荒れ狂う波濤のごとく。
メルツェデスが踏み込んだのは、やや前にいたウェアウルフ二人の間合い。
だが、彼らはすぐには踏み込まず、じり、と少しばかり左右に開く。
そんな二人の動きを、メルツェデスは視線を動かすことなく把握する。
『遠山の目付』と言われる、武道における目の配り方。
遠くの山を見るように見るとなしに見て、全体を把握するというその技法を身に付けているメルツェデスの目には、その動きも、彼らの呼吸までも見えていた。
狙っている。来る。
もう一歩、踏み出そうとして。それを狙っていたのか、ウェアウルフが一人だけ飛び出してきた。
飛びかかるその姿は、メルツェデスの視界を覆うかのよう。
だがメルツェデスの感覚は、ウェアウルフの身体のその向こうで、もう一人と鎧の男が隠れるようにしながら向かってくるのを感じ取っていた。
ウェアウルフを斬り倒せば、剣を戻す前にその身体を踏み越えて襲いかかってくる。
横に避ければ、その動きの終わり、止まったところを狙ってくる。
再生ができるが故の肉を切らせて骨を断たんとする戦術は、回避不可能に思えたのだが。
「少しは頭を使ってきましたけれど」
普通の人間相手であれば、剣の間合いを一瞬で踏み越えてウェアウルフの爪が届いていただろう。
だが、それよりも速くメルツェデスの刃がその額を捉え、胸元まで切り下げて。
その手を腰元に引きながら身体を捻り、繰り出したのは横向きの姿勢で前へ向かって蹴り出す横蹴り。
「奴を足蹴にした!?」
頭を断ち割られて力を失ったウェアウルフの身体が、まるで鞠か何かのように軽々と蹴り飛ばされれば、背後に隠れていたもう一人へとぶつかってしまう。
受け止めきれずに悲鳴のような声を上げながら体勢をくずしたウェアウルフの喉元へと、さくり、蹴り足そのままに踏み込んだメルツェデスの左片手突きが刺されば、血と空気が吹き出すと共に力も抜けていく。
崩れ落ちていくウェアウルフの向こうには、呆気に取られたような顔をした鎧男。
だが、すぐに気を取り直したのは、やはり修羅場をそれなりに踏んでいるからだろうか。
「ははっ、まさか、そう来るとはなぁ!」
そう言いながら彼は。
直進してきた。
ゴリッと音を立てながら、今まさに倒れたウェアウルフを踏み台にして突っ込んできたその動き。
あるいはもっと判断が速ければ、突きを放ったばかりで無防備なメルツェデスに一太刀浴びせられたかも知れない。
だが、彼が一瞬呆気に取られた瞬間に、彼女は剣を引き戻していた。
ひたり、と向けられた静かな湖面のような……あるいはもっと深い何かのような視線に見据えられた彼は、ゾクリと背筋を震わせながらも大剣を振るう。
尋常ではない膂力で大上段から振るわれたそれは、当たれば人間を軽々と両断する鋭さと威力を秘めたもの。
ジルベルトよりも恵まれた体格と筋力に後押しされたその一撃は、確かに威力だけならば彼を凌いでいただろう。
だが、当たらなければどうということもない。
剣を引いたメルツェデスは、その勢いを利用して男へと右半身を向けながら大剣を涼しげにかわし、ヒュンッと鋭い音を立てながら首筋へと軽い一太刀を放ちつつ、大きく飛びすさった。
振り抜いたばかりで防御できない男は、その一撃を敢えて受けながら振り下ろした剣を強引に斬り返しメルツェデスを狙うも、それを読んでいたメルツェデスの身体を捉えることは、やはりできない。
ブシュッと音を立てて首筋から血が噴き出すもその傷口は闇の魔力に覆われて即座に止血されていき、それを織り込み済みだとばかりに男は傷を気にすることなくメルツェデスへと向かって駆け出す。
迎え撃たんと両手で剣を構えるメルツェデスの間合いよりも、彼の間合いの方が広い。
もう一度大きく振りかぶり、振り下ろさんとしたところで、メルツェデスが今度は横に飛んだ。
なんだ? と思う瞬間に目に飛び込んで来たのは、横合いから飛び込んで来たウェアウルフ。
