零れた剥き出しの言葉。
「あ~……しみる~~~……」
なんだかんだドタバタとして、盛大にクララの悲鳴を響かせたりなどして。
やっと一段落付いてと思えば、騒動の一端を担った、むしろ悲鳴を生み出した張本人であるヘルミーナは、だら~んと両手両脚をだらしなく伸ばしながら湯船に浸かっていた。
長い髪が湯船に浸からぬようにとタオルでまとめ上げているせいか、普段よりもその整った顔が更に際立っている。
おまけに緩みきったその表情は、あどけないと言っても良い程に無垢なもの。
何も知らずにこの場面を見た人間は、妖精が湯船に浸かって寛いでいるようにも見えただろう。
残念ながら、今この場に居る全員が全員ヘルミーナの所業を知っているだけに、そんな感慨は微塵も抱いていないのだが。
「ちょっとミーナ、だらしないわよ? そんなかっこではしたない」
「大丈夫、問題ない。今ここには、女性しかいないから」
「むしろ今このお風呂場に男性がいたら大問題なんですけど……」
窘めるエレーナへと返すヘルミーナの言葉は、その姿勢通りにふにゃふにゃなもの。
困ったようにクララがツッコミを入れるが、それも全く響いていないようだ。
言うまでも無く、今この場に、男性が存在できるわけがない。
ガイウス、クリストファー、ハンナによって形成されたトライアングル警戒網を突破できる可能性がある者など、強いて言うならばプレヴァルゴ家家令のジェイムスくらいのもの。
その彼は当然そんな不埒な真似をするような忠誠心はしていないし、何なら狩る側に回っているところだ。今、この場に居れば。
残念ながら彼は今、王都のプレヴァルゴ邸にてガイウス不在を預かり、あれやこれやを切り盛りしているのだが。
ということは、もしもこの場に侵入できる男性がいた場合、それはこのエデュラウム王国のどこであっても侵入できる腕を持つということ。
それはつまり王城にすら忍び込むことが可能ということであり、クララが思っている以上に大問題になる可能性が高いのだ。
幸いにして、そんな人間は少なくとも現時点では存在し得ないのだが。
「まあねぇ、公爵令嬢二人に侯爵令嬢一人、伯爵令嬢一人に聖女候補一人の裸を見た、なんて男が居たら、本人は八つ裂き、一族郎党根切りになりかねないから」
「……そう言われると、確かに大事だわねぇ……」
エレーナの言葉に、しばし考えたフランツィスカがしみじみと同意する。
彼女達にその気がまるでないからいまいち実感には乏しいが、政治的に考えれば高位貴族の令嬢である彼女達の貞節は国家運営を左右しかねないものであり、それを僅かばかりでも汚した者の処遇は国家反逆罪にも匹敵するものになってしまうのは致し方ないところ。
温厚なフランツィスカであっても、こればかりは否定できないところだ。
「あ、あの……根切り、ってなんですか……?」
きょとんとした顔の、クララの素朴な疑問に、しかしエレーナもフランツィスカも動きを止めた。
彼女達にとってはあり得る事態として頭にあるためうっかり口にしてしまったが、この平民出身で心優しい少女が、根切りの意味など知るわけが無い。
どう説明したものかと一瞬迷ったその隙に、まるで迷うこと無く口を開いた者がいた。
「元々は建築や農業の用語で、地面を掘り返して植わっていた植物の根を断ち切り、二度と生えてこないようにする作業のことを言ったのだけど、それが転じて面倒事が起こらないように一族郎党皆殺しにすることを根切りと言うようになったの」
「ひぃぃぃ!?」
「ちょっとミーナ!?」
エレーナ達が躊躇していた内容をずっぱりと。
しかも淡々と大したことでも無いかのように言うから、尚のこと真に迫って恐ろしい。
だからクララは悲鳴を、エレーナは非難の声を上げ、しかしヘルミーナは二人の反応を見て不思議そうにきょとんとしている。
「まあその、滅多にあることじゃないから、ね? 少なくともこのエデュラウム王国では」
「特に今のクラレンス陛下は、そんな必要がないように前もってあれこれ為さる方だから」
プルプルと震えるクララを宥めようとフランツィスカが、ついでメルツェデスがフォローを入れるが、中々落ち着いてはくれないようだ。
『魔獣討伐訓練』で大活躍したとはいえ、まだまだ普通人のメンタリティは残っているらしい。
それはそれで、その感覚を持っていてくれることにメルツェデスなどは安堵を感じたりもするのだが。
「後は、そうね……こんな言い方は良くないのだろうけど……クララが聖女と認められたら、そういうお沙汰に関与できるようになれるかも知れない、とは言えるかしら」
苦みを滲ませながらエレーナが言えば、クララの震えが急に止まった。
それは、言葉通り、言いたくなかったけれどもクララの怯えを無くす為には、という気持ちからの言葉。
クララの性格からして、そんな権威を持つことを望みはしないだろうことは、エレーナもよくわかっている。
しかし、彼女の怯えを払拭するためには、こんな言い方しか浮かばなかったのも事実。
そして実際、クララの震えは止まったのだ。
「あの、エレーナ様。……私、聖女になった方がいいのでしょうか……?」
「え? ……正直に言えば、良いか悪いか、はわからないわ。
もちろん国としては聖女が誕生してくれた方がいいけれど、それがクララにとって良いかと言われたら、何とも言えないわね」
国としては。それはつまり、公爵令嬢のエレーナとしては、クララが聖女になってくれた方が良い。
