剣風止められる者なく。
メルツェデスが、ずい、と一歩を殊更大きく踏み出してみせる。
刻むように慎重な足取りとは真逆のそれは、来るなら来いと言わんばかりのもの。
そこまでされては流石に闘争本能が刺激されたか、あるいは気圧されそうな空気に耐えきれなくなったか。
三体のウェアウルフが、ばっと前に飛び出したかと思えば、内二体が左右に散開し、メルツェデスを取り囲むような形になった。
これだけの人数がいるならば全員で取り囲んだ方が早いようにも思うが、実際の所、一人の人間に対して五人も六人も掛かれば、互いの身体がぶつかりあって邪魔になる。
故に、三体が飛び出したのを見て、残る二体のウェアウルフと余裕の笑みを見せる男はその場で待機した。
……あるいは、これが勝負の分かれ目だったのかも知れない。
すい、とメルツェデスが視線を動かし三体それぞれを捉えていけば、まるで射貫かれたかのようにウェアウルフ達の動きが止まる。
だが、呼吸を一つ、二つばかりすれば、まさかここまで来て止まるわけにもいかぬと、じり、じり、足下を確認するようにしながらメルツェデスとの距離を詰めだした。
一歩、二歩、三歩。
彼らのバネを持ってすれば、跳躍一つでメルツェデスへと飛びかかれる距離。
左右に散った二体を、メルツェデスが目で制して。
ふっと、その視線が離れ、正面に立つウェアウルフへと向けられた。
視線の圧が、抜けた。
「グルァァァァァ!!!」
「ガァァァァ!!!」
途端、抑え付けられていた枷が外されたかのように、二体は飛びかかる。
それは、最早反射的な動きだったのかも知れない。
佇まいと視線だけで、彼らはそこまで追い詰められていた。
そんな相手に、何も考えずに飛び込んだ。それはつまり、誘われたということ。
キュンッ、という鋭く高い音。
それが、一度。
だが、左右から飛びかかったウェアウルフは、同時に二体ともその場に崩れ落ちる。
「ギュンター、まさか、今のは……」
「ええ、二度、振りました。右に斬りつけ、即座に左……それぞれに致命の一撃を必要最低限に、この距離でも捉えきれない速さで」
上擦りそうなジークフリートの声に、ギュンターは頷いて見せた。
飛びかかられたメルツェデスが放ったのは、彼女から見て右手の相手へと、片手で剣を振るってその額を割り脳を傷つけるだけの、最低限で致命的な一撃。
それが当たった瞬間には足を、腰を左へと捻り剣を引き戻して頭上に両手で構え、こちらは脳天から胸先までへと刃を通した。
音も無く断ち切られた『絶魔の首輪』が、力無く地面へと落ちていくも気に留めた様子もなく。正面に立つ、いや、立ち尽くすウェアウルフへと改めて視線を向ける。
その神速の二振りに度肝を抜かれたウェアウルフは、皮肉にも視線の圧を受けて我に返った。
首を振って気を取り直し、改めてメルツェデスとの間合いを計りながら、気付かれないように斬られた仲間の様子を窺う。
額を割られただけの一体はその分再生も速く、もう後僅かで復帰できるはず。
そのタイミングを狙って……。
という思考は、閃いた銀の光に遮られた。
脳の再生が終わったらしく右のウェアウルフの膝が力を取り戻した瞬間に、メルツェデスの刃が今度はまた胸元まで切り裂く。
闇の魔力による再生速度など把握しているわけもないメルツェデスが、いつ再生が終わるのかを彼よりも正確に掴み、その瞬間に再度、先程よりも深い致命の一撃を食らわせた。
何故そんなことができるのか、理解が及ばない。
理解が及ばない圧倒的な存在に抱く感情は一つであり、そして、そんな時に取れる行動は二つしかない。
「うわっ、うわぁぁぁぁぁ!!!」
恐怖に駆られたウェアウルフは、真正面から突撃した。
勝ち目などない。しかし背中を向けることは出来ない。
誇りだとかではなく、背中を向ければ斬られるとしか思えなかったから。
だから、無謀な突撃を繰り出して。
ストンと反応できない速さで、やはり胸まで斬り下ろされた。
力を失い、ガクンと膝をつく身体。
脳の再生が間に合わない中、繋がっている視神経から送られてくるのは、やっと再生を終えた仲間が再び斬り倒される光景。
理解も出来ず、感情も動かない中で延々とその光景だけが送り込まれ。
やっと脳が再生した途端に、その意味するところが流れ込んでくる。
「ひっ、ひぃぃっ!!」
何とか遠ざけようと闇雲に腕を、爪を振るうが、勿論そんなものが当たるわけも無く。
次の瞬間には、その腕が地面に落ちていた。
と、理解した時にはその腕が落ちている横に、彼の頭も落ちている。
何が起こっているのか、理解する暇など、与えてももらえない。
その桁違いの強さを目の当たりにして誰もが言葉をなくす中、一人だけ口を開ける者がいた。
「ここまでとは、流石に驚いた。……そうか、あんたか。
ジルベルトを斬ったのは、あんたか」
納得したようにうんうんと頷きながらの言葉を聞けば、おや、とメルツェデスの眉が少しばかり上がる。
散々に斬り倒した三体は、流石に再生するまでしばらく掛かるだろうか。
であれば、少しばかり話をする時間もあろうと、男へと向き直る。
その名前は、確かに今でも覚えている名前だったから。
「確かに、ジルベルト・スコピシオを斬ったのはわたくしです。
やはり、あなた方のお仲間でしたか」
「まぁなぁ、仲間っちゃ仲間だったさ。あいつがやられたと聞いて耳を疑ったもんだが、なるほど、あんた相手なら納得もできる」
確認の言葉に、返ってきたのは肯定。
うんうんと幾度も頷いていた男は、おもむろに口の端をつり上げた。
「だが、それだけだ。言っておくが、俺はあいつより強いぜ?」
得意げなその言葉に、メルツェデスの片眉が上がる。
自信満々な口ぶりはともかく、確かにその身のこなしは並大抵のものではない。
だが、メルツェデスが見せたのはどこか呆れた笑みだった。
「あらまぁ、それはご立派なことで。もっとも、彼がいなくなってからおっしゃられても、はてさて本当かどうかはわかりかねますが」
真に受けることもなく。まして飲まれることもなく。しかし侮るでもなく。
小首を傾げるメルツェデスは、ヒュンッと周囲を薙ぐように一閃。
ようやく復活して飛びかかってきたウェアウルフ達を、その一撃で地面に沈め、黙らせる。
そうして改めて男へと向けたのは、半信半疑の目。
当然、そんな目を向けられて男が面白いわけもない。
「そうかい、そこまで言うなら仕方ねぇ。直接その身体に教えてやろうじゃねぇか!」
吠える男が大剣を構え直せば、残る二体も釣られたように身構える。
その殺気だけでも並みの人間ならばすくみ上がるだろうに、メルツェデスは悠然と、大きく一歩を踏み出した。
「教えていただくことが、さてありますやら。こちらこそ、一手ご教授差し上げましてよ?」
すい、と滑らかに剣先が上がり、ひたり、男の喉元を狙って止まる。
いまだ互いの間合いからは遠いというのに、その圧力は男の喉に突き刺さるよう。
そして。
もう一歩、互いの距離が近づいた。




