不測の因果応報。
「はっ、ははははは! やっぱチート持ち転生者かよ、あれを切り抜けるなんてよぉぉぉ!!」
甲高い、悲鳴にも叫びにも聞こえる声を上げながら、薄暗い部屋の中で男は手にした号外を力任せに引き裂いた。
そこには、第二王子ジークフリートが見事な指揮で魔獣の群れを討伐したという記事がでかでかと書いてあるのだから、彼としては声を上げたくもなるだろう。
流石にあれだけ大量の魔獣が湧いて出たなど書いては不安を招く可能性もあるため、詳細な情報こそぼやかされてはいるものの、激戦であったことが窺える記事。
更にはいかにジークフリートの振るまいが素晴らしかったか、その指揮ぶりが卓越していたかを語る生徒達のコメントが大量に掲載されている。
当然それは、投入した戦力を彼の指揮によって殲滅された男の神経をこれ以上なく逆撫でした。
一度だけではとても収まりがつかず、二度、三度、と派手な音を立てて号外を幾度も破り、最後には床に叩きつけてゲシゲシと踏みつける始末。
それでもなお、彼の心はすっきりしない。するわけがない。
「おっかしいだろ、千体以上だぞ! それもミノタウルスだガルーダまでぶっこんでの!
それがなんで、訓練始めたばっかの1年生に撃退されるってんだよぉぉぉ!!!!」
荒れに荒れる彼は、テーブルの上に置いていたグラスや書類を、目障りだとばかりに薙ぎ払う。
派手にグラスの割れる音が響くが、誰かが駆けつけてくる様子はない。
元々ここは、彼が後ろ暗い計画を立てる為の場所で、使用人が近づくことを許していないのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
そして、誰も来ないからこそ、彼はその怒りを抑えることもなく叫び続ける。
実際のところ、ミノタウルス達を退治したのはガイウスを始めとするプレヴァルゴ直属の騎士団だし、そもそも半数近い数の魔石がハンナやミラ、王家や各貴族家の密偵達によって間引かれていた。そのことは彼も認識していたはずだ。
だから、ジークフリート率いる生徒達が打ち倒した数は五百だとか六百だとかなのだが、どうやら彼の頭からそのことは飛んでしまったらしい。
……いや、それでも百人ちょっとの生徒が、五倍近い魔物を相手取って勝利したのだから、とんでもない快挙ではあるのだが。
例え、その大半がヘルミーナの魔術によって消し飛んだのだとしても。
「あ~、くっそ、どんなチート持ってやがんだ、やっぱバフ系か? それとも自分が強くなってんのか?
少なくともこの記事からすっと、ギュンターが異常に強くなってんのは間違いねぇ」
そう言いながら、ビリビリに破れた新聞を見下ろす。
その記事に拠れば、魔獣の攻勢を防ぎきったのも、ウェアウルフの急襲を防いだのもギュンターだったとのこと。
以前コルディア伯爵令息に襲わせた時も、それを防いだ可能性があるとすればギュンターだけのはずだ。
……残念なことに、彼の視点からはそうとしか見えなかった。
「メルツェデスがあんだけ強くなってんだ、ギュンターはそれ以上、か……となると、次の手は……」
彼はメルツェデスがガルーダを一刀両断にするところを目撃していたため、殊更警戒するのも理解できるし、実際警戒すべきではあるのだが、根本的に彼は間違えていた。
確かにゲームの設定上では、剣技においてメルツェデスはギュンターの下、次点の強さになっている。
だがそれはあくまでもゲームの設定であり、今の腕前は言うまでもなくメルツェデスがかなり上だ。
しかし、彼にそれを確かめる術はないし、そもそも確かめるつもりもない。
剣ではギュンターが一番でメルツェデスは二番と決まっている、と思い込んでいるのだから。
ついでに言えば、あれだけ快刀乱麻の活躍をしていたメルツェデスが、彼が見ていた時点ではまだまだ本気ではなかったことなど、知る由もない。
「いいさ、ジークフリートの野郎を狙えば、自動的にギュンターも巻き込まれる。二人まとめて始末すりゃぁ、それでゲームオーバーだ。
だったら、今度こそ押しつぶしてやる。
戦争は数だって言うが、数だけじゃぁヘルミーナに吹っ飛ばされる。数も、質も、両方だ……」
そう言いながら彼は、パァン! と大きな音を立てながら両手を打ち合わせた。
そのまま、双方の手に力を込め、押し合うようにしながら唸ることしばし。
両の手のひらが、少しずつ少しずつ、押し開かれていく。
そして、開いた隙間から覗く、鈍く輝く何か。
その何かはじわじわと大きくなっていき、ついには両手に収まりきれない程にまで成長していった。
もしもこの場にミラが居たら、現れたそれを見て顔をしかめたことだろう。
ハンナだったら、有無を言わさず叩き壊しに掛かったことだろう。
彼の手の間に生まれたのは、巨大な魔石。
それも、カモフラージュされて埋まっていたそれよりも更に二回りばかりも大きなもの。
となれば、そこから生まれてくる魔物は、果たしてどれ程のものか。
流石にそれだけの魔石を生み出したとなれば消耗も激しかったのか、投げ出すように魔石をテーブルに置いた彼は、どっかりと椅子に腰を落とし、きしむほどの勢いで背もたれに身体を預ける。
「っぁ~……しんっど。こいつは流石に、一日に一個が限界か?
