弟として。嫡男として。
幾度も響き渡る破壊音は、しかし、流石にそう長くは続かなかった。
いくらこの親子が無茶苦茶であってもヘルミーナのような無尽蔵とも言える魔力はなく、全力で魔力を乗せた一撃を放つには限りがある。
……それでも、少なくとも十回は爆発音が響いていたが。
ともあれ、ようやっと静かになったと思ったクリストファーが壁から少しばかり顔を覗かせれば、そこには片膝を衝いたメルツェデスが居た。
その向かいには、剣を手にして立つガイウスの姿。
両者とも大きく両肩を動かしながら荒い呼吸をしているが……勝敗は、明らかだった。
いや、そもそも勝負だったのか? 訓練だったのでは? とクリストファーの頭に疑問がよぎるが。
「本当に、よくぞここまで成長した、メルティ。お前の成長、心から嬉しく思う」
「ありがとうございます、お父様。しかし、まだまだ……簡単には越えさせていただけませんわね、流石です」
「もちろんだとも、そう簡単に越えさせては示しが付かないからな!」
メルツェデスの賞賛に、わははと豪快に笑って返すガイウス。
彼女は知らない。
まさにそれこそが、ゲーム内のガイウスと大きく違っている原因なのだということを。
ゲーム内でのガイウスは、娘の負傷を防げなかったことなどから意気消沈し、その後メルツェデスの暴走も止められなくなってしまう。
しかし今のガイウスは、素直に研鑽を積む娘と息子を頼もしく思いながらも、自身には越えられない壁であることを課していた。
その為、忙しい執務の合間を縫いながら鍛錬を積み、未だ王国最強を誇っている。
それがまたメルツェデスとクリストファーを刺激し成長を促し、更にガイウスも負けじとその強さを更に磨くという循環が出来てしまっていた。
上がそんな調子なおかげで、プレヴァルゴの騎士団員達の力も引きずられるようにしてレベルアップ。
結果として、プレヴァルゴ家の騎士団は一騎当千の強者ばかりが集うことになってしまっているのだ。
「二人とも、これは公爵令嬢も参加していただいての、合同訓練だって忘れてないよね?」
満足げな二人を、クリストファーの冷たい声が襲う。
彼の隣では、鬼の形相となった副長が、うんうんと何度も頷いていた。
その二人を見て、それまで楽しげに会話をしていたメルツェデスとガイウスは、動きを止める。
流石に少しばかりは申し訳なさそうな顔を見せながら、ゆっくりと振り返り。
「きっと、フランやエレンにも良い勉強になったと思うのよ」
「そんなわけないだろ!? 自分基準で考えないでよ、この脳筋!!」
しれっとした顔で言うメルツェデスへと、クリストファーは爆発した。
彼が言うことは、至極もっともだったのだが。
「あらクリストファー様、実際とても参考になりましたわよ?」
「なんですと!?」
同じく壁から顔を出したフランツィスカのまさかの言葉に、クリストファーは間の抜けた声を上げてしまった。
彼からすれば、フランツィスカは深窓の令嬢、確かに幼い頃は何度も訓練に来ていたし、姉とは親友だが似ても似つかぬ存在、だと思っていたところにこれである。
ぴしりと、彼の中の何かにヒビが入る音が、彼にだけは聞こえた。
「ちょっとフラン、クリストファー様が困ってるでしょ!? そういうことはもうちょっと遠回しに!」
「しかし、私もとても興味深いものを見せてもらったし。是非とも研究したい」
「ミーナは黙ってて! 収拾が付かないから!」
まだ常識人の範疇にいるエレーナがツッコミを入れるも、その横から即座にヘルミーナが混ぜっ返す。
攻撃魔術に造詣の深い彼女からすれば、魔力を込めた剣で殴り合うだけでこれだけの威力を出せるということは、それはもう興味を引かれる事象。
爛々と輝く目を見て、エレーナとクリストファーはほぼ同時に溜息を吐く。
だめだこいつら。早くなんとかしないと。
そうは思えど、どうにかできる手段は思いつかない。
考えあぐねている間に、話は終わったとばかりにガイウスが手を打ち鳴らし、周囲の注目を集める。
「それでは改めて実技訓練を行う! 総員戻れ、班の組み分けをし直して、実技訓練を開始!」
「「は、はいっ!」」
ガイウスの指示に、その場に居た騎士、兵士達は揃って声を上げた。
上げるように、もはや条件反射の域にまで鍛え上げられていた。
それがいいことなのか悪いことなのか、疑問に思うことも出来ないレベルで。
軍隊とは、あるいはそういうものなのかも知れない。
「……組み分けだけど、父さんと姉さんは別だからね」
「……やはり、だめか?」
「ダメに決まってるよね、あんな惨事を起こしたんだから!」
そう言いながらクリストファーが指で指し示した先では、地属性の魔術師達が必死にひび割れた地面の修復をしている。
流石にそれを見せられて、ガイウスも反論は出来ない。
言い負かした、と少しばかりクリストファーは溜飲を下げたのだが。
「ねえクリス。そうしたら、わたくしの相手は誰になるの?」
「え? それは……」
きょとんとしたメルツェデスの問いに、クリストファーは返答に詰まった。
