスがそう呟けば、周囲の薄く青い光が強まっていく。

 目を焼く程のまぶしさではないけれども、その光の優しさが、何だか照れくさくて、メルツェデスは目をそっと閉じた。

 やがて、その世界は青に染まって。

 ふわり、メルツェデスは浮かぶような感覚を覚えた。





「……あれは……メル、か。……思ったよりも早かったな」


 訓練の指導をしていたガイウスが、ふと魔力の高まりを感じて振り返った先に見えた、青い魔力の光。

 それは彼にとって馴染んだもの……『水鏡の境地』を与えてくれる泉の魔力でもあり、愛娘メルツェデスの魔力でもある。

 両者が入り交じったそれの意味するところは、恐らく誰よりもガイウスこそがわかっただろう。

 

 そして、僅かばかり複雑なものも感じてしまう。


「俺の時は三日だったか、四日だったか……とにかく、俺より早いよなぁ。

 はぁ……やっぱセンスに関しては、メルティの方が上なのかも知れん」


 ぼやきながら、このことはいくら愛娘と言えどもメルツェデスには言うまい、と心に誓う。

 単純に、負けたようで悔しいという思いがないとは言わない。

 しかしそれ以上に、油断や傲りを招くようなことを言うべきではない、とも思う。

 あれだけ完成に近いメルツェデスではあるが、やはりまだまだ、年若くはあるのだから。

 

「明日からは一層厳しくいかんとな」


 そう呟くとガイウスは、指導をしていた兵士達へと振り返る。

 途端、兵士達は寒気で震え上がった。

 何しろ振り返ったガイウスは、それはそれは楽しそうな笑みを見せていたのだから。


 そして。

 日が傾きかけた訓練場に、兵士達の悲鳴が響き渡った。





 その頃の泉では。

 フランツィスカが、魔力の高まりを感じて思わず立ち上がっていた。

 

「……これは、もしかして……やったの?」


 その呟きに呼応するかのように、メルツェデスの身体から青い光の粒が一つ、また一つと零れ始める。

 それは次々と数を増やし、やがて溢れ出す程の勢いとなり。

 泉が、先日ガイウスが見せたような青色に染まったと思った瞬間、光の柱が天へと向かって迸った。


 フランツィスカが口元を緩ませながらその光景を見ていると、光の柱の中心に立っているメルツェデスが、ゆっくりと目を開ける。

 その目がフランツィスカを認めると……不意に、いつものメルツェデスの微笑みを見せて。


「メル!」


 その微笑みを見た瞬間、フランツィスカは水しぶきをあげながら泉の中へと駆け出していた。

 一瞬驚いたような顔を見せるメルツェデスだが、すぐに両手を広げて。


「ただいま、フラン」


 飛びついてきたフランツィスカをしっかりと抱き留める。

 もの凄い勢いだったというのに、グラつくこともなく。


「ええ、お帰りなさい、メル」


 メルツェデスがいる、そのことを確かめるかのようにぎゅっと抱きしめると、フランツィスカは腕を緩め、間近の距離で見つめ合い、ほほえみ返す。


 そして。


「ちょっ、メ、メル!?」


 メルツェデスの身体から力が抜け、フランツィスカにぐったりともたれかかってくる。

 それを同じくグラつくことなく抱き支えながらも、フランツィスカは慌てた声を上げた。


 だが、すぐに寝息が聞こえてくれば、ほっと安堵の溜息を零す。


「ほんと、お疲れ様、メル」


 そう囁くと、その頬に唇を寄せて。

 ふと、動きが止まる。


「……いるわよね、ハンナさん」

「はい、ここに」


 どこへとなくフランツィスカが呼びかければ、当然のような顔で、いつの間にかハンナが泉の畔に現れていた。

 ハンナは、メルツェデスの邪魔にならぬよう気配も呼吸も潜めて近くに控えていたのだ。

 もちろんそんな状態のハンナをフランツィスカが見つけられるわけもないのだが、何となく居るだろうと予想はしていた。

 その予想が当たったフランツィスカは、そっと聞こえないように溜息を吐くと、メルツェデスを抱き支えたまま振り返って。

 

「こんな状態だから、メルは私が運ぶし、荷物をお願いしてもいいかしら」

「…………そうですね、かしこまりました」


 フランツィスカが言えば、数秒、いや、十秒以上葛藤に眉を寄せた後、ハンナが頷く。

 隠密行動や純粋な戦闘力で言えばまだまだハンナの方が上ではあるのだが、こと腕力だけに限って言えば、フランツィスカの方が強くなってしまった。

 そのことはハンナも理解しているが、しかし。

 と葛藤はしつつも、メルツェデスが使ったタオルが目に入り、ハンナは自分を納得させる。


「じゃあ、行きましょうか」


 ハンナに声をかけるとフランツィスカはメルツェデスを横抱きに……いわゆるお姫様抱っこの形に抱え直して。

 彼女を起こさないようにしながら、山を降り始めた。

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― 新着の感想 ―
終わってみれば、明鏡止水というより炎水の境地(マイナー概念)って感じでしたね。 …ガイウスさんも修行時にヒロインの応援を受けたんやろか…?
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