ざわめいて、夏。
激しく厳しい『魔獣討伐訓練』もなんとか終わり、それから休養などもあって、数日後。
平穏が戻った学園では、ちょっとした変化が起こっていた。
「あの、ヘルミーナ様、こちらのお菓子もいかがですか?」
「ん、ありがたくいただく」
「あ、こちらもよろしかったら……」
「ありがとう、これ食べ終わったら」
いや、ちょっとした変化、では無いかも知れない。
教室の一角、ヘルミーナが座る席に数人の令嬢が訪れ、次から次へとお菓子を差し出し、それをヘルミーナがパクパクと食べている。
さも当然のような顔でヘルミーナが食べているから勘違いしそうになるが、それは、今まで一度も見たことのない光景だったはずだ。
かと思えば、少し離れた場所ではジークフリートに対して子爵令息や男爵令息達が積極的に話しかけている。
「殿下、次の戦技訓練において、是非ともご指導いただきたいのですが……」
「そうだな、次の訓練であれば……君達の班の指揮は執ったことがないし、丁度いいだろう」
「はっ、ありがとうございます!」
ジークフリートの返事に、班のリーダーらしき子爵は敬意の籠もった眼差しで心から嬉しそうに胸に手を当てながら返事をした。
その横では、ギュンターに男爵達が稽古を付けてもらう段取りをしている。
このように、その雰囲気や立場から遠巻きに見られていたヘルミーナやジークフリートと他の生徒達の距離が明確に縮んできていた。
さらに別の一角では。
「ああ……メルツェデス様、今日も凜としたお姿で、なんて素敵な……」
「こうして拝見しているだけで、顔どころか身体の奥まで熱くなってしまいそうですわ……」
二人の令嬢が顔を寄せ、そっと囁き合いながらメルツェデスへと熱い視線を向けていた。
もっとも、向けられている当の本人は全く気付いていないのだが。
もちろん淑女として教育を受けている彼女達だから、まじまじとした不躾な見方はしていない。
だとしても、普段あれだけ気配に鋭いというのに、好意100%な視線にはどうしてこうも鈍感なのか。
むしろ、隣で談笑しているフランツィスカとエレーナの方がその視線に敏感に気付いているくらいだというのに。
そんなこんなで、現在1年生の間では『ヘルミーナ様こわくてかわいい、即ちこわいい』派と『ジークフリート様一生ついていきます』派、そして『メルツェデス様抱いてください』派の三陣営に分かれ混迷を極めていた。
そう、先日の『魔獣討伐訓練』において特に大活躍した三名である。
となれば当然憧れもしてしまうし、訓練中のやり取りなどである程度コミュニケーションも取れるようになった。
更にヘルミーナにはお菓子を上げれば近づきやすい、ジークフリートは訓練の話であれば積極的に絡みやすいとあって、この二人は今まで絡みの少なかった令嬢、令息から頻繁に声を掛けられるようになっている。
その三派の中で傍目に変化がないように見えるのはメルツェデス周辺だが、これは願望が願望だけに仕方のないところではあるだろう。
むしろ変化があったら色々まずい。
しかし、特に令嬢達からメルツェデスへと向けられる視線の熱量は明らかに変化しており、またそれが本人には気付かれないようにと隠しながらな辺りが、かえって本気度を表しているようにも見える。
そんな変化が見られるようになったある日の放課後、ある意味一番影響を受けている二人が、上位貴族向けサロンでひっそりと集まっていた。
「困った状況になったわね……いずれこうなるのはわかっていたけれど」
「そう、ね……そしてあの朴念仁は相変わらず気付いてないみたいだし」
はぁ、と令嬢らしからぬ溜息を吐きながらフランツィスカが言えば、向かいに座るエレーナが悩ましげに頷いて返す。
今日は珍しくこの二人だけのお茶会。
という名の愚痴大会に、フランツィスカがエレーナを誘った形だ。もちろん護衛や侍女、メイドはいるが。
「簡単に気付かれても困るわよ、私達のことだって何年も気付いてないんだから、メルは」
「まあねぇ、もうかれこれ5年? それだけの間我慢してる私達も大概だけれど」
ぼやくフランツィスカに、エレーナは苦笑を返す。