ガイウスとの手合わせはどう考えても禁止。
しかし、メルツェデスと打ち合えるだけの腕を、そして度胸を持っているものは限られている。
ちらり、副長へと目を向ければ、そっと目を逸らされた。
かといって、まさか身体能力はともかく技術的にはまだまだなフランツィスカやエレーナに頼むわけには当然いかない。
となると、もはや選択肢は一つしかなく。
「……ぼ、僕が、相手をする、しか、ないんじゃない、かなぁ」
「やっぱりそうなるかしら。クリスも最近さらに腕を上げているし、いい訓練になりそうだわ」
頬をひくつかせながら答えるクリストファーへと、メルツェデスはにっこり、他意無く笑みを見せる。
本当に、全く他意は無いのだ。純粋にクリストファーとの手合わせを楽しみにしているのだ。
ただそれが、先程まで本当の本気のメルツェデスを見せられてしまったクリストファーがどう思うかは、全く別の話である。
かと言って、クリストファーに拒否する選択肢はありえない。
単純に、彼女の相手を出来る人間はガイウスを除けば彼か副長くらいであり、副長にまさか怪我の可能性がある訓練をさせるわけにはいかない。
加えてクリストファーとしても、姉に近づく悪い虫を払うためには、彼自身が姉の腕に近づかねばならないのだから。
例えそれが、絶望的な断崖絶壁の上にある到達点だとしても。
「ええ、やってやりますよ。……こうなればもう、破れかぶれだ!」
「あらあら、そういう心意気は嫌いじゃないけれど、雑になるのだけは止めてね?」
叫んだクリストファーの眼前から、メルツェデスが消えた。
それを認識した瞬間、ぞくりと嫌な予感に襲われたクリストファーは、ふっと脚の力を抜く。
途端にその両脚が払われたのだが、そこで彼は、自らの制御下において脚を地面から離し、その勢いを利用して地面を転がり、メルツェデスから間合いを取ったところで立ち上がった。
「……前言を撤回するわ。今のによく反応できたわね、クリス」
「いや、反応できたっていうのは、もっと華麗に回避出来ないと言えないんじゃないかな」
冷や汗を滲ませながらも、精一杯の強がりで笑みを見せるクリストファー。
今の瞬間、メルツェデスはいきなり身を沈め、右足で薙ぎ払うような足払いを仕掛けた。
しかしそれに反応したクリストファーは払われまいと踏ん張るのでは無く、身を投げ出して身体の自由を奪われることを回避し、メルツェデスから距離を取ることに成功。
勿論即座に追撃をされていたら、どうなっていたことかはわからないが……ともあれ、こうして仕切り直しとばかりに向き合うことは出来ている。
「華麗に、だなんていうのはお父様くらいの腕になってから考えなさい。
今は地道に、泥臭くとも最善を尽くすのがわたくし達のなすべきことよ」
「あ、姉さんの中ではまだこっち側なんだ? もう大分父さん側だと思うんだけど」
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど、わたくしなんてまだまだよ?」
「うん、あれでまだまだとか言われると、かなりの人間が自信を失うと思うなぁ!」
まさに自信を失いそうなクリストファーは、自身を鼓舞するかのように声を上げながら、訓練用の剣を手にした。
対するメルツェデスも、いつの間にか傍に居たハンナから同じく剣を受け取り、先程ガイウスとやり合ったせいでボロボロになった剣を手渡す。
そんなハンナの動きにまで、クリストファーの自信はチクチク刺激されているのだが、流石にそれは顔に出さない。
「では、その自信をしっかり折ってから立ち上がらせるのと、優しく丁寧に育てるのと、どちらがいいかしら?」
すい、と剣先をクリストファーに向けて突きつけながら、にっこりとメルツェデスが笑いかける。
余裕の中に、どこか挑発的なものを含ませながら。
もちろんそれはクリストファーにも伝わり。
「はっ、ははっ! どちらでもないよ、姉さん。折れるものなら折ってみなよ!!」
吠えるように言いながら、クリスはメルツェデスへと向けて吶喊した。
彼もまた、プレヴァルゴである。そして、男の子である。悲しいくらいに。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!」
もはや引くことなど出来ない。むしろ自ら退路は断った。
そして、彼のその動きは、とても14歳の少年とは思えない程鋭く、強かった。
ただ悲しいのは、相手が15歳とは到底思えない、極めて逸脱した存在だった、ということ。
「いいわクリス、あなたのその心意気、実にいいわ!」
もう一つ悲しむべきは、メルツェデスの中に、先程までガイウスと繰り広げた一戦の熱がまだ残っていたことだろう。
弟であるクリストファーの必死の剣戟に、彼女は応えた。応えてしまった。
「うわぁぁぁぁぁぁ!?」
先程の叫びと同じ、しかし全く違うニュアンスの声が響く。
彼が二度目に上げたのは、悲痛と言って良い程の叫びだった。