今まで作り貯めといた魔石はほとんど使い切っちまったから、急いで増やさねぇとなんだがなぁ。
いや、次に奴を狙うなら……なら、まだ時間はある、か」
一人呟きながら、疲れた顔にニヤリと歪んだ笑みを浮かべる男。
その見つめる先にある魔石は、鈍く悍ましい輝きを放っていた。
「ふぅ……なんとか、乗り越えましたわね」
移動を含めて数日に及んだ『魔獣討伐訓練』を終えたメルツェデスは、王都にあるプレヴァルゴ邸の自室へと戻ってきて、部屋着に着替えたところでようやっと一息をつけた。
訓練開始前に奇襲がないか、訓練が始まれば何か予想外の襲撃がないか、帰り道を狙っては来ないかと常に気を張っていた彼女だが、それもようやっと終わったのだから大きく息を吐き出すくらいのことは仕方がないだろう。
いや、本来であればガルーダは十分に予想外の襲撃だったはずなのだが。
一蹴してしまった彼女からすれば、あれすら通常の訓練の範囲内に入ってしまっていた。
つくづく、黒幕は報われないところである。
「それにしても、まさかあれだけの数を動員できるだなんて……流石に、何かチート的な能力が敵方にあるとしか思えないわ」
ぽつり、そんなことを呟く。
帯同しており、夜を徹して魔石を掘り出し、さらには黒幕を探し出して後一歩まで迫るなどの活躍を見せたハンナは、流石に疲れが見えていたので下がらせた。
なので今部屋にはメルツェデス一人であり、だから思わず、前世知識から来る『チート』という言葉を漏らしてもしまう。
本来であれば『魔獣討伐訓練』は数人のパーティで魔獣一体を倒す程度のものだし、ゲームですら三体しか出てこなかった。
しかし今回は、間引きしたものやガイウス達が倒したものを入れれば、生徒の数に対して十倍近い数が出てくるだけの用意をされていたことになる。
そして、メルツェデスが知る限り、魔石の類いはそうポンポンと出てくるものではない。
となれば、少なくとも魔石に関してはダンジョンなどに潜って集めてきた以外の供給源があると考えるべきで。
「……それが本当に相手のチート能力だとしたら、随分と厄介ね。
こう言ったらなんだけど、ミーナが仲間でいてくれて本当によかったわ」
などと言いながら、あの時はにかみながら自分の腕の中に収まったヘルミーナの顔を思い出す。
あの顔はもう、完全に悪役令嬢から抜け出した顔だった、と言って良いだろう。
もちろんまだまだ常識外れな部分はあるが、少なくとも、もうむやみと他人を傷つけるようなことはあるまい。
それだけでなく、フランツィスカが頼れる戦力となっているのは想定内として、エレーナも十分に戦えていたのは嬉しい誤算だった。
何しろ彼女は、ゲーム内では半分モブのような存在で、戦闘場面には出てきたことがなかったのだから。
もちろんギュンターもリヒターもゲームと同等どころでない頼れる存在となっているし、ジークフリートの指揮能力は予想外どころではなかった。
となると、どうもゲーム基準で考えて戦力を出している節のある首謀者相手に、裏をかき続けることは今後もきっとできるだろう。
「こちらにチートらしいものはないけれど、今のわたくし達であれば、きっと対抗できるわ」
そう言いながら、メルツェデスはベッドへとうつ伏せに身を投げ出す。
己の白兵戦能力こそがまさにチートの領域に入っていることに、全く気が回ることなく。
それから、コロリと寝返りを打って天井を見上げて。
「それにしても……精神的には疲れたけれど、身体はそうでもないわね。
やはり楽をさせてもらったから、かしら」
そう言いながら手を上へと伸ばし、まじまじと見つめる。
その手には、確かにいまだ活力が漲っていた。
……メルツェデスは、そして黒幕も、気付いていなかった。
通常の訓練の何倍にも及ぶ数の、本来のものより遙かに高ランクな魔獣、魔物。
普通であれば圧殺されたであろう、いわばモンスターハウス状態だったそれを捌ききり乗り越えた結果、何が起こるか。
それは即ち、ゲームであれば大量の経験値獲得と、それに伴う大幅なレベルアップである。
流石にこの世界で経験値そのものの概念はないが、しかし戦闘を乗り越えることで魔力が高まる、あるいは効率よく魔力を使って身体を動かせるようになるのは以前述べた通り。
結果として、メルツェデスも更に少しばかり強くなっていて、それ以外の生徒達は大幅に力を増したのだが……それが判明するのは、もうしばらく後のことだった。