二人が初めてメルツェデスに会ったあの日から、もうすぐ6年になる。
奇しくもその時二人が二人とも彼女に魅せられ、友人付き合いの中で振り回されながらもますます惚れ込み。
しかし同性故に言い出せぬまま、ここまで来てしまっていての、現状。
今のところメルツェデスに熱を上げているのは同じく同性である令嬢達が大半ではあるのだが、だからと言って安心もしきれない。
それに、もしかしたら自分達とは違うタイプの令嬢が、メルツェデスの琴線に触れるかも知れないのだから。
更には問題がもう一つ。
「今更だけれど、やっぱりジークフリート殿下はメルのことを……みたいだし」
「やっぱりねぇ……それこそ殿下も5年だか6年だかだもの、メルも罪な女だわ、まったく」
「油断していたらギュンターさんも、ということもありえるし……」
「ん~……ギュンターさんは大丈夫だと思うけれど、可能性はないわけではないわねぇ。とはいえ、釣り合い的に難しいだろうけど」
フランツィスカが上げた二人は、男性の中で恐らく一番メルツェデスに近い二人と言っていいだろう。
特にジークフリートは過去の出来事もある上に、先日のボディコンタクトを切っ掛けとして更に思いを募らせているようだ。
もっとも、メルツェデスに支えられるという形に本人が少々情けなさを感じているためか、未だに表立っての行動には移していないようだ。
それでも、とエレーナは言葉を続ける。
「それで言ったらやっぱり殿下が一番危険ではあるのよね。政治的にも釣り合い的にも」
「そうなのよね……メルには申し訳ないけれど、メルが怪我をした時に慰謝料代わりで婚約が結ばれなくて良かったわ」
フランツィスカも、困ったような何とも言えない顔で応じながら、紅茶へと手を伸ばす。
メルツェデスの額に傷が付いた経緯は二人も聞いているし、その際に、王家側が第二王子であるジークフリートとの婚約でもって賠償とすることも考えていたことは、当然二人とも察していた。
結果としてその算段は空振りに終わったし、今も改めての申し入れはされていない。
だが、もしも王家側が、特にジークフリートが吹っ切れて申し込んできたら。
「断るだけなら、今のメルなら『勝手振る舞い』で断ることもできるけれど」
「受け入れかねないのが、ね。貴族の責務とかそんな感じで。元々プレヴァルゴの家は王家への忠誠が強い家だし」
憂鬱に、フランツィスカは今日何度目かのため息を吐く。
最近は比較的恋愛結婚も増えてきてはいるが、それでも基本的に貴族の結婚は家同士のもの。
そこに愛があろうがなかろうが、それが家の為、更には国のためとなれば受け入れるのが貴族というものだ。
まして今のメルツェデスは、戦場で命を散らす覚悟もしているのだから、別の形で身を捧げることを厭わない可能性は高い。
「やはり、このままではいけないわ」
決然とした表情で、フランツィスカがおもむろに言葉を発した。
その表情に、言葉の強さに、思わずエレーナは手にしかけたカップを置き、何事かとフランツィスカを見る。
「このまま、メルの一番近いところで安穏としていてはだめなのよ。それは、これ以上変化を起こせないということでもあるのだから」
「それは……まあ、確かに、そうね……」
今、メルツェデスと家族以外で一番距離が近いのは、間違いなくこの二人だ。
だが、それは親友としてのポジションであり、あの朴念仁相手に自然とこれ以上距離を詰めるなど、到底望めないだろう。
「だから、私決めたわ。この夏は……勝負に出ると」
「え、ちょ、フラン、勝負って……?」
突然とも言えるフランツィスカの宣言を受けて、泰然自若とした普段との差の大きさにエレーナは困惑を隠せない。
余程、追い詰められてきてしまったのだろうか、と心配にすらなりながら言葉を促すと。
「今日は、親友でありライバルでもあるあなたに、抜け駆けのないようにというつもりもあって誘ったの。
エレン。あなた、私と一緒に、地獄を見る覚悟は、ある?」
「は、はい?」
唐突な、それでいて真剣なフランツィスカの問いかけに、エレーナは困惑した声を返すしか出来なかった。




