水鏡の脅威と、折れぬ心と。
全速全力の一撃は、あっさりとかわされてしまった。
であれば、かわすこともできぬ程の連続攻撃を。
「参ります!」
「おう、かかってこい!」
気合いの声と共に挑みかかるメルツェデスへと、ガイウスが発破をかける。
勢いを増したメルツェデスが繰り出したのは、頭頂への一撃。
剣を振りかぶるのではなく、必要最低限だけその切っ先を上げて打ち込む、最も小さな動きで斬りかかるそれを、やはりガイウスは左にサイドステップして難なくかわす。
と、斬り下ろしも最低限、ガイウスの顎の高さで切っ先が止まり、それが腕の捻りで横へと返る。
更には下半身、腰、上半身と捻って、それだけで生み出した横へと払う斬撃が横に避けていたガイウスへと跳ぶが、これも紙一重届かない。
しかし、その斬撃の勢いを利用してメルツェデスは右足を軸に回転し、腕を巻き取るようにして外れた剣を身体へと引きつける。
当然その後には即座に突き……と見せかけて一瞬止まるフェイントを仕掛け、避けようとしたところを狙うつもりだったのだが、ガイウスは全く反応していない。
見切られた、と理解した瞬間に、しかしダメ元で突きを入れた。
止まってはいけない、その刹那に反撃がくる。
入れたのはタダの突きではなく、突いた瞬間には腰を捻って戻りの予備動作を入れている、続けざまに放つためのもの。
並みの騎士では反応すらできない、目にも留まらぬ三連続の突きが、その全てが見切られ、かわされた。
だが、悔やむよりも前にメルツェデスの身体は動き続ける。
やや上を目がけて放った最後の突き、伸びきった腕を跳ね上げるようにして振り上げ、ガイウス目がけ振り下ろそう、と見せて、一度右肩に担ぐようにしてタイミングをずらしてからの、袈裟切り。
これにも動揺は見られず、袈裟切りを斜め前に踏み込んでかわされる始末。
この状況で踏み込まれれば、当然反撃が来る。だが、それを待っているわけにはいかない。
瞬時に頭の中で考え、弾きだした答えは、詰まった距離を更に詰めてからの、右肩から突っ込む体当たりだった。
「ほう、ここで剣ではなくそう来るか。我武者羅でありながら体術も選択肢に入れられるその判断力、悪くないぞ」
それすら見切っていたのか、ガイウスは突っ込んできたメルツェデスをかわし、さっとその足を払う。
体当たりがかわされて体勢が崩れたところへの足払い、普通であれば反応できず地面とお友達になるところだが、先程のクリストファーのようにメルツェデスもまた自ら跳んで、ゴロゴロと転がり距離を取った。
「その結果、が、こうして一息吐けたこと、ですから、悪くありませんわねっ」
息を切らせ、土に塗れた顔でメルツェデスは、それでも強がりを見せる。
攻撃は、先程からかすりもしない。
全く以て当てるイメージは見えないし、これといった手も浮かばない。
さてどうしたものか、剣を構え直しながらメルツェデスは呼吸を整える。
「……信じられない、あのメルが手も足も出ないなんて」
「というか、何あのガイウス様の動き。人間って、あんな風に動けるものなの?」
離れた場所で見学していたフランツィスカとエレーナが、驚愕の表情のまま口々に言う。
エレーナの言うガイウスの動きは、彼女はもちろんフランツィスカですら捉えられきれないもの。
それほどに、気がついたら動いていた、動きが終わっていたとしか認識できない程に、ガイウスは唐突に動いていた。
「説明からして、メルの動きを先読み出来ているみたいだから、かわせる事自体はまだわかるのだけど……予備動作もなしにああは動けないわ、例えメルでも。だとしたら、一体……」
「恐らくだけど、あの纏ってるオーラが動きのアシストをしている」
答えが見つからず口籠もるフランツィスカに答えたのは、意外にもヘルミーナだった。
てっきり魔術の訓練に参加していると思っていたヘルミーナの声に驚いて、フランツィスカとエレーナが勢いよく振り返る。
「え、ミーナ、ガイウス様の動きが見えたの?」
「いや全く。私に見えるわけないじゃない」
「ああ、でもオーラ……魔力の動きは感じ取れる、ということ?」
驚くエレーナに、ヘルミーナは胸を張って自慢げに、全く自慢にならないことを言う。
今更言うまでもなく、この三人の中でヘルミーナの動体視力はぶっちぎりで最下位。
当然、フランツィスカでも捉えきれない動きを捉えられる訳がない。目では。
もしやと気付いたらしいフランツィスカへと、ヘルミーナはこくり、頷いて見せる。
「その通り。一見穏やかに見えるけど、あのオーラはかなり濃縮された魔力がその正体。
それが、ガイウス様が動く瞬間に密度を変えて圧力を生み、身体を動かしている」
「なるほど、ミーナの『ウォーターキャタピラー』を全身に纏ってるみたいな感じ?」
「柔軟性を維持しながら有用な圧力を生じさせる、という意味では。
実際的な技術は大分違うけど……相変わらず根っこをよく掴む……」
「え、ほ、褒められてるのかしら……?」
端的な説明を、それでも理解したらしいエレーナを横目で見てヘルミーナは頷き、それから、小さく笑った。
初めて会った時もそうだったが、エレーナは素人に優しくないヘルミーナの説明を、彼女なりに飲み込んで彼女の言葉で理解する。
それが嬉しくもあり、そうやってかみ砕いた言葉に出来ない彼女からすれば羨ましくもあり。
……人に上手く伝えられないことに、もどかしさを感じる自分に驚きもしたりしながら。
「でも、『ウォーターキャタピラー』は、ミーナでさえ一定の動きを維持するのにかなり神経を使ってるんでしょ?
