掴んだ糸口。
「それで、実際その中身はどんなものなんだ?」
そう問いかけるジークフリートの手元にあるのも『闇属性魔術に関する論考』と書かれている。
つまり彼らは今、闇属性魔術について調べているのだ。
「そうですね、概要だ何てとんでもない。これだけ詳細に記述されたものは、我が国にもそうはないでしょう。
……ただ一つ、詠唱だとかを含めて発動方法が全く書かれていない、という点を除いて」
「なるほど。悪用される心配がほぼないからこそ、閲覧も許可された、というわけだな。ということは」
「ええ、本当にミーナを連れてこなくて良かったですよ。恐らく禁書指定されているであろう、詠唱などが書かれた物まで出せと暴れかねないですから」
納得したように頷いて見せるジークフリートへと、リヒターは苦笑を返す。
そしてジークフリートの推察は事実であり、リヒターの危惧も恐らくその通り。
おまけに、リヒターの見立てでは、この国の魔術師達であってもヘルミーナを無力化するためには相当な人員を投入しなければならない。
万が一そうなってしまえば国際問題になるのは必至なうえ、そもそも彼らが生きて母国に帰ることが出来るかも怪しい。
そういう意味では、この場に連れて来なかったのは正解と言っていいだろう。
「私達の目的にはこれで十分なのだが……なるほど、彼女はそれで納得しないだろう、と」
「属性が違えど、使える可能性が僅かでもあれば……あるいは、それを流用できないか、などと考えるのがあいつです。
良く言えば研究者気質、ですが……」
「あるいは噂に名高い『マジキチ』か、ということですな!」
「おいギュンター、私が黙っておこうと思ったことを!」
物憂げな表情を見せるリヒターに、本当に空気を読んでいないのか怪しいギュンターがばっさりとぶちまける。
もちろんジークフリートもヘルミーナの噂は知っていたし、学園に入学してからの数ヶ月で、それが事実であることもよくわかっていたのだが。
「いえ、そう言われるのは仕方ないですし、概ね事実ですし。
困ったことに、それはそれでいいかなとも思っているんですよ、今のミーナであれば」
「まてリヒター、早まるな。いいのか、本当にいいのか!?」
失礼を通り越して無礼とも言えるギュンターの言葉に、しかしリヒターは涼しい顔。
確かに政略的な婚約の上、つい一年前までは魔術でボコボコにされていたのだから、リヒターの反応が冷たいのならば仕方ない。
だが、ジークフリートが見るに、彼の涼しさは、冷たさとは違って見えた。
「あいつの、あの良くも悪くも魔術にまっしぐらなところは、それはそれでまあ、いいんじゃないかとは思っているんです。
特に最近は、クララ嬢が良い刺激となって、集団回復魔術を使う事にも達成感を感じているようですし」
そう告げるリヒターの顔は、涼しげな、あるいはさっぱりとしたもの。
彼曰くの『何か大きな事』に近いことであれば、既に幾度も彼女は見せた。
そしてそれは更に強く、そして彼から見て正しい方向へと向かっているようにも見える。
しかし、と不意にリヒターは顔を曇らせ。
「とはいえ……闇属性の魔術に触れさせるのは、流石に怖くもありますね……。
今のあいつならば大丈夫だと思いたいのですが、少しばかり不安は残ります」
そう呟きながら、リヒターは手にした魔術書へと視線を落とした。
そこに書かれていた魔術の効果は、到底普通の火・水・風・土の四属性では為し得ない効果ばかり。
何故そんなことができるのか、どうしたら出来るのか、出来ればどれだけ愉快なことか。
彼女の『マジキチ』な部分が変に刺激されてしまえば、そうなってしまう可能性は否定できない。
そのことは、誰よりも彼がよく知っている。
「そう、だな……闇属性特有の、精神に関与する魔術だとかは四属性にはないもの。
その仕組みだなんだに興味を引かれても不思議では無い、か」
「あいつの場合は、興味を引かれれば倫理観だとかが二の次になるところは、未だにありますからね……。
だから、力を振るうことに躊躇いがない。
困ったことに、あいつの場合何か私欲を満たすために力を振るうというわけではなく、むしろ力を振るうことこそが欲求となっているのが困ったところでして」
「ある種原始的な欲求だけに、止めることが難しいわけだな」
ため息を吐きながらのジークフリートの言葉に、眉間に皺を寄せながらリヒターが頷き同意した。
例えば、誰よりも速く走りたい。誰よりも重い物を持ち上げたい。
そういった、人間が持つ原始的な欲求と、それが達成された時の充実感。
当然それらは否定されるべきものではないし、そういったものがあるから人間が、文明が発展してきた部分はある。
しかし、文明が発達したからこそ、その原始的な欲求が制限無しに振るわれてしまっては悲劇が巻き起こるという矛盾。
