彼女なりの冴えたやり方。
その後、部屋に駆け込んだヘルミーナは、やる気が絶好調になったせいもあり、それはもう凄まじい勢いでアイディアを実現させようと奮闘。
結果、ある程度の実用化が見込めた。
ただ、流石に相応の時間は必要であり。
「……あ、朝。」
「お、お嬢様……だから、何度も、早く寝てくださいと……」
窓の外が明るくなってきたことに気付いたヘルミーナに、よれよれになった侍女が言う。
ヘルミーナの実験に付き合わされた上に、完徹までする羽目になった彼女の表情は暗く、目の下には隈も出来ている。
ただ、恨みがましくヘルミーナを見る瞳の力だけは強さを失っていないが。
しかし。
それを見返すヘルミーナの瞳は爛々と、いや、むしろギラギラと輝いていた。
「何言ってるの、寝るだなんて勿体ない。大丈夫、睡眠不足は一日くらいなら、魔術でどうにか出来る」
「それが積もり積もってということもある、とお医者様も言ってましたよね?」
「……まあ、それはそれとして。ああもう、わかったわかった、今夜はちゃんと寝るから!」
流そうとしたところでギロリと睨まれ、ヘルミーナは根負けしたように言うと、侍女と自分に回復の魔術をかける。
途端、侍女の顔色が急激に良くなり、目の下の隈も綺麗に取れてしまった。
そのあまりの効果に、侍女は幾度も目をパチパチと瞬かせて。
「あの、お嬢様。これ、何かヤバイ薬の類いとかじゃないですよね?」
「折角回復してあげたのに、酷い言われよう」
「それは確かに感謝しているんですけど、こう、頭も身体もスッキリしすぎて、逆に怖くなるレベルなんですよ!?」
「……あ~、そういえば、あなたにかけたのは初めてだっけ」
少しばかりむくれそうな顔をしたヘルミーナだったが、そう言われて悪い気はしないのか、ニンマリとした笑みを見せる。
彼女自身も実感していたが、『魔獣討伐訓練』などを経てヘルミーナの回復魔術はどんどんその効果を高めていた。
それこそ、回復を得意とするクララの光属性魔術に並ぶレベルにまで。
支援・強化といった部分では流石に一歩譲るが、それでもヘルミーナはそのことに満足していた。
ましてそれが、普段は口うるさい侍女を驚かせる程に効果を発揮したとあれば、得意にもなろうというもの。
ニマニマした顔で大きく伸びをすると、はぁ、と息を吐き出して。
「よっし、それじゃ時間も近いし、ご飯食べて訓練に」
「行く前に身だしなみを整えてください!」
椅子から立ち上がったヘルミーナの肩を、がしっと侍女が掴む。
ヘルミーナは、結局あの風呂場から部屋へと移動するために着せた最低限の衣服から着替えることなく研究に没頭し、今もそのままである。
こんな格好で食堂に行かせては、いくらヘルミーナといえども外聞が悪い。いや、本人は気にしないだろうが、ピスケシオス家の人間としては大いに気になるところ。
「うわっ、ちょっ!」
などとヘルミーナが戸惑っている間に訓練用の服を着せ、髪を梳かしてまとめ、と手早くすませていく。
ちなみに化粧はどうせ落ちるので、極めて最低限である。
「ふぅ、出来ました。では、参りましょうか」
満足げに言って侍女は促すが、ヘルミーナはその場から動かない。
どうしたのかと侍女が小首を傾げれば、ヘルミーナは呆れたようなため息を吐いた。
「……人には身だしなみがとか言っておいて、あなたはその格好で行く気?」
侍女もまた、あのバタバタでなんとか身に付けたワンピースのみ、という格好。
化粧などする暇もなく、すっぴんのままである。
だが、己の格好になどまるで頓着した様子もなく、彼女はこくりと頷いて。
「はい? まあ、侍女といえど使用人ですから、お嬢様のお腹より優先する程では」
侍女がそう答えれば、一瞬だけ沈黙が降りる。
「……着替えてきて」
「え、ですが、しかし」
「いいから、いつもの格好に着替えてきて!」
「は、はぁ、そう言われるのでしたら、少し失礼しまして……」
繰り返し言われ、侍女は渋々といった顔で使用人控え室へと下がった。
それを見送ったヘルミーナは、小さな小さな声で呟く。
「……なるほど、あそこまで言う気持ちが、ちょっとわかった」
ぼやくように言うと、ヘルミーナは小さくため息を吐いた。
それから十分程度で侍女が戻ってきて、驚く羽目になったりはしつつ。
朝食を終えたヘルミーナ達は朝の訓練メニューをこなしていた。
いつものストレッチ、自重筋トレをなんとかクリアした後に、いよいよランニング5km。
昨日までと違い、ヘルミーナの表情は明るい。
