楽しい夜。きっと。恐らく。多分。
「さあ、では始めましょうか」
和やかに、これ以上無いくらいの笑顔で、フランツィスカが言う。
そのまま寝ることも出来る薄い青色のワンピース姿で床に座りながら。正確に言えば、敷き布団を敷き詰めた床に座りながら、だが。
どちらにせよ、公爵令嬢として普段であれば物申される格好ではある。
だが、普段なら煩いフランツィスカ専属侍女も、今日この時ばかりは目をつぶってくれるらしい。
あるいは彼女も知っているのだろう。これが、今宵限りの幻にも似た儚いものであることを。
「ええ、始めましょう。……といっても、どうしたものやら、なのだけれど」
フランツィスカに応じながら、メルツェデスは小首を傾げた。
ちなみに、メルツェデスが座っている右隣には何気ない顔でフランツィスカが収まっている。
反対の隣にはエレーナがいるのだが、そのことに対して誰も何も言っていない。言える訳がない。
いや、ヘルミーナであれば言えるだろうが、彼女はそういったことに疎いので気付いておらず、言うも何もないのだが。
「その辺りはクララに教えてもらうのよね?」
「あ、あの、教える、というようなことも特にはないのですが……こうやって夜に集まって、おしゃべりをするのがメインで……」
エレーナの言葉に答えながら、クララは若干居心地が悪そうな顔で身じろぎをする。
彼女もエレーナも、同じように堅苦しくないワンピース姿。
なので衣服が苦しいだとかではなく、純粋にこの場でどう振る舞えばいいのかがわかっていないのだ。
「ならば、是非ともじっくりと光属性について話がしたい」
そこで空気も何も読まないのがヘルミーナである。
己の知識欲を前面に押し出しての発言に、しかしそれに慣れてしまっているメルツェデス達は、朗らかに笑うばかり。
いや、クララだけは顔が引きつっているが。
しかし、慣れているとは言え、折角の機会に色気の欠片も無い会話は避けたいところ。
「それはそれで、クララさんと後日二人で話した方が効率が良くないかしら」
と、フランツィスカが微笑みながら流そうとするのだが。
「いや、皆がいる場の方が、思わぬ発見がありそう。なんだかんだ、フラン達は魔術の素養と理解において優れたものがあるし。
案外クララみたいな半分素人の方が思わぬ発言をしたりするし」
「私への期待がなんかこう、複雑なんですけど!?」
さも当然といったドヤ顔で言うヘルミーナへと、悲鳴のような声でクララの非難が飛ぶ。
本来であれば侯爵令嬢へとしていい発言の仕方では無いが、クララの発言はもっともだし、フランツィスカ達もそこに突っ込む気は無いようだ。
「どの道、何か閃いてもすぐに試すわけにはいかない時間なのだし、それはまた後日でいいんじゃないかしら」
「むぅ。……流石に、人様の家で夜にはまずいか……」
メルツェデスの言葉に残念そうな顔をするも、ヘルミーナは大人しく引き下がった。
この辺り、ヘルミーナも成長したなとフランツィスカやエレーナは驚き半分感心半分な顔で見ていたりするが。
ともあれ、なんとか納得してくれたのか、それ以上はヘルミーナも言い募らなかった。
「で、となると何を話題にするか、なのだけど」
「明日からの訓練内容について……は、流石にダメよね、ええ」
仕切り直そうとしたエレーナへとメルツェデスが冗談めかした口調で言うも、他の面々の顔を見て、即座に撤回する。
流石にヘルミーナよりは空気が読めるのである。ならば最初から控えろと言われたらそれまでだが。
「メルはおいといて。クララさん、こういう時の定番の話題って何かないかしら」
「えっ、定番、ですか? それは、えっとぉ……」
フランツィスカから振られて、クララは口籠もる。
若干頬を赤くしながら、きょろりきょろり、四人の顔を見回し。
ちらりちらり、エレーナの顔を幾度か見たりしながら。
「その……恋バナが定番ではありました」
「「恋バナ」」
クララの言葉に、フランツィスカとエレーナの声が重なる。
なおヘルミーナは興味を引かれた様子もなく、メルツェデスはどう反応したものかと考えているようにも見える。
「この中で、特定の相手がいるのはミーナだけど」
「……ミーナにそれは、期待したらいけないわよね」
「まあ確かに、あのもやし野郎相手に恋だなんだはないけど」
エレーナとフランツィスカの言い様に、しかしヘルミーナは気を悪くした様子も無くあっさりと頷く。
魔術による殴り合いや理論における激論はあれど、色恋のようなそれはない。
婚約者として定期的なお茶会をしてはいるが、大体の場合それは口げんかか魔術理論の討論会だ。
ということはフランツィスカ達も知っていたし、当人が悪びれた様子も無く重ねて説明したりするのだから、クララとしては目を点にしてしまうのも仕方ないところ。
「確かにこれは、恋バナとは言えませんね……」
呟くように言いながら天井を仰ぐクララを、誰も責めることはできない。できるわけがない。
となれば、他の話題は。
最近話題のスイーツ……は、この時間では自殺行為。いわゆるメシテロだ。
メシテロという概念はもちろん無いが、まずいということだけはクララにもわかる。
さて、ではどうしたものか。と考えていたところで、思わぬ声が上がった。
「特定の相手がいなくても恋バナは出来るんじゃないかしら。
ほら、フランもエレンもクララさんも婚約者とか特定の相手がいないけれど、誰かいいと思う人はいないの?」
悪気無く。全くもって悪気無く、無邪気にメルツェデスが言う。
途端、沈黙が降りてしまったことは仕方のないところだろう。
フランツィスカやエレーナは元より、傍で控えている侍女やメイド達まで『何言ってんだこいつ』という目でメルツェデスを見ているのだから。
自分への好意に鈍いメルツェデスだが、流石にこの妙な空気は理解できたらしく、あれ? と珍しく若干慌てた様子で皆を見回している。
そんな中、いち早く立ち直ったのはフランツィスカだった。
「私やエレンの場合、色々政治的に面倒だから、ちょっと、ね。
もちろんこの場に居る皆のことは信頼しているのだけど、万が一もあるし」
「そ、そうね、私達だと、こう、影響が大きいし」
「言われて見ればそれもそうね……ごめんなさい、無神経なことを言ったわ」
フランツィスカの言葉にエレーナが続けば、納得したメルツェデスは素直に頭を下げる。
流せたことに安堵を覚えながらも、それでメルツェデスの頭を下げさせたことにはフランツィスカもエレーナも罪悪感を感じてしまう。
だからか、慌てたようにフランツィスカが手を振って。
「ううん、無神経とかはないわよ、大丈夫」
そこで、一度言葉を切る。
メルツェデスへと申し訳ないと思う気持ちも勿論嘘ではないのだが、フランツィスカの脳裏では、これはチャンスなのでは、という打算も働いていた。
だから。
ゴクリ、と小さく喉を鳴らし、舌で唇を湿らせて。
フランツィスカは、なんでもないことのように取り繕いながら、口を開いた。
「そういうメルこそ、誰かいいと思う人はいないの?」
もしかしたら地獄の釜の蓋を開けるかも知れない問いかけ。
しかし、きっと避けては通れない問い。
理解しながら発したフランツィスカは、真顔にならないよう笑みを作りながら、瞳にも真剣な光が宿らないよう制御を試みながら。
それでも、まっすぐメルツェデスを見つめた。