だとしたら、メルの攻撃を先読みしてから自在に圧力を制御できるって、一体どうやったらできるのかしら」
「残念ながらそれはわからない。というか、出来る方がどうかしてると言って良いレベル」
「……メルのお父様だから、の一言で納得しちゃいそうな自分がちょっと嫌だわ……」
「奇遇だね、私もちょっとそれは思った」
そして同じく察しの良いもう一人の親友フランツィスカへも、率直な意見を述べる。
どうしてあんなことが出来るのか、ヘルミーナにもわからない。
それだけにとても興味深く、一度研究させて欲しいとすら思う。
「……流石にガイウス様を実験対象には出来ないから、なんとかメルが身に付けてくれないかな」
「多分身に付けるためにやってるんでしょうけど、困ったわね、身に付けないで、逃げて、とか思っちゃったわ……」
いつの間にかいつもの爛々とした目になっているヘルミーナを横目に、エレーナは小さくため息を吐く。
ヘルミーナのこういう所は困ったものだが……こういう所もまた嫌いになれないところだと、自分に呆れながら。
そうしてヘルミーナの分析を聞いている間にも、呼吸を整えたメルツェデスはガイウスに挑みかかっていた。
振り下ろす、斬り上げる、横に払う、突く。
間断なく繰り出されるコンパクトで鋭さを重視した剣は、それ以上に鋭い動きによってかわされていく。
それが繰り返されれば、いかにメルツェデスであっても呼吸が切れる一瞬があり。
「ぐっ!?」
僅かばかり連撃に隙間が生じたと自覚した瞬間に、メルツェデスの腹部へと痛烈な一撃が叩き込まれた。
訓練用に刃を引いているとはいえ鉄の棒、それがガイウスの腕でカウンターとして打ち込まれたのだ、鍛え上げられたメルツェデスの腹筋であっても、その威力は防ぎきれない。
痛みが身体の芯に達し、体幹が痺れたかのように力を失って、堪えきれず、ついに膝を衝く。
途端に、身体が今更思い出したとばかりに各所の疲労を、痛みを、酸素の不足を訴えかけてきて、目眩がしそうになるのを、ぐっと唇を噛みしめて堪えた。
崩れそうな身体に渇を入れるように地面へと強く手の平を叩きつけ、その反動と痛みで身体と心を支える。
負けた。
完膚なきまでに、手も足も出ず、負けた。
そのことは認めるし、受け入れてこそ次なる成長に繋がる、とわかっている。
だが。
心は負けていない。折れていない。
必ず、この奥義と言っても過言で無い技を、身に付けてみせる。
そんな決意を込めて、メルツェデスは歪みそうな表情筋を抑え付け、笑顔を見せる。
「……参りました。流石ですわ、お父様。恐るべき技でございました」
素直に負けを認めながら、その瞳は声高に『だからその技を身に付けてみせる』とも叫んでいて。
だから、それを見たガイウスも、勝利ではなく別の意味で笑みを見せてしまう。
彼の愛娘、メルツェデス・フォン・プレヴァルゴは、まだまだ強くなる。
この技も身に付け、いつかは彼すら乗り越えかねないほどに。
だからこそ。
乗り越えられない為に高い壁でありながら。
乗り越えさせるために、彼女に告げる。
「お前にそう言ってもらえるのは嬉しいところだが、それだけで終わってもらっても困る。
この夏で、お前にはこの技、『水鏡の境地』を身に付けてもらうのだからな」
出来るだろう? と笑顔で問いかければ。
予想通り、メルツェデスはとても良い笑顔で、その問いかけに答えたのだった。




