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黒獅子の深淵。

 慎重に両手で剣を持つメルツェデスの構え。

 その立ち姿に、目の配りや力の配分に、ガイウスは目を細める。

 体中のどこをとっても力みが無く、不自然なほど自然に立つ姿。

 頭のてっぺんから糸で吊り下げられたような感覚で、などと教えたこともあるが、まさにその通り、天から吊り下げられているかのごとく足に全く力みがない。

 

 恐らく、どんな攻撃にも即座に対応出来るであろう、その構え。

 そこに至るまでどれだけの修練が必要か、そしてそれをどれだけメルツェデスがコツコツと積み上げてきたか。

 それを知っているガイウスは、思わず目が潤みそうになる。


 しかし、今は感情に流されている時ではない。

 むしろ、感情に流されてはいけない。

 それを、見せるべき時なのだから。

 

「メルティ。よくぞそこまで鍛錬した。親として、俺はお前のことを誇りに思う」

「ありがとうございます、お父様。これもお父様を始めとする皆様に鍛えていただいたおかげ。

 ……けれど、そんな話をする為に向き合っているわけではございませんでしょう?」


 それでも、どうしても感慨深げに告げてしまうガイウスへと、メルツェデスは若干呆れたような声で答える。

 勿論本当に呆れているわけではなく、これで多少ガイウスの心理に揺さぶりを掛けられないかと思ってのことだったのだが……どうやら、全く効果はなかったらしい。

 しみじみとした表情であるというのに、ガイウスには全く隙がない。

 彼こそ無造作に立って居るだけ、に見えるというのに、メルツェデスでも打ち込むことが躊躇われるその姿。

 どうやら、本当に本気のガイウスで応じてくれるらしいと思えば、ゴクリ、思わず喉を鳴らしてしまう。


「いや、若干は関係がある。俺達プレヴァルゴ家の者は、お前も知っての通り、水属性の者が多い。

 俺もお前も、クリスだって水属性だ。そして俺達は、ある意味で水属性の一面を体現した一族とも言える」

「なるほど、水と聞いてすぐに思い浮かべるそれとは違う、荒れ狂う波濤のごとき暴力性、ですね?」


 以前、初めて人を斬った時に痛感した、己の中にある荒々しく無慈悲な何か。

 それと近しいものがクリストファーの中にも、ガイウスの中にもあると聞いて、少しどころでなく安心したものだった。

 そうやって家族との絆で乗り越えたと思っていた、己の中に宿るモノ。

 それが、ここのところのあれやこれやで刺激されてしまっていると、密かに感じてはいた。


「その通りだ。言わば動の剣、攻め立て打ち崩す術理。

 これに関しては、正直なところ、お前はかなり俺に近いところにまで来ている。

 ならば、その次の段階。動の剣では立てない境地へとお前を導く時が来た、というわけだ」

「動の剣では立てない境地……まさか、静の剣がある、と……?」


 メルツェデスの言葉に、我が意を得たりとばかりにガイウスは満足げな顔で頷く。

 対するメルツェデスの額には、一筋の冷や汗が流れているのだが。

 プレヴァルゴ家の、静の剣。ゲーム『エタエレ』を知る彼女には、一つ、心当たりがあったのだ。


「流石メルティ、察しの良いことだ。つまり、それこそ水と聞いてイメージされる穏やかさ、静けさを持つ剣、ということだな。

 もっとも、向けられる側はとてもそうは言っていられないだろうが」


 うん、うん、とガイウスが頷くこと幾度か。

 

 それから、すぅ、と目が細まれば、途端メルツェデスの背筋に冷たいものが走る。

 じわじわと、少しずつ押しつぶされそうな程にガイウスから放たれるプレッシャーが増していく中、それに抗おうとメルツェデスも気を張り、力まないようにしながらも体中に力を巡らせる。

 