先程まで横たわっていた一人が、回復が終わった途端に飛びかかっていったのだ。
「こんのっ、周りを見ろっての!」
叫びながらも、流石に味方を斬るのは躊躇われたか男は慌てて剣を止めた。
その勢いを感じ取ってかウェアウルフも動きを止め、いわゆるお見合い状態になってしまい。
慌ててメルツェデスの姿を探せば、思ったよりも遠く間合いを取られていた。
そんな彼女の姿を見て、男は訝しげに眉をひそめる。
彼の周囲では、身体の再生を終えたウェアウルフ達が立ち上がっていた。
最初に抜け駆けした一人は既に事切れているようだが、残る五人は、ダメージは幾分か残りながらも十分に動ける状態。
本来であれば、彼らの攻撃をかわしながら攻撃を続けて再生する前に畳みかけるべきだし、実際先程まで彼女はそれをやっていた。
だが、今彼女は、敢えて距離を取ったように見える。
その疑問への答えは、そのすぐ後にもたらされた。
「クララさん!」
「はいっ! 『エンチャント・ブライトネス』!!」
メルツェデスが後方、生徒達が守る陣営へと剣を向ければ、返ってくる声。
直後、メルツェデスの剣が、彼女の持つ水属性ではない真っ白な魔力の光に包まれる。
文字通り、光属性の付与。闇を切り裂く刃が、彼女の手にもたらされたのだ。
だが、それを見た男が浮かべたのは、嘲るような笑み。
「は、ははっ、魔力付与か! 確かに光属性は俺等の天敵だがな、効かねぇよ、そんなもの!」
声を張り上げながら男が剣を構えれば、ウェアウルフ達もその周囲に立ち、身構える。
先程の三人がかりの攻撃は確かに防がれたが、どう返されるかがわかった上であれを六人でやれば。
確かに光属性の攻撃は痛打だが、そもそも『絶魔』の装備があれば、攻撃魔術を防ぐだけでなく魔力付与も無効化できる。
どうやらメルツェデスはそれを知らないらしい、となれば、今ここで一気に仕掛けるのが上策だ。
互いに視線を交わして意思を疎通した彼らは、うん、と頷き合ったと思えば、息を合わせて駆け出す。
「効かないかどうか、試してみましょうか?」
格下といえど六人もの、決して侮れない速度と膂力を持つ彼らの連携が取れた突撃を前に、メルツェデスが見せたのは……笑み。
片刃の剣を両手で持ち、それを大上段に振りかぶった後、左足を前に出しながら左腕を曲げて視界を確保しつつ、右肩の上辺りで高々と構える。
そして、すぅ、と一つ息を吸って。
「はぁぁぁぁぁぁぁ!!」
と裂帛の気合いを吐き出しながら突進し、間合いに入った瞬間、体重を乗せた一撃で一人目のウェアウルフを斬り倒した。
と、即座に剣を持ち上げ、また振り下ろし。数歩毎にウェアウルフ達が光る刃で一刀両断に打ち倒されていくその様は、さながら白くも荒れ狂う波のよう。
とある剣術流派の稽古に『打ちまわり』と呼ばれるものがある。
高々と木の棒を振り上げて構え、気合いの声を出しつつ駆け回りながら地面に立てた木の棒を打ち倒していくという、体力の消耗が激しい訓練だ。
その代わりこの稽古を積み重ねた者は体力と胆力が練られ、戦場でも怯むこと無く戦い続けられたという。
そんな激しい稽古に似た訓練が、実はプレヴァルゴ家にも伝わっていた。
当然メルツェデスもそれを実践して会得しており、それもあってかその剣の威力は一撃必殺。
更にそれを、移動しながら連続で繰り出せる域に達しているのだ。
「なっ、なんだ、なんでだ!? なんで、あいつらは再生しねぇ!? いや、なんで付与が剥がれねぇ!?」
彼が驚くのも無理は無く、『絶魔』の力は攻撃魔術のみならず所有者へと向けられた物理攻撃に乗っている魔力も拒絶する。
そのため、本来であれば最初のウェアウルフを斬った時点で付与はなくなっているはずだった。
本来であれば。彼らが『絶魔の首輪』を装備した状態であれば。
だからメルツェデスは、執拗に頭から胸元への斬り下ろしや喉元への攻撃を繰り返していたのだ。
