お楽しみは、これからだ。
そんな風にジークフリート達が人知れず奮闘していた頃から、時間は少し巻き戻る。
フランツィスカ達をそれぞれの部屋に案内した後、メルツェデスは訓練所の自室へと一旦戻った。
そこには、当たり前のようにハンナが、汗を流したらしくこざっぱりとした佇まいで控えて居たりするのだが、メルツェデスは別段驚いた様子もない。
「ハンナもお疲れ様。毎年見張りを任せて、悪いわね」
「労いのお言葉、身に余る光栄にございます。しかし、お嬢様の麗しき玉の肌を守るためであれば、この程度どうということはございません」
「そ、そう……まあその、ハンナがそれでいいのであれば、いいのだけれど」
この有能なメイドが、時に人間離れした能力を発揮するのはある意味メルツェデスにとっても慣れたものではある。
それでも、どちらかと言えばその常軌を逸した熱意に、引いてしまう瞬間もある。
今がまさにその瞬間であり、思わず言い淀んでしまったのだが、ハンナはそれに気付かなかったように何も言わない。
ある意味それはそれで有り難いので、メルツェデスはそれに甘えて話題を変えることにした。
「それはそうと、この後フランの部屋に集まってお泊まり会をすることになったのよ。
だから、取り急ぎ髪や身体のケアをお願いしたいのだけど」
「はい、かしこまりました。……それにしても、お泊まり会、ですか。
確かに、こんな機会でもなければ、特に公爵令嬢であらせられるお二人はお泊まりなど、中々出来ないでしょうしね」
唐突ともいえる話に、しかしハンナは驚いた様子も無くあっさりと頷いて見せる。
ハンナからすれば目下最大のライバルであるフランツィスカとエレーナではあるが、ハンナに彼女らとの付き合いを引き留めるような権限はないし、そこまで狭量でもない。
大人の余裕を見せながら、まずはメルツェデスの髪を乾かし、丁寧に梳き、軽く香油を付けて、といつものようにケアをしていく。
「お泊まり、ということは砕けた格好で寛がれるでしょうし、普段よりも念入りにお手入れをしておきましょうか」
「そんなに気を使わなくてもいいとは思うのだけれど……まあ、ハンナに任せるわ」
「かしこまりました、では少々失礼いたしまして」
メルツェデスの言葉を受けて、ハンナはまず彼女の髪をタオルでまとめ上げた。
それから、寝台にバスタオルを何枚も敷いて。
「ではお嬢様、お召し物を失礼いたします」
そう言いながらメルツェデスの衣服を脱がせ、寝台へと誘う。
実はこれが、ハンナがメルツェデスとの入浴を我慢して見張りに付くことができた理由でもあった。
つまりハンナはメルツェデスの裸身は日頃から見ており、何なら触れてもいるのだ。
もちろん大浴場という普段とは違うシチュエーションが醸し出す味わいもあろうが、ハンナからすれば、メルツェデスの肌が男連中の目に触れないことの方が優先順位が高い。
それもあって、ハンナは任務を優先した、というわけだ。
そして、今から与えられるのは汗を流す間もなく見張りに励んだハンナへと与えられるボーナスタイム。
いや、メルツェデスからすればそんなつもりはないのだが、ハンナにとってはそうなのだから問題無い。
ということで、ハンナは慣れた手つきで上機嫌に鼻歌など口ずさみながら、メルツェデスの肌へ化粧水を塗り込みつつマッサージをしていく。
フランツィスカのようにタオル越しで無く、素手で。
ただでさえ滑らかな肌を、化粧水やオイルを纏わり付かせた指はぬるりぬるりと一切の抵抗を感じることなく流れていく。
指先が感じ取るそれはハンナにとって官能の極みであり、それだけで脳が焼き切れそうな程の高揚を感じるのだが、そんなことは一切顔に出さない。
あくまでも仕事、丁寧にスキンケアをしています、という顔でハンナはじっくりたっぷり、メルツェデスの肌を撫でさすっていく。
「いかがですかお嬢様、加減の方は」
「ええ、とてもよくってよ。何だかこのまま寝てしまいそうなくらい」
「別に、少しくらいお眠りになっても大丈夫ですよ?」
「そうは言ってくれるけれど、やっぱりあなたに悪いもの」
むしろ寝てくださった方が、などという不埒なことも一瞬頭をよぎるが、ハンナはそれも顔には出さない。
もし万が一そうなった場合、彼女は自分の理性に自信が持てない、というのもあるかも知れないが。
ともあれ、ハンナの内心が色々な意味でぐちゃぐちゃドロドロになりながらも、彼女はきちんとメルツェデスの身体を磨き上げ。