 だが、次の瞬間。不意に、その圧力がなくなった。


「我は、水なり。我が心、凪いだ水面(みなも)のごとく。故に、我は鏡なり」


 ガイウスのつぶやきと共に、それだけで人を倒せそうな程の圧力を持っていたガイウスのプレッシャーが、なくなる。

 途端に、ドッとメルツェデスの背筋に冷や汗がびっしりと浮かび、流れた。

 ガイウスは確かにそこに居るというのに、何故だかその存在感が希薄にしか感じられない。

 いや、目には見えている。

 しかし、気配だとか視覚以外のありとあらゆる存在情報が失せたかのような、そんな感覚。

 ガイウス程の強敵相手にそれがどれだけ致命的なことか。

 それが今この場で誰よりもわかるメルツェデスは、冷や汗が次から次へと流れるのを止められない。


 そのメルツェデスの目の前で、ガイウスは水属性の象徴たる青い光をその全身に纏い、立っていた。


「……ふむ、一目でこれの恐ろしさを見抜くとは、素晴らしいセンスだ、メルティ。あるいはセンスだけで言えば、お前は俺以上かも知れん」

「……お戯れを。仮にそうだとして……打ち勝てなければ、意味がございませんでしょう?」


 ガイウスの賞賛に答えながら、メルツェデスはぎゅ、と剣を握り、それから力を抜く。

 力み強ばった手では、とてもこのガイウスには対応できない。

 いや、万全の状態であっても、対抗できるかどうか。


「それもそうだな。そしてこれは、打ち勝たせぬための術理。プレヴァルゴ家が静の極み、『水鏡(みかがみ)の境地』。

 その神髄は……言葉よりも剣で語るが早かろう」

「もう既に、嫌というほど語られているような気もいたしますが、ね……」


 乾いた唇を思わず舐めてしまったことに、はしたないと思う余裕すら無くメルツェデスは応じながら間合いを計る。


 『水鏡の境地』は、ゲーム『エタエレ』において、クリストファーが終盤で身に付けるスキルだ。

 己の心を雑念のない状態にすることで相手の攻撃を見切るというそれは、物理攻撃の回避率を大幅に上昇させる。

 それに加え、高確率で敵の攻撃に合わせてカウンター攻撃を発生させる上に、そのカウンター攻撃はクリティカルダメージという、かなり凶悪なスキル。

 これにより、同じ物理魔術両立型なジークフリートやエドゥアルドに比べて性能面で若干見劣りしていたクリストファーが、回避型前衛として、防御力重視型なギュンターと並ぶとまで一気に評価を上げる程である。

 そしてそれを引っ提げて悪役令嬢メルツェデスとの最終決戦に臨み、打ち倒すのだが……よりにもよってメルツェデスより実力面で上にいるガイウスが発動させたのだ、恐ろしくないわけがない。


「さて、こちらの準備は整った。どこからでも掛かってくるがいい」

「お父様、万全の備えをしている砦へと無策で突撃するような愚を犯せと?」


 先程の呟き通りに落ち着き払ったガイウスの言葉へ、その恐ろしさと、高揚感で震えそうになるのをどうにか堪えながらメルツェデスが応じる。

 実際、彼女の目を以てしても打ち込む隙など皆無。

 なんなら、こう打ち込んだらこう返される、と敗北への道筋ばかりが見える有様である。

 いかに訓練とは言え、これでどう掛かれと言うのか。


 そんなメルツェデスの抗議に、なるほど、とガイウスは頷いて見せ。


「それもそうか。ならば」

「は?」


 間合いが、詰まっていた。

 こと戦闘においては極めて鋭敏な感覚を誇るメルツェデスが、全く予備動作を察知できなかった。

 そのことに愕然とする暇など、与えてくれるわけもない。

 既にガイウスの間合い、無造作に下げられていた剣が。


「くぅっ!」


 いつの間にかガイウスの頭上にあると認識した瞬間には、そのまま振り下ろされていた。

 何とか剣で受け止めることができたのは、最大限に警戒していたからだろう。

 しかし、それでもガイウスの予備動作は全く感知できず、振り下ろされたのを視覚で捉えて、反射的に受けるので精一杯。

 当然反撃などすることも出来ず、次なる攻撃に備えるのがやっと。

 

