どこか間違った夏模様。
「な、なんだかのぼせそう……」
存分に四人でくっついた後、ヘルミーナがそう訴えたことで、やっと彼女達の戯れは終わった。
大浴場でいちゃいちゃするなど、当然本来は令嬢たる者がすべきことではない。
だが、この場にそれを咎める者などいなかった。
何しろ、ほぼ全員と言っていいだけの人間が、その光景に見とれていたのだから。
その光景を見ていた一人の侍女によれば、あれは神話のごとき光景だった、という。
いずれ劣らぬ美少女達が、一糸まとわぬ姿で湯に浸かり互いに戯れ合うその光景は、とても人間のそれとは思えなかった、きっとあれは妖精の仕業に違いないと真顔で語るその姿は、何とも背筋が寒くなる程。
つまり、高位貴族に仕える侍女という訓練された人間すらおかしくしてしまうほどに、その光景は美しかったのだ。
当の本人達には、そんな自覚はまるでなかったが。
ともあれ、きちんと汗も流し、温泉の効果で疲労も回復して、となれば、のぼせてまで長居する必要は無い。
また、男性陣を外で待たせている以上、不必要に時間を使ってもよろしくない。
「ということで、申し訳ないけれど給水や休憩、スキンケアはそれぞれの部屋でしてもらうことになるわ」
と、言葉通り申し訳なさそうに、この場の責任者たるメルツェデスがフランツィスカ達に頭を下げる。
高位貴族の令嬢であるフランツィスカやエレーナは、湯浴みの後も慌ただしく着替えることなどなく、ゆったりと飲み物を飲みながら寛ぎ、お肌のお手入れや髪の手入れやらを侍女やメイド達にしてもらう時間を過ごすのが普通だ。
しかしこの場にそんな余裕は色々な意味で無く、入浴が終わればすぐに移動し、後の者に譲らねばならない。
まして、メルツェデス達は知る由も無いが、うっかり残り香でも嗅いでしまえば男性陣の命に関わるため、出来る限り速やかに移動し、残った使用人達が換気まで完了させねばならないのだから。
そこまでの事情は知らされないものの、濡れた髪をタオルで纏め直した後女性陣は着替えて移動し、各々の部屋で髪を乾かすなどとアフターケアをすることになった。
なお、言うまでもなくフランツィスカにエレーナ、ヘルミーナとおまけにクララにも賓客対応用の個室が割り当てられている。
賓客用とは言え所詮は訓練施設に備え付けられたもの、公爵令嬢が普段使っている部屋とは比べようもないのだが、元々さして我が儘でも無く、更にあの『魔獣討伐訓練』を乗り越えた彼女達が文句を付けるわけもない。
「訓練にお邪魔させてもらう立場なのに、なんだか申し訳ないわね」
湯浴み後の軽装のまま部屋を確認したフランツィスカやエレーナは恐縮しているくらいである。
ましてクララなど、緊張と申し訳なさと恐れ多さでガチガチになっていたりするのだが。
「まあ、折角備え付けたのにプレヴァルゴの訓練に参加する物好きな高位貴族の方は滅多にいらっしゃらないから、たまには使ってあげた方が部屋も喜ぶんじゃないかしら」
「なるほど。……いえちょっと待って。多分参加するような人が滅多にいないとわかってたんじゃないの? なのに、どうしてまたわざわざ」
メルツェデスの補足に、エレーナが首を傾げる。
そもそも王都からプレヴァルゴ領にあるこの山岳地帯まで馬車で一週間近く。しかも最後は徒歩で半日ばかり歩く羽目になる。
そんな所にわざわざ高位貴族が来るとは思えないし、ガイウスであればそれくらいはわかりそうなものだが。
というエレーナの問いに、メルツェデスは困ったような笑みを見せた。
「それが、ねぇ……以前は陛下が幾度もいらしてたらしくて」
「なるほど? ……何故かしら、メルに付き合っていると、陛下や王家のイメージがどんどん変わっていくのだけど……」
ある意味納得し、ある意味頭の痛い返答に、エレーナはこめかみを押さえる。
国王クラレンスがガイウスの同級生であり友人付き合いをしていることは以前にも述べたし、エレーナもそのことは知っていた。
だが、王太子の時分から、あるいは即位してからもこの辺鄙な場所にある訓練場で、ハードさに定評のあるプレヴァルゴ家の訓練に参加していたのだとしたら。それも何度も。
普段の温厚でありながら理知的でもあるクラレンスのイメージが、かなり揺らいでしまったのは仕方のないところだろう。
「そう? 結構やんちゃだったみたいよ、陛下。お父様に何度もボコられたっておっしゃってたし」
「まず普通の貴族はそこまでボコらないからね!? それでガイウス様を重用なさってる陛下も陛下だけど……流石とも言えるけども」
どこか楽しげ、あるいは誇らしげにも見えるメルツェデスへとツッコミを入れながらも、内心でエレーナは感心もしていた。
温厚かつ論理的でありながら決断力もあり、直言を好み、貴族派の提言であっても飲み込む度量を持つ国王。
ギルキャンス公爵の話や数少ない彼女自身の目で見た経験から、エレーナはそう評価している。
可哀想だから言わないが、正直なところ父である公爵の一枚も二枚も上手である、とも思っていたりする。
そんな彼の王としての資質は、こんなところでも培われてきたのかも知れない。
だからこそ、遠慮も容赦も無くボコってくるガイウスをああして重用しているのだろう。
……おかげで、その娘であるメルツェデスもクラレンスの興味を引いているらしいのは複雑な思いがあるが。
「そう、ガイウス様は陛下にまで容赦なさらないのね。……私も一度ご教示いただけないかしら」
「まってフラン、何だか変なスイッチ入っちゃってるわよ?」
「フランだったら、お父様も喜んで相手をしてくださるのではないかしら」
「あなたも止めなさいよメル!?」
急にぽつりと、どこか求道者のような雰囲気を漂わせながらフランツィスカが言えば、メルツェデスも嬉しそうに応じる。
合間に入るエレーナのツッコミは、残念ながら効果を発揮せず虚しく響いていく。
「だってエレン、あの黒獅子と名高いガイウス・フォン・プレヴァルゴ様に直接お会いできて手ほどきを受けられるかも知れないのよ?
