過剰に保護される退屈令嬢。
日常に帰って来た、と思えていた時間は、残念ながら短かった。
父であるガイウスが帰ってきて数日ぶりに自宅での家族団らん、楽しい夕食をと思っていたのだが、そこに顔を出したガイウスの表情がどうにも思わしくない。
「あの、お父様……いかがいたしました?」
空気の重さに耐えかねて、もしか未だガーゼに覆われた額が原因かとメルツェデスが声をかける。
今この状況で、沈黙を破って声をかけられるのは、長子である自分だけだろうと空気を読んだ結果だ。
そんなメルツェデスの気遣いが通じたのかどうか、ガイウスの顔は笑みの形を作る。
ハンナやメルツェデスは元より、クリストファーにすらわかる、作り笑いだったけれども。
「いや、何でもない、メルティ。少しな、王宮内が面倒になってるだけなんだ」
「面倒、ですか? ……もしやそれは、わたくしが関係していますか……?」
メルツェデスが知る限り、ガイウスの王宮での立場は盤石だった。
三十年戦争を終わらせた実績だけでなく、終わらせるために必要な物資を調達する過程で築き上げた人脈もあって、押しも押されぬ存在である、と認識している。
そんな彼を悩ませるネタとなれば、先日国王陛下の御前で、粗相とも言える行いをした自分ではないか。
申し訳なさそうな、窺うような視線を受けて、ガイウスは困った顔を隠せない。
「あ~……すまん、メルティは確かに、関係している。
だが、それで俺の立場が悪くなったとかではないのだ。
ないのだが……だからこそ困っている、というかなぁ……」
ぼやきながら、ガイウスは食事へと手を付ける。
かなり厚手でボリューミーなはずのステーキが、サクサクとスナック菓子か何かのようにお手軽に消えていく様子はいっそ清々しくさえあった。
メルツェデスもまた見蕩れそうになったが、はっと気を取り直してガイウスへと問いかける。
「あの、立場が悪くなっていないのにお困りなのですか? それは一体……」
メルツェデスの素朴な、そして当然とも言える問いかけに、またガイウスは言葉に詰まる。
ごくりと肉を飲み込むと、天井を見上げ、壁を見て、腹心の家令を見て。
どうやら助けが来ないと理解すれば、はぁ、とため息を吐きながらナイフとフォークを置いた。
「仕方の無い部分もあるのだが……メルティが『天下ご免』のお許しを賜った、そのことは当然、貴族の間に周知された。
知られていなければ、単に小娘が無礼な振る舞いをしている、ということになるからな」
「それは、もちろんそうでございましょう。……というか、陛下は本気でお許しくださったのですね……」
その場限りの冗談、で与えられるようなものではない。
それでも、年端もいかない令嬢に与えるようなものでもない。
だから、形だけのもので終わるかも知れない、とメルツェデスは思っていた。
しかしクラレンスは冗談でもなんでもなく、認めたことを広めたわけだ。
きっとそれは、彼なりの誠意の表し方だったのだろう。
メルツェデスからすれば、勘弁してくださいとお願いしたいものだったが。
「うむ、本気も本気だ。そして当然、目ざとい連中もそのことに気付いたわけだ」
「あの。もしかして、まさか……わたくしへの婚約申し入れが来た、とかですか……?」
メルツェデスが賜った『勝手振る舞い』、あるいは『天下ご免』は、メルツェデス個人のものだ。
だが、その伴侶となれば、メルツェデスを通して間接的に使うことができる、ということでもある。
となれば、目端の利く、利に聡い貴族連中が目を付けないわけがない。
悪用、もとい活用できれば、どれだけの利益が舞い込んでくるものか、と皮算用もしてしまうものだろう。
そこまで読めてしまったメルツェデスへと、ガイウスは、しかし首を振った。
「来た、どころではない。あれはもう、殺到と言っていいだろう……伯爵連中は元より、侯爵、果ては公爵すら言ってきたからな……」
「そこまでですか!? た、確かに『天下ご免』はそれだけの価値があるのでしょうけれども……」
あるのだろうが、当事者であるメルツェデスとしては、寂しいというかいたたまれない。
傷物令嬢の、その傷こそが価値がある、と言われているようで。
当然、娘に甘いガイウスが、そのことに気がつかないわけがない。
そっと手を伸ばし、壊れ物を扱うかのような優しい手つきでメルツェデスの頭を撫でながら、宥めるように話しかける。
「メルティ、気にすることはない。『天下ご免』目当ての連中など、俺が近づけさせない。
それに、意に沿わぬ相手ならば、それこそ『天下ご免』で断ればいい。
もちろんまずは俺が壁になるが、万が一乗り越えられても、お前にはかわす手段があるのだから」
「お父様……そうですわね、お父様なら大丈夫ですわよね。
できればそんなことに『天下ご免』を使いたくはありませんが、いざとなれば、そのために使わせていただきます」
