きっとそこは、血塗られた桃源郷。
それから気を取り直した風を装って自分も服を脱ごうとしたフランツィスカだが、興奮のあまり手が震えてしまい、結局侍女に手伝ってもらってやっと全裸になることができた。
途端、今度は周囲の視線をフランツィスカが独り占めである。
メルツェデスに見蕩れていた彼女だが、その彼女もまた立派な発育を遂げていた。
毎日のトレーニングによって引き締まるところは引き締まり、付くべきところには筋肉が下支えとなって付いている。
結果として、フランツィスカの肉体は、淑女のお手本と言っても良いものだった。
「……結局フランもメルのことを言えないわよねぇ」
「え、何のこと?」
きょとんとした顔で応えるフランツィスカに、エレーナは思わず溜息を吐いた。
かく言うエレーナとて、フランツィスカの隣に並んで恥じることのないプロポーションではある。
だが、存在感とでも言うべき何かが、フランツィスカに比べて足りない、と彼女は思う。
それが筋肉の付き方に拠るのか、それとも他の何かが原因なのか、残念ながら、エレーナにもわからない。
ただわかるのは、フランツィスカもまた、自分の魅力に無頓着だ、ということだ。
「いえ、良いのよ、わからなければ。わからせようとしても時間の無駄だろうし」
「そうそう、それより早く汗を流したい」
エレーナの援護……に見せかけて自身の欲求を遠慮無く主張するヘルミーナ。
彼女は彼女で雪のように真っ白な肌にほっそりとしたスレンダー体型と、妖精か何かのように儚げで麗しいプロポーションをしているのだが、彼女もまた自身の身体には無頓着である。
いや、彼女に関しては、そもそも他人の身体にも頓着がないのだが。
「その、こう言ってはなんですけれど、エレーナ様とフランツィスカ様がお入りになりませんと、他の方も入りにくいかと……」
「……それもそうね。ごめんなさい、うっかりしてたわ、クララ」
おずおずとしたクララの意見に、それもそうだ、とエレーナは頷いて見せた。
なお、クララはその身体をバスタオルで隠してしまっている。
エレーナやフランツィスカ、ヘルミーナは普段から入浴の際はメイド達が手伝うため、裸を人に見られることにはある程度慣れているのだが、平民出身であるクララはそうはいかない。
これで養子に入ったのが伯爵家だったりすれば別だっただろうが、ジタサリャス男爵家では使用人も少なく、クララも一人で入浴していた。
となれば当然、人から身体を見られる経験などほとんどないわけだから、隠してしまうのも無理からぬことだろう。
「あら、クララさんごめんなさい、大浴場にはバスタオル持ち込み禁止なのです。
ボディタオルも出来るだけ湯船に浸けないようにしてもらわないといけませんし」
「えっ、そ、そうなんですか!? でも、一体、どうしてですか……?」
この場を取り仕切るメルツェデスから言われて、クララは覿面に狼狽する。
これがヘルミーナから言われたのであれば、また揶揄われているのかと思ったりしたところだが、メルツェデスが言うのだから額面通りに受け取ってしまう。
普段の行いとは、こんなところでも効いてくる。
「一言で言ってしまえば、不潔だから、ですわね。
人の身体には、目に見えない汚れ、病気の元が付着しています。
だから浴槽に入る前には身体を洗ってもらうのですけれど、その汚れがタオルに付着していたら、結局そのタオルを浴槽に浸けたら汚れが入ってきてしまいますからね。
これが数人程度であれば然程気にしなくてもいいのですが、何十人もとなると影響が大きくなってしまいますから」
「な、なるほど、衛生的な問題だったのですね……そ、それなら、仕方ない、ですっ」
メルツェデスの説明に納得したクララは、勢いを付けるようにそう言って。
……それでも恐る恐る、ゆっくりとバスタオルを身体から離した。
現れたのは、フランツィスカ達程洗練されてはいないけれど、少女らしい魅力を湛えた身体。
ヘルミーナまではスレンダーでなく、程々に凹凸を備えたそのボディラインは、フランツィスカ達が八分咲きから満開とすれば、未だ蕾の段階。
だが、だからこそ開花すればさらなる魅力を持つだろうと期待してしまうもの。
この辺りは、流石ゲームの主人公と言って良いかも知れない。
「さ、それでは皆様お待たせしました。簡素なものではありますが、広さだけは十分ですから、土産話がてらご堪能ください」
そうしてそれぞれにそれぞれが一糸まとわぬ姿を曝け出したところで、メルツェデスが浴室へと案内をする。
まずは公爵令嬢であるエレーナとフランツィスカ、次いで侯爵令嬢のヘルミーナ。
なおその間、フランツィスカの視線はメルツェデスの背中とお尻に釘付けだったことを追記しておく。
ともあれ、そうして案内された浴室は、確かに大浴場と呼ばれるにふさわしいだけの広さを持っていた。
内装そのものは騎士や兵士のためのものであるため簡素ではあるのだが、それだけに気安さも感じるもの。
何よりも、この広さと、それでいて寒気を感じない程に充満する湯気、それを供給する元であるたっぷりとしたお湯が今この時においては何ものにも代えがたい贅沢なものとして感じられた。
「これは……本当にすごい大きさね……」