「ふぅ。お疲れ様でした、お嬢様」
「ええ、ありがとうハンナ。ふふ、やっぱりハンナのスキンケアは最高ね」
満足そうに言いながらメルツェデスは下着を、衣服をハンナの補助を受けながら身に付けていく。
この状況で指先まで震わせることなく完璧にコントロールしているのは、ハンナが長年のお付き暮らしで身に付けたスキル、と言っても良いだろう。
「お召しになるのは、寝間着のようなもので構わないということでよろしいのでしょうか」
「そうね、そのまま寝てしまっても構わないような格好で。……ふふ、クララさんが困惑していたけれど」
「それは致し方ないところかと。あの方の経緯や立ち位置を考えますと、どう振る舞って良いのかおわかりにならないでしょうし」
どこか楽しげなメルツェデスに対して、ハンナはクララへと若干の同情を見せる。
元平民で、今は男爵令嬢。当然未だクララの意識は平民寄りだし、仮に男爵令嬢としての意識が強かったとしても、公爵令嬢に侯爵令嬢も参加するこのお泊まり会に、まともな精神状態で参加などできるわけもない。
その境遇にはいっそ同情すらしてしまうが。
「でも、お泊まり会の経験があるのがクララさんだけだから、彼女に色々教えてもらわないといけないのよね」
と、クララの境遇には理解を示しながらも、メルツェデスはため息を吐いた。
残念なことに、メルツェデスも前世含めてお泊まり会の経験がない。
真面目でお堅く勤勉だった彼女には、それはそれで友達はいたのだが、同じようにお堅かったためにお泊まりなどもしていなかった。
結果として、そんな友達との楽しい一夜を経験することなく今に至り、転生して伯爵令嬢となれば中々そんな機会も無く、だったのである。
これが公爵令嬢になれば更に、であり、侯爵令嬢であるヘルミーナは、本人の性格も相まってそんなことはやろうともしていなかった。
つまり、これが色々な意味において、クララ以外の全員にとって千載一遇のチャンスなのである。
であれば、心苦しいかも知れないが、クララに指南役をお願いしてしまうのも、致し方ないところであった。
ちなみにそのクララは、お泊まり会の経験をうっかり楽しげにしゃべってしまった結果全員の欲求に火を付けてしまったので、この扱いはある意味自業自得だったりする。
「色々と思うところはありますが……まあ、仕方ないですよね。こうやってのんびりと、夜の楽しみを語っていられるのは、恐らく今日が最後ですし」
「そうねぇ……フランはあるいは、だけれど、他の皆は……ギリギリ、クララさんは、かしら。
いずれにせよ、夜はベッドとお友達になる可能性が高いのは間違いないから」
ハンナの呟きに、メルツェデスは苦笑しながら答えた。
彼女は、明日からの日々がどんなものか知っている。もちろんハンナも知っている。
ついでに言えば、友人達の体力もわかっている。
だから、明日からどうなるか、よくわかってしまっている。
「明日の晩ご飯、どうやって食べてもらおうかしら。いっそ流動食を用意しておく?」
「流石にそれではおかわいそうです。もしもクララ様が動けるのならば、体力回復の魔術を使っていただく方が……」
「……ああ、それならわたくしも使えるから、そちらの方が確実ね。
ミーナの前で、いえ、むしろミーナに使うことが躊躇われてしまうけれど……」
そう言いながら、メルツェデスは物憂げにため息を吐く。
今まで、なんとかしてヘルミーナに『体力回復の魔術を使えばいいのでは?』と悟らせずに来ていた。
だがしかし、それもいい加減限界に来た、と言うべきなのだろう。
あるいは、クララの平穏と食事を口にする気力体力を失ったヘルミーナを放置することを天秤に掛けることになってしまえば、というところだろうか。
「恐らく、今のクララ様、あるいはこのキャンプを乗り越えたクララ様であればなんとか逃げ延びられるようになるのではないでしょうか」
「そうね、そう信じるしかないわね」
慰めるようなハンナの言葉に、躊躇いがちに頷くメルツェデス。
確かに、あの『魔獣討伐訓練』からクララの体力はぐんぐんと伸びている。
その成長の仕方は、まさにゲームのクララを彷彿とさせるもの。
であれば、きっと乗り越えてくれるに違いない。
乗り越えられるだろう。
乗り越えてくれるといいなぁ。
まあちょっとは覚悟しておいてくださいまし。
そんなことを考えながら、メルツェデスは準備を整え、お泊まり会会場であるフランの部屋へと向かった。