ガイウスの言葉に少し安心したメルツェデスは、ほにゃっと緩んだ微笑みを見せた。
それを見た瞬間、ハンナが胸元を押さえ、ガイウスがまた天を仰ぐ。
クリストファーなど、びっくりしたように硬直して動けない。
また沈黙が支配した食堂に、メルツェデスがあれ? あれ? と左右を見回す。
その中で、最初に復帰したのは、意外にもクリストファーだった。
「お父様。それでしたら、僕が最初の壁になります。
いえ、壁にならないといけないのだと思います。僕は、お姉様を守る壁になりたい!」
いきなりの宣言に、メルツェデスは目を見開いて幾度も瞬き。
だが、正面から受け止めたガイウスは、うん、うん、と重々しく何度も頷いて見せた。
「よく言った、クリス。それでこそ、このプレヴァルゴの嫡男だ。
お前の覚悟は受け取った。遙かに高く堅固な壁とすべく、明日より俺が手ずから稽古をつけよう」
「お父様……ありがとうございます! このクリス、クリストファー、身命を賭してその稽古を全うしてみせます!」
「うむ、明日からの俺は、ちと手厳しいぞ!」
「望むところです!」
「ちょっと待ってくださいませ!?」
男と男の会話で盛り上がる父と弟の間に、メルツェデスは割って入った。
この時代、この国では、家のために結婚するなど当たり前のこと。
その結婚も無理だろうと思っていたところに、まさかの縁談殺到。
もちろんそんな縁談など断るつもりではあったが、それを阻止せんとする父と弟のこの熱意はなんだろう。
クリストファーなど、瞳に暗く猛る炎を宿しているようにすら見えた。
そして当のクリストファーが、にっこりと闇色の微笑みを向けてくる。
「待てません。むしろ事態はまったなしの状況なのです。それは、お姉様もおわかりですよね?」
「そ、それはわかるけれども……でもクリス、あなたが身体を張ることなんてないのよ?」
「何を言ってるんですか? 僕ごときに勝てない者など、お姉様の隣にふさわしくありません。
これはつまり、あくまでも自然な選考なのです。
お姉様だって、ご自分より弱い男を伴侶とするなど、考えられないでしょう?」
「うっ、それは、そうなのですけども……でも、でしたらわたくしが手合わせをすればいいのでは?」
その言葉に、クリストファーもガイウスも、ハンナや使用人達すら一斉に首を横に振った。
あまりに息の合った動きに、思わずメルツェデスはぎょっとして言葉に詰まってしまう。
「お姉様に勝てばよい、となれば、日夜場所を問わず挑んでくる輩も出るでしょう。
プレヴァルゴの家訓、『常在戦場』を盾にしてくる連中は必ずいます。
そこでまず僕が引き受ければ、仮に僕が敗れたとしても、少なくとも、お姉様が手の内がわからぬ輩にいきなり挑まれることはなくなるじゃないですか」
「ついでに、15歳以上の成人している連中は、まず俺を倒すように通達しよう。
お前達が年若い内に、と思うような姑息な連中はこちらから願い下げだ」
「それ、事実上のお断りですわよね!?」
前述のように、ガイウスはこの国最強の剣士と言ってもいいだけの実力を持つ。
その彼に勝てというのだ、15やそこらの若造には無理難題にも程がある。
なぜだかメルツェデスの脳裏には、勝手にかぐや姫ばりの要求をしているガイウスとクリストファーの姿が浮かんだ。
「当然、素行調査は私とジェイムス様で行いますし、目に余るものは裏でこっそりお引き取りいただきます」
「息を引き取らせるってことじゃないですわよね、ハンナ!」
「あら、流石お嬢様、お上手なことをおっしゃいますね」
「否定して! 形だけでも否定してくださいまし!」
後ろに控えていたハンナがにっこりと笑うのに、ぶんっと勢いよく振り返ったメルツェデスがツッコミを入れる。
ちなみにジェイムスとは、プレヴァルゴ家の執事、メイドなどの使用人達を統括する家令の事である。
先代より仕えて早五十年とも言われる彼は、普段は真っ白な髪を丁寧に撫で付けたオールバックで固め、にこにこと好々爺の笑みを見せる穏やかな人物だ。
だが、この屋敷に住むものは全員、彼がただ者ではないことを知っている。
少なくともハンナは、色々な意味で歯が立たない、と理解していた。
そんな彼は、誰よりもプレヴァルゴ家に忠誠を誓っている。
当然メルツェデスの望まぬ縁談などと聞けば、裏でいかようにも動くであろうことは想像に難くない。
そして、彼が一度動けば、必ず完璧な仕事を成し遂げてくる。そのことは、メルツェデスもよく知っていた。
「なんで、なんでわたくしの縁談ごときがこんな大事になってますの!?」
「実際大事だからです。諦めてください、お嬢様」
「理不尽ですわ!?」
ハンナの窘めるような言葉に、一人納得できないメルツェデスは声を上げる。
だが、その声に賛同するものは一人もいなかった。