この時ばかりはフランツィスカの視線もメルツェデスから離れ、大浴場を見回してしまう。
公爵家であるエルタウルス家の屋敷には、もちろんしっかりとした造りの浴室が備えられている。
だが、それは例えばフランツィスカ専用の個室風呂であり、一人用としてはもちろん大きいのだが、単純な広さとしてはこの大浴場に及ぶはずもない。
更に驚くべきことは。
「ちょっと待って、これ、お湯が勝手に沸き出してきてるんだけど……まさか、こういう造りなの!?」
「ええ、だって数百人から千人近くの大人数が使うのよ? 一々洗い場で使うお湯を交換してたら人手がいくらあっても足りないじゃない」
「その理屈はわかるけどわかんないわよ!? コスト的にはわかるけど、普通はこんなことしないわよ!?」
エレーナが、つい無防備に悲鳴のような声を上げてしまう。
流石に「矢は高いから傭兵を突っ込ませろ」と言われるような時代ではないが、それでも燃料費と人件費を考えれば、燃料費を削るのが一般的だ。
何しろ燃料費は、ただ金を使うだけでなく、資源も使う。
例えば薪は、木を切ればいいというものではない。
一年近くかけて乾燥させなければ良い燃料として使うことが出来ない、などとも言われるもの。
つまりは無くなってもすぐ供給するということが出来ない限られた資源であり、それを浪費するなど以ての外。
しかし、ここプレヴァルゴ家の施設では、遠慮も容赦も無く燃料を使い、お湯を絶え間なく供給して人手を減らすことを選択している。
ということは、人手が塞がることのデメリットの方を重要視しているということでもある。
この辺りは、戦場で人を使う事に長けたガイウスだからこその采配、なのかも知れない。
「確かに贅沢に見えると思うけれど、思ったほどは燃料使わないのよ。
あっちの浴槽のお湯は、地面から沸いてきた温泉を使ってるし」
「まって、ここのお風呂、温泉なの? 疲労回復や疾病にも効くという話もある?」
メルツェデスがさも当たり前のように言った言葉を看過できる程、フランツィスカは私欲に振り回される女ではなかった。
日本と違い、このエデュラウム王国では、決して温泉の数は多くない。
しかし、だからこそ効能はまことしやかに、実態から若干誇張された形で伝わっている。
曰く、怪我の治りが早くなる。病気が回復する。虚弱体質が改善した。美肌効果があった。などなど。
フランツィスカ自身の身体で確かめたことはなかったが、彼女も信頼する人物も言っていたことがあるため、関心はそれなりにあった。
それを、今、まさに自身の身体で確かめられる。
フランツィスカやエレーナの胸が高鳴ってしまうのも、致し方ないところだろう。
「ええ、多分その温泉よ。少なくともここの温泉に関して言えば、疲労回復効果は間違いないわ。
その他だと……そうねぇ、わたくしの肌はここの温泉のおかげ……なんて、流石に言い過ぎだけれど」
夏と冬だけ、しかもそれぞれ一週間から二週間程度の滞在。
その間に毎日温泉に浸かったからと言って、どれだけの効果があるかと言われれば怪しいものだ。普通ならば。
だがしかし、その怪しい言説に説得力を持たせるくらいにはメルツェデスの肌はきめ細やかで、なんなら艶やかですらあった。
ゴクリ、誰かが喉を鳴らした。
居並ぶ侍女、メイド達は、今にも我先にと浴槽に突進せんばかりの顔である。
「ただ、恐らくだけれど、ちゃんと汚れを落として、肌を開いてから入るから効くように思うのよね。
ということで、そういう意味でも、ちゃんと身体を洗ってから入ってくださいましね?」
そんな彼女らの機先を制するように、メルツェデスが和やかにいう。
どうしてこんな時ばかりは人の心が読めるのだろう、とフランツィスカやエレーナだけでなく、侍女達まで思った。
彼女達もまた、主であるフランツィスカ、エレーナの空回りぶりが不憫でならない日々を送ってきたのだ、そう思うのも無理は無い。
しかし、今この場で、その積年の恨みにも似た思いをぶつけるものもいない。
そんなことをすれば、こんな広い浴場の温泉に浸かるという一大イベントを逃すことになりかねないのだから。
ならば、まずは身体を洗わねば。
そんな空気の中、一人の令嬢が口を開いた。
「なら、ちゃんと身体を洗わないといけないわよね? ねえメル、女性騎士の人に聞いたのだけど、しっかり洗うためにお互いの背中を流し合う、なんて風習があるらしいじゃない。
だったら、折角の機会だし、私達も背中を流し合わない?」
にこやかに。
あくまでもにこやかに、淑女としての顔を崩すこと無く、フランツィスカが提案する。
だが、その後ろに控えている侍女は見抜いていた。
フランツィスカの背中や腰がわずかに震えていたこと。
何よりも、今にも鼻血が噴き出しそうなほどに興奮しているのを、必死の努力で表に出さないでいたことを。
そんな限界近いフランツィスカに気付くこと無く、メルツェデスは楽しげな笑みを見せた。
「あら、流石フランね、よくご存じで。いいわね、折角だもの。いわゆる裸のお付き合いってやつね」
と、元凶は無邪気に、邪心無く、汚れなく、言う。
それが色々な意味でフランツィスカに直撃すると自覚することなく。