ギルキャンス公爵家が得られる政治的なアドバンテージもそうだが、何より国家の利益として、聖女という存在がもたらすものは計り知れない。
であれば、クララを聖女にする以外の選択肢はあり得ない。普通ならば。
「聖女になるということは、その生涯を国に捧げるということ。
私やフラン、メルは幼い頃から貴族だったから、その覚悟は長い時間を掛けて醸成されてきていると思う。
でもクララ、あなたは急に貴族として養子に引き取られたのだから、その覚悟が出来て無くても仕方ないし、何ならずっと馴染まないことも十分ありえると思うの」
考えながら、言葉を選びながら。
クララを真正面から見つめてのエレーナの発言は、真にクララを思いやってのもの。
少なくとも、クララ本人にはそう思えた。
「ちょっとエレン、なんでそこに私が入ってないの。私だって生まれながらの貴族なんだけど」
「ぅわっ!? ちょっ、ミーナ、いきなり抱きつかないで!? 大体ミーナ、『国家の為に』なんて献身性、あなたに欠片程でもあるっていうの!?」
「うん、そう言われたらまあ、ない、としか言いようがないのだけど」
「そこはもうちょっと言い方を考えなさい!?」
今こうして話をしている五人の中で、生粋の貴族は四人。いや、前世の記憶があるメルツェデスは、生粋と言って良いか若干悩むところではあるが。
その中で一人除外されたヘルミーナが抗議をしながらエレーナへと絡みつき、驚いたエレーナが顔を赤くしながらもがき、抵抗する。
実はエレーナに懐いている節のあるヘルミーナは、学園の中でもちょくちょくエレーナに抱きつくことはあった。
だから、抱きつかれること自体は、エレーナも慣れてはいる。
しかし、風呂場で、一糸まとわぬ姿で、素肌が触れあう形で抱きつかれてしまえば、それは動揺もしてしまうというもの。
そしてそんなエレーナの反応が面白かったのか、ヘルミーナは中々離れてくれない。
「ていうかミーナ、さっきまでバテバテだった癖に、なんでもう元気になってるの!?」
「……そういえば。この温泉に浸かってから、なんだか急に疲労が回復したような気がする」
エレーナに言われて、ふとヘルミーナが動きを止める。
まじまじと自分の手を、あるいは身体を見て、何やら思案げな顔。
……まあ、その間もエレーナに抱きついたままではあるのだが。
「だから言ったじゃない、疲労回復効果は間違いないって。
ここの温泉は水の魔力が濃く含まれていて、だから回復効果が高いと言われてるのよ」
「なるほど、だから特にミーナは元気になっている、ってことかしら」
メルツェデスの解説に、なるほど、と納得した顔でフランツィスカが頷く。
光属性を除けば、水属性は最も回復魔術が強い属性だ。
その魔力が豊富に含まれているとあれば、疲労回復などの効果が高いことも頷ける。
しかし、ということは。
「……もしかして、火属性の私にはあまり効果がないのかしら」
「……その可能性は、否定できないわね……」
そう、フランツィスカは火属性である。
そして、火属性は水属性と相性が悪いという性質がある。
となれば、回復効果が十分に発揮されない可能性はある、のだが。
「そこは心配しなくてもいいと思う。
私のヒールレインで回復した連中の中には火属性の人間も沢山いた。
その連中もちゃんと回復してたから、少なくとも回復魔術だとかその類いであれば、相性は気にしなくていいんじゃないかな」
「ミ、ミーナが人を気遣ってる!?」
「まってエレン、人を人でなしみたいに言わないで。それに……」
そこまで言ったヘルミーナが、更に言葉を続けようとして。
しかし、言葉が出せず、口をハクハクと動かすばかり。
あまり見慣れない光景に、どうしたのだろうと皆が見つめる中、ヘルミーナは言葉無く口を動かして。
じわじわと顔を赤くしながら、やがて、意を決したらしく一度息を大きく吸った。
「わ、私だって……皆のことは、大事な友達だって、思ってるし……」
傍若無人、人でなしを地で行っていたヘルミーナからの、まさかの発言。
いや、もちろん彼女から友情や親愛は感じていた。
だが、まさかここまでストレートに、大事と言われるとは思っていなかった。
そこに、これである。
「ミーナ! 私もあなたのことを大事だと思っているわ!」
傍で直撃を受けたエレーナが、まず抱きついた。
そして。
「私だって、ミーナのこと大好きよ!」
フランツィスカも、ぎゅっと二人まるごと抱きしめてくる。
「もちろんわたくしだって、ミーナのこと、大事な友達だと思ってるわよ?」
そしてメルツェデスが、三人を包み込むように腕を回して。
この流れの中、クララはえ、え、と四人の様子を慌てふためきながら見て。
「そ、その……私だって、ヘルミーナ様のこと、嫌いじゃないですからね?」
流石にもう抱きつく余地はないし、そもそも抱きつけるような性格でも無い。
だから、そっとヘルミーナの腕に触れながら、クララは言う。
そして、その直後に後悔することになる。
「言ったね? 嫌いじゃない、ということは好きと言っているも同じ。
つまり私の実験対象としてその身を捧げてくれるつもりがあるということ」
「そんなことは一っ言も言ってませんよ!?」
急に調子を取り戻したヘルミーナへと抗議の声を上げながら。
それでいて、クララの顔は、困惑しているようでありながら、どこか楽しげでもあった。