この機会を逃すわけにはいかないじゃない」
「そんな憧れの役者に会えますみたいな顔で言われても! っていうかどうしてそこまで入れ込んでるのよ!?」
公爵令嬢であるフランツィスカに対して、ある意味真っ当なツッコミを入れるエレーナ。
そう、どちらかと言えばフランツィスカは守られる立場の、言わばお姫様である。本来であれば。
だが、そんな常識的な立場に、最早彼女はいなかった。
「どうしてって……力が欲しいから、かしら」
「なんだかメルみたいなこと言ってるし!?」
「まって、わたくし、力が欲しいだとかエレンの前で言ったことないわよ?」
「ってことは思ったことはあるのね!?」
普段はどちらかと言えばツッコミ側であるフランツィスカがあちら側に行ってしまった以上、この場にツッコミはエレーナしかいない。
まだクララはエレーナ側だが、流石に立場の違いもあってツッコミを入れるなど出来はしないだろう。
言うまでもなく、ヘルミーナにそんなことは期待できない。
となれば、エレーナが孤軍奮闘するしかないのだ。
「あら、流石にいくらわたくしでも、望まずにこんな力が手に入ったら怖いわよ?」
「……どうしよう、おかしいくらい強い自覚は一応あったんだって安心しちゃったわ」
ツッコミを連打していた所にやっとそれなりに理解できる発言がきたことで、エレーナはようやっと一息吐けた。
もはやその基準がおかしいということに、当のエレーナ自身も他の誰も気付いていなかったが。
「え、強いとは思っているけれど、おかしくはないでしょう? お父様にはまだまだ敵わないし」
「十二分におかしいわよ!? ていうかメル以上ってガイウス様どんだけなの!?」
「そうねぇ……先日のあれでは、ミノタウルスを一撃で仕留められたとか」
「ほんとに人間なのガイウス様!?」
先日あれだけの無双っぷりを見せつけたというのに、本人はきょとんとした顔である。
まずそもそも、王国最強と言われるガイウスを比較対象に出す時点でおかしいのだが……かたや弱っていたとはいえガルーダを一刀の下斬り捨てる娘、かたや一撃でミノタウルスを吹き飛ばす父親。
残念ながら、似たもの親子である。
「その話を聞くと、ますます直接手ほどきをしていただきたいわね……そのパワー、体感してみたいわ」
「ギュンターさんみたいなこと言わないで!? っていうかパワーだけならメルでもギュンターさんでもいいじゃない!」
「だから、パワーではわたくしも敵わないのよ、まだ」
「まだって、いつか追い抜くつもりなの!?」
止めたくても止まらない。
メルツェデスがしゃべればしゃべる程にガイウスのとんでもエピソードは増えそうであり、ますますフランツィスカの意欲は増すばかり。
どうすれば、どうすれば、とエレーナの頭も混乱し始めた時だった。
「……そう言えば、そのギュンターさんはこちらにいらっしゃらなかったのですか?」
不意に割り込んだのは、クララであった。
その言葉にヒートアップしかけていたエレーナも、訓練の意欲をかき立てられていたフランツィスカも、少しだけ冷静さを取り戻す。
言われて見れば、クリストファーと親交もあり、かつ鍛錬馬鹿的側面もあるギュンターがここに来ていないのは、どうしたことなのか。
「ギュンターさんも来たがっていたのだけど、殿下の護衛があるから、ねぇ」
「ましてその殿下がこの夏に外遊するとなれば、どうしようもないわよね」
クララの疑問に答えたメルツェデスの後を追うようにフランツィスカが補足する。
その返答にしばしパチパチと目を瞬かせたクララは、顔に驚きを浮かべた。
「え、外遊、ってことは外国に……夏期休暇なのに、外交のお仕事に出られたのですか!?」
悲鳴のようなクララの声に苦笑しながら、あるいは哀れみながら、高位貴族令嬢達が頷いて見せる。
そう、第二王子ジークフリートに、優雅な夏のバカンスはないのだった。