特にヘルミーナは、万が一があれば引き起こす悲劇は災害並みと言っていいものになるのは間違いない。
「ただ、まあ……今のミーナならば、失いたくない友人が出来たようですから、踏みとどまってくれると信じていますけれども」
「……そこは、自分のためにとは言わないんだな」
「僕はそこまで自分を過大評価していませんよ。精々が、魔術的に打たれ強い実験相手、程度なものでしょう」
若干どころでない自虐を込めた言葉に、ジークフリートは掛ける言葉が無い。
彼の目から見てもヘルミーナはリヒターに対して容赦が無く、学園での訓練においてもかなり壮絶なことになっていた。
聞けばそれでも丸くなった方であり、入学前はもっと悲惨だったと聞けば背筋が凍ったものだ。
ジークフリートが言葉を探したため、彼ら以外に誰も居ない書庫はしばし沈黙が降り。
「なるほど、つまりリヒター様の打たれ強さは、ヘルミーナ様に認められているわけですな!」
「そう取るか!?」
唐突にギュンターが声を上げれば、ジークフリートがツッコミを入れる。
そして、同時に確信する。
こいつ、絶対天然じゃない、計算だ、と。
何故ならば、少しばかりこの場の空気が軽くなったのだから。
「いや、それはどうだろう」
流石に何年もの間色々と抱え込んでいたリヒターは、ギュンターの朗らかな声に否定的な声を発したが。
小さく、『そうだといいけれど』と呟きもする。
もし、そうならば。
彼ならば大丈夫だと、ある種の信頼と共にぶつけてきていたのだとしたら。
「まてリヒター、落ち着け、それでいいのか? 本当にいいのか!?」
リヒターの思考の動きを読んだかのようなジークフリートの声に、リヒターはハッとした顔になる。
危なかった。何かよくわからないが、確かに危なかったという実感だけはしっかりとあった。
ふるり、気を取り直すために。あるいは何かを振り払うために首を振る。
振り払って良かったかどうかは、彼にもわからない。
「そうですね、本当にいいかどうか、もう少し落ち着いてから考えます」
「いや、再考の余地があると考える時点で大分拙いと思うのだが……」
だが、そこから先は個人の感情、あるいは二人の関係に拠る話だ。
それがわかってしまうジークフリートは、大きく息を吐き出して頭を切り替える。
「それで、何か役に立ちそうな情報はあったか?」
「おっと、申し訳ございません。そうですね……中長期的に、敵の打ってきそうな手段の参考になりそうなのがいくらかと……」
ジークフリートの言葉に、リヒターの手はまたページをめくり始めた。
どうもこの書物は後から後から注ぎ足されるように書かれたらしく、体系的に纏まっていない。
『概要』というのは、きちんと纏めていないという意味なのか? とリヒターが訝しんでいたところで、不意に手が止まる。
「……ありました。プレヴァルゴ家の密偵から報告のあった、『シャドウ・ゲイト』と呼ばれる魔術。
己の影を入り口とし、定めた出口へと転移する魔術、とあります」
「つくづくとんでもない魔術だな……しかし、定めた出口、とはどういう定義なんだ?」
問われて、リヒターは再び書物へと目を落とし、古代に書かれた難解な文字を、さながら自国の言語であるかのように説明を読み解いていく。
ジークフリートも勿論読むことは出来るのだが、理解をしながら、という点ではやはりリヒターには及ばないところだ。
「どうやら、術者本人がその現場に赴いて、魔術的儀式を実行しなければいけないようですね。
ただその儀式そのものは簡略化が可能であるようです」
「つまり、『出口』を設置したい場所に術者本人が行けることが肝要、ということだな」
なるほど、と頷いて見せたジークフリートだが、次の瞬間には硬直したように動きを止めた。
ほとんど同時に、リヒターも同じ考えに至ったか、その目に鋭い光が宿る。
「ということは……ジークフリート殿下が連中にとって最大の標的であるにもかかわらず、王城で直接狙われたのは五年前のあの時だけ、それも潜入に長けたプロの仕業のみ、と考えると」
「ああ、連中は、王城内に『出口』を作れていない。しかし、だからこそ作ろうと企んでもいるはずだ」
「となると、新たに王城の御用商人だとか王城に出入りできる立場を狙ってきているはず、ですね」
「ああ、ということは……ギュンター、伝書鳩の用意を!」
「はっ、かしこまりました!」
推論を擦り合わせた先に、見えたもの。
ジークフリートの言葉に、ギュンターが弾かれたように出入り口へと向かい、その外で警護していた同僚へと指示を出す。
その様子を見ながら、ジークフリートはふるりと小さく身震いをしていた。
連中の目論見を防ぐ目処が立った。
更には、そこから連中を追い詰めていくことが出来るかも知れない。
長らく悩まされてきた『魔王崇拝者』への反撃の糸口となりえる情報に辿り着いたとも言えるのだから。