 そう、普段なら剣が動く事前の気配を感じ取り、それに備えて自分の手を打つことも出来た。

 けれど今は、全く気配を感じられないがために反応できず、ガイウスの攻撃を見てから反応するという完全に後手に回った動きしか出来ない。

 そして人間の限界に近い鋭さを誇るガイウスの一撃に対して見てから反応するなど、それこそ人間の限界に近い所業。

 それが出来ている辺り、メルツェデスもかなりヤバイ領域にいるのはいるのだが。


「どうした、そんなものか?」


 『水鏡の境地』に入っているからだろうか、普段の稽古に比べて淡々としたガイウスの声。

 それでいてより鋭く、心臓を凍らせるような響きを持つのは……それこそがこの境地の神髄なのかも知れない。


 そして放たれる、横薙ぎの一閃。

 無造作に見えるそれは、メルツェデスが集中して放つことが出来るそれと同じ威力を持ち、それ以上の鋭さと、何より意識の隙間を突くかのようなタイミングで放たれた。

 それを、ギリギリ剣を身体の間に滑り込ませて防げたのは、ほとんど偶然のようなもの。


 ただ、その一撃を利用して大きく横に跳んで間合いを外したのは、メルツェデスのセンス、あるいは判断力の賜物と言って良いだろう。


「そんなもの、と言われましても、確かに、こんなもの、ですわ」


 ガイウスへと向き直りながら言うメルツェデスは、まだ数回しか刃を交えていないというのに、既に呼吸は切れ切れだ。

 カウンター技として凶悪な『水鏡の境地』だが、やはり攻撃に移ると心が乱れると考えられてか、『エタエレ』においてその効果は自身の攻撃には乗らなかった。

 だが、今ガイウスが繰り出してきた一連の攻撃は、明らかに『水鏡の境地』の効果が乗ったもの。

 雑念がない故に動き出しも悟らせず、故に目の前であるにも関わらず不意打ちのように感じる一撃が繰り出される。

 言わば命中率とクリティカル率が大幅上昇しているわけだが、メルツェデスからすれば理不尽にも程があるというものだろう。

 あるいは、ゲームでクリストファーが身に付けたものは不完全なものであり、ガイウスが体得しているこれこそが、真なる『水鏡の境地』なのかも知れないが。


 だから、敵わない、どうにもならないのも仕方ない、のかも知れない。


 だが。


「ですが、わたくしにも意地というものがございます。こんなものでしかない我が剣、存分にご堪能くださいまし!」


 きっぱりと、不敵に笑いながら。


 虚勢をこれでもかと張るように大きく剣を振り上げ、少しずらして右肩上で構える。

 ジルベルト戦で見せたあの技は後の先を取るもの、どう考えても今のガイウス相手には通じない。


 であれば。そもそも、格下が格上相手に勝機を掴もうとすれば、どうすべきか。

 答えは、古来より一つである。


「それでこそメルティ、それでこそプレヴァルゴの者。さあ来い、お前の剣をぶつけてこい!」

「ええ、わたくしの全力の剣、心して受けてくださいまし!」


 ガイウスの声に応えて繰り出すは、捨て身の攻めの型、『荒波』。

 振りかぶった構えからの打ち下ろしは、クリストファーの目にすら捉えきれぬ程の速さ鋭さだったというのに、ガイウスに読まれてあっさりとかわされる。

 だがそれはメルツェデスも織り込み済み、敢えて地面を打ってその反動で跳ね上がった刃を返し、そのまま切り上げた。

 

 しかしそれすらもガイウスの感覚は捉えており……故に、敢えて紙一重でかわす。

 その意味に気付いたメルツェデスは、切り上げた勢いで身体を捩りながら地面へと身を投げ出し、転がりながらガイウスとの距離を取る。

 間一髪、肩口を鋭い一撃が掠めたが、その痛みをぐっと飲み込みながら立ち上がり、剣を構え直した。


 十分に見切ったからこそ紙一重でかわし、作った余裕をもって必殺の一撃を放つ。

 これが『水鏡の境地』にて放つクリティカルカウンターの原理であり、だからメルツェデスですら、身を投げ出さねばかわすことが出来なかった。

 いや、身を投げ出す判断と反応が出来る人間自体がごく僅かなのだが。


「まさか、今ので仕留められんとはな。俺の見立て以上だぞ、メルティ」

「お父様に褒められて嬉しくないだなんて、そうそうあることではありませんわねっ」


 ガイウスの心からの賞賛に、メルツェデスは反抗して見せる。

 もちろん、嬉しくないわけがない。

 しかし、悔しさが勝るのもまた事実。

 父であるガイウスの深淵に、まだまだ自分は届かないとこれ以上なく突きつけられた。

 

 それは屈辱的ではある。それは間違いない。

 しかし。


「今度こそ、目に物見せて差し上げますっ!」


 せめて一太刀。あるいは僅かばかりでも爪痕を。

 そんな気持ちがわき上がってくるのも、また事実。

 その気持ちだけを支えに、メルツェデスは吶喊した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ちょっと古めだと激流に身を任せて同化する!ちょっと新しめだと凪って奴ですね、これは!?(少年飛翔的な意味で) 水は確かに暴力的なもの、河川の氾濫や津波は言わずもがな、土砂崩れなんかも土より…
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