燃え尽きて、夜。
「う゛ぁ~~~……しみる~……」
湯気立ちこめる広々とした大浴場に、ヘルミーナの声が響く。
そのあまりに気の抜けた声はもちろん、全裸で浴槽の縁に頭を乗せて大の字でぷかぷかと浮かんでいる様子を見れば、恐らくこの場に侯爵家の家庭教師がいたら叱りつけていたところだろう。
いや、ヘルミーナ相手にそれが出来る家庭教師がいたかは怪しいものだが。
「もう、ミーナったらはしたない。いくら女同士だからって、もう少し恥じらいというものを持つべきよ」
そう窘めるフランツィスカだが、本気で彼女を取りさえようだとかの動きは見せない。
単純にフランツィスカ達も疲れてしまってそんな気力が無いというのが大きいのだが、それに加えて、彼女がこうも疲労困憊になるのも仕方ない光景を見ていたのが更に大きく影響していた。
実技訓練となってからはヘルミーナの独壇場、好き勝手に近い勢いで攻撃魔術を展開していたのだが、固定された的は狙い通りに次々破壊していったものの、対人となった途端にその勢いは失速。
魔力の高さだけで言えばヘルミーナどころかリヒターにも劣る魔術師達だったのだが、実戦で鍛えられたその経験でヘルミーナの魔術を掻い潜り、耐え凌いで見せたのだ。
流石に『ホワイトアウト』のような超火力広範囲攻撃魔術は禁じ手としてヘルミーナも自重したものの、多連装『アイスランス』を凌がれ、『アイスストーム』にも耐えきられてしまえば動転もしてしまう。
結果、普段よりも落ちた精度で魔力を浪費するという悪循環にはまり込み、思い切り攻撃魔術を行使したのに不完全燃焼という有様に。
トドメとばかりに午後の訓練の締めはまた5kmのランニングであり、これでヘルミーナの体力と精神力はごっそりと削られてしまった、というわけだ。
「だって……もやし以下の魔力の連中相手に、この様だなんて……」
いじけたように力無いその口調は、かなり珍しいもの。
そのためか、普段ならば軽口の一つも入れるエレーナもどうしたものかと考え込んでいる様子。
ましてエレーナの隣にいるクララなどはどうしよもなく、おろおろとするばかりだ。
「ミーナには悪いけれど、先の大戦をくぐり抜けた古強者や、彼らに鍛えられてる人達だもの、簡単にやられてもらっては、プレヴァルゴとしても困るのよね」
「それはわかるし、私との違いも理解はしたのだけど……」
そこで、ヘルミーナは一度言葉を切って。
沈黙が降りたのは、1秒にも満たない時間だったか。
ぴちょん、とどこかで小さく水の音がした。
「……やっぱり、悔しくもある。倒せなかったことも、倒せると思ってたことにも」
苦み走ったその言葉に、聞いていたメルツェデス達は一様に驚いた顔を見せる。
あのヘルミーナが、自身の至らなさを悔いるようになった。
それだけでフランツィスカなど感涙ものであるし、普段振り回されているクララなどは信じられないような顔にもなってしまう。
「そうね、思っていた自分と本当の自分の違いに気付けば、そう思うのも当然よ。
わたくしだって、何度お父様に鼻っ柱を叩き折られたことか……」
「……この場合、比較対象が悪すぎる気がするのは気のせいかしら」
しみじみとメルツェデスが語る横で、エレーナは小さく小さく呟く。
色々と物申したい気持ちはあるが、今はヘルミーナのケアが優先。
であれば、今このタイミングでのツッコミは話の腰を折るデメリットしかないと判断してのことだ。
はたして、メルツェデスにもヘルミーナにも聞こえていなかったらしく、二人の会話は続いていく。
「メルにもこういう時があったんだ。……そんな時、メルはどうしたの?」
自身の参考になる経験談が聞けるかも知れないとあってか、ヘルミーナは大の字から姿勢を正し、若干背筋も伸ばしながらメルツェデスを見た。
好き勝手、あるいは傍若無人さがなりを潜め、TPOをわきまえたかのように見えるその振る舞いに、フランツィスカ、エレーナ、クララは更なる衝撃を受けたのも仕方が無いかも知れない。
更に言うならば、ヘルミーナが他人からの助言を求め、素直に聞こうとしているのだから。
『成長したのね、ミーナ』と心の中で呟きながら、フランツィスカは思わず目尻を拭う。
「そうね、まずはひたすら身体を動かしたわ。とにかく極限まで自分を追い詰めようと」
「まってメル、いきなり脳筋な発言になるのはどうかと思うの」
そんな感慨を吹き飛ばすメルツェデスの発言に、思わずフランツィスカはツッコミを入れてしまった。