むしろワクワクしているような顔でヘルミーナは教官へと手を挙げて質問をぶつける。
「教官殿。これは決められたコースを5km走破という訓練。それ以外に特に制限はないよね?」
「え、ええ。あ、もちろん馬などを使うことなく自力でという制限はありますが」
「なるほど、自力であれば問題無い、と。理解した」
教官の返答にニンマリと笑みを浮かべるヘルミーナ。
そんな彼女に怪訝な顔をしつつも、教官は後衛組のランニングをスタートさせた。
と、ヘルミーナは一人、スタート位置に止まったまま、何やらブツブツと唱え。
「……ピスケシオス様? ……これは、呪文?」
さすが後衛組の教官、すぐにその正体には気がついた。
実は、ランニング中の魔術の使用は、禁じられていない。
もちろん攻撃魔術は禁止だが、体力回復や身体能力向上は使えるのだ。誰もそうと言ってくれないだけで。
なので、先程のヘルミーナの質問には、よくぞ気付いたと内心で感心していたくらいだったのだが……そのヘルミーナが唱えているのは、彼も聞いたことのない複雑な呪文。
「『ウォーター・キャタピラー』」
そして魔力が解き放たれれば……ぴょこん、と彼女の背が伸びた。
いや、よく見れば、彼女の足の下に左右一つずつ、水の塊が生じている。
キャタピラー、つまり芋虫。言われて見ればその形状は、車輪がつぶれて伸びたような形で、芋虫のような何かに見えなくもない。
それを見て『まさか』とすぐに勘付いたのは、メルツェデスただ一人。
周囲の者達は皆一様に、何事だ、と驚いた顔で見ていたのだが。
次の瞬間、更なる驚愕で表情が歪むことになる。
水の塊が、ゆっくり、回転を始めた。
それに合わせて、ヘルミーナの身体も前に向かって進み出す。
「よ、よし、順調順調。ここから、加速、加速……」
最初の出だしこそ若干バランスを崩しそうになったが、すぐに体勢を立て直したヘルミーナは、徐々に水芋虫の回転を早くし始めた。
次第に、人の歩く速さになって、部屋では実験できなかった、人が早足で歩く速さになって。
「ふふ、ふふふふ、これは、これは……まだいける、まだまだいけるっ」
更にジョギング程度の速さに、ランニング程度の速さに、となっていって、ついにはヘルミーナが全力疾走する時の速度まで速くなってしまう。
だというのに、ヘルミーナは息切れ一つしていない。
むしろ、その爽快感と高揚感でギラギラとその笑顔を輝かせているくらいだ。
「あはは、あははははははははははは!!」
いくらヘルミーナの身体能力が低いと言えども、その全力疾走は5km走のペースで走る魔術師達に比べて圧倒的に早い。
あっという間に追いつき、競る間もなく追い抜く。更には、突き放す。
人生で初めての経験に、ヘルミーナのテンションは振り切れた。
「いっくぞぉ~~!!」
後衛組全員をごぼう抜きし、前に誰もいなくなったところで、そう宣言。
あるいは、そこまでは理性を振り絞って抑えていたのかも知れない。
しかし、もはや誰かを巻き込む危険性はなくなった。そう認識した瞬間、彼女の理性は飛んだ。
彼女が知っている、彼女の身体で扱ったことのある最高速度から、更に加速。
頬に当たる風が強くなり、髪が勢いよくなびいて踊る。
メルツェデスや馬の全力疾走にも並ぶような速度へと至れば、全身に感じる風圧は痛いほど。
しかし、それはヘルミーナのテンションを下げるどころかさらに高めていく。
高まっていくのはテンションだけではなかったらしい。
5kmものコースだ、当然直線ばかりでなくカーブもある。
それが目に入れば減速し、身体を傾けて耐えながらカーブへ進入、バランスを取りながらクリアして、出口で再加速。
必要な一連の動作に対して、妙にクリアになった頭が身体を制御、必要な動きを適宜繰り出していく。
頭の処理速度が速くなり、周囲の景色がゆっくりと流れていくような感覚。
普段の、あるいはかつての彼女であれば決して体験することのなかったはずの領域。
そこに彼女は足を踏み入れた。踏み入れてしまった。
「もっと速く、もっと遠くへ! 私は、まだいける!」
見えてはいけない世界を見ているかのような目で、そう叫びながら。
ヘルミーナは人間が出してはいけないタイムで、5kmを走りきった。
直後、流石に集中力の限界が来たか『ウォーターキャタピラー』が崩れ始め、慌てて全力ダッシュしたメルツェデスが抱き上げて止めたりしたが。
それでもヘルミーナは興奮冷めやらず、爛々とした目で空を見上げていた。