その首輪を、断ち切るために。
ゲーム知識のある彼女は、当然『絶魔』の性質も熟知していた。
そして同時にゲームの展開も変えられると認識した彼女は、その性質を乗り越える方法も考えついていた。
ゲーム『エタエレ』では、基本的に装備は壊れない。たまに『武器使用不可』のバッドステータスを付与してくる敵もいたが、それも魔術や時間経過で治ってしまう。
だが、ここが現実の世界であり、今や一撃でウェアウルフやガルーダを斬り倒すレベルにまで至ったメルツェデスからすれば、首輪を破壊することなど造作もないこと。
そして恐らく、彼らの主である逃走した黒幕は、首輪が壊れることなど想定していなかった。
結果として、壊れてしまった首輪はやはりその効果を発揮せず、闇の魔力で守られた身体は、それ故に光の刃を易々と通して断ち切られ。
転がった後は、切断面に残留した光の魔力によって再生能力が打ち消されてしまう。
これがまだ無傷な時であれば押し切って再生も出来たかも知れないが、既に幾度か斬られて消耗した彼らの魔力ではそれも叶わない。
再生もできず、しかし即死もできず、彼らはビクビクと身体を震わせていることしかできない。
気付くべきだったのだ。いや、考えるべきだったのだ、彼らは。
何故彼女が、最初からではなく斬り合いの半ばで付与させたのかを。
その答えは、今や彼らの緩慢な死という形でもたらされてしまったのだが。
「くっそ、俺は違う、俺は、ジルベルトとは違う! 俺の方が強いんだ!!」
叫びながら、男は大剣を両手で腰だめに構えて。
メルツェデスが踏み込んでくる、そのタイミングに合わせて横薙ぎに振り抜いた。
それは、先程大上段からの打ち下ろしが軽々とかわされたが故の選択。
同時に、近づかせたくないという潜在意識の表れ。
故に圧を欠いたその一撃は、メルツェデスに読まれて届かない。
踏み込みかけたところで急停止したメルツェデスの前を、大剣が虚しく通り過ぎていく。
そうなれば、最早遮るものなど何も無く。
ズドン、という鈍い音と共に、メルツェデスの刃が、男の鎧ごとその身体を袈裟斬りに断ち割った。
「あ、が……そんな……馬鹿、なっ!?」
女の細腕で、鋼の鎧を断ち割るなど、出来るはずがない。
だから何とか身じろぎをして、分厚い肩当てで受けようとした。受けた。
だが、その結果が、これだ。
おまけに、やはり魔力付与は剥がれず、彼の身体を、闇の魔力に侵食されきった彼の身体を蝕んでいく。
彼は気付いていなかった。最初の攻防で食らった首筋への軽い一撃で、彼の首輪もまた破壊されていたことを。
そして未だに認められずにいた。彼我の実力差を。
「馬鹿なと言われましても、これが現実でしてよ? それと、一つ良いことを教えて差し上げます」
だから彼女は、とどめを刺す。彼の身体だけでなく、心にまで。
「ジルベルト・スコピシオは、わたくしと三度打ち合いました。さて、あなたはどうでしたかしら」
「なっ、あ、ふざけるなぁあああああっ!!!」
メルツェデスの淡々とした言葉に、男は激高し最後の力を振り絞って大上段に構えた。
だがそれは、メルツェデスから見れば隙だらけでしかなく。
ザンッと真っ向から脳天を唐竹割りにしたと思えば、返す刃で首を刎ねた。
ぐらり、彼の巨体が揺らぎ、先に落ちた首の傍へと音を立てながら倒れ込む。
ビクリ、ビクリと幾度か大きく震えるも、再生することも出来ず。
そのまま男の身体は、動かなくなった。
「プレヴァルゴ流剣術攻めの型、『荒波』。死出の腹ごしらえに、たんと召し上がっていただけたかしら」
ゆっくりと、しかし油断なく倒れ伏した男とウェアウルフ達を見回して。
その全てが動かなくなったことを確認したメルツェデスは、ヒュン、と剣を一振りして血を払い。
淀みない動作で鞘に納めれば、ふぅと息を一つ吐き出した。