だがメルツェデスは気を悪くした様子も無く、小さく笑みを見せながら首を横に振って。
「もちろんそれだけじゃないわよ? それだけ身体を動かすと、なんだか感覚も鋭くなっていくのね。
その状態で横になって目を閉じて、どう動けば良かったのか、を考えていくと、頭が整理されて次の時は見違えるように動けたりするのよ」
「なるほど、脳内でシミュレートする、と」
「まあ、動けても、結局お父様には勝てなかったのだけど」
「いい話だと思ったのに台無しよ!?」
感心したように頷いていたヘルミーナに、身も蓋もない現実を告げるメルツェデス。
思わず言葉を失ったヘルミーナの代わりに、エレーナが本領発揮とばかりにツッコミを入れる。
「だって美談にするつもりなんてないもの。赤裸々な体験談こそが力になると信じて」
「赤裸々過ぎるのよ、もっとこう、上手いこと加工してよ、メルならできるでしょ!?」
もう長い付き合いだ、エレーナからすればメルツェデスの頭の回転、話運びの上手さがどれだけのものかは、よくわかっている。
……むしろ彼女の機転のせいで撃墜されたのだが、そのことは今でもエレーナがメルツェデスに言えない最大の秘密だ。フランツィスカなどにはバレバレだが。
「とは言っても、失敗を糧に、どうして上手くいかなかったのか、どうすれば改善できるかを考えていくのは大事な事よ?」
「う……それは、確かにそうなのだけど……」
正論である。だから、エレーナも言葉に詰まる。
例えその根底にあるのが脳筋思考だとしても、これが正論であること自体は変わらない。
それを認めたエレーナは、はぁ、とため息を吐いて首を横に振った。
「どうして上手くいかなかったか……やっぱり、体力が消耗してたのは大きい」
「それは……確かに、身体が疲れていると、魔術も上手く使えないことが多いですしね」
ヘルミーナの呟きに、納得したようにクララが頷く。
急激に体力が伸びているクララだが、しかし1学期中の経験はまだ頭の中に残っており、当時の苦労は鮮明に思い出せた。
慣れないうちはランニング直後など集中が上手く出来ず、魔術が発動しなかったことも何度かあったものだ。
まして体力のないヘルミーナだ、その影響はクララのそれよりも大きいところだろう。
「だからプレヴァルゴでは、魔術師も走って体力を作るのよ。戦場にたどり着けないのも問題だけど、たどり着いても満足に動けなかったら同じ事。
いいえ、戦場に出て動けないのは、より一層問題とすら言えるわ」
「なるほど、たどり着けなかったら戦闘に巻き込まれることもないし命の危険もないけれど、たどり着けてしまったら……ということね」
メルツェデスの言い分に、フランツィスカは即座に理解を示し、納得している。
しかもそれは、個人の被害に留まらない。
戦力として計算していた隊はそこから崩れかねないし、そこが崩れてしまえば戦術にも、果ては戦略にまで影響が出かねない。
もちろんこれは極論だが、戦場のあちこちでそれが起こってしまえば、現実にもなりえる話だ。
「となると、やはり体力を付けるしかない。あるいは、体力回復の魔術を使うか。しかし……う~ん……」
「どうしたの? 魔術で解決できるなら、ミーナならそうすると思ったのだけど」
あれだけの治療回復魔術が使えたヘルミーナなのだから、体力回復だって問題ないはず。
不思議そうに小首を傾げたエレーナへと、ヘルミーナは珍しく弱ったような顔を向ける。
「正直なところ、効率が良くない。むしろ、すこぶる悪い。どうも、根本的に私の身体は運動に向いていないらしい」
「ああ、なるほど……わたくしやフランの真逆、ということね」
しょぼんと落ちたヘルミーナの肩を慰めるように撫でながら、メルツェデスは納得したように呟く。
メルツェデスやフランツィスカは、魔力を運動能力に変換する効率が極めて高い。
特にフランツィスカは良すぎる余り、相当な運動をしなければ余剰エネルギーで太ってしまう程である。
だからこそ彼女はしっかりと運動して魔力を消費してきたわけだが……。
ヘルミーナはその逆、極めて変換効率が悪く、底なしに思える彼女の魔力は、ランニングですらがっつりと削られてしまうらしい。
「かといって、毎回フランやわたくしが背負えるわけでもないし」
「結局、頑張るしかない、と」
メルツェデスの言葉の後にエレーナが残念そうな顔で繋げれば。
「う゛ぁ~~~~~~……」
また何とも気の抜けた、先程よりも脱力してしまった声を上げながら、またヘルミーナは湯船にぷかりと浮かんでしまった。




