切り札の誇り。
「くっ、流石にあの数はっ」
森の中から現れた謎の男の持つ雰囲気は何とも剣呑で底知れず、さらに先程苦労して攻撃を凌いだのと同格らしきウェアウルフが五体もその姿を現したとあって、せめて僅かなりとも助太刀をとギュンターが前に駆け出そうとした、その時。
「出るなっ、ギュンター!」
まさかの、制止の声がかかった。
ギュンターが振り返れば、そこにいたのは苦渋の顔で必死に何かを堪えているジークフリートの姿。
それを見れば普段であれば素直に従うところだが、今ばかりは反論が口を衝く。
「しかし殿下! いかにプレヴァルゴ様といえど、あの数は!」
「信じるしかない! お前がそこにいるから、彼女は気兼ねなく戦えるんだ!」
血を吐くような叫びに、ギュンターはそれ以上の言葉を出せない。
彼は、言わば最後の砦。前衛の中で唯一、ウェアウルフの攻撃を防ぐことができる存在。
もしも彼が前に出たところを迂回され、後方へと攻撃されれば為す術はない。
そして、ある意味ギュンターにとって残念なことに、彼にはそれを理解できる頭も、飲み込める理性もあった。
血が滲む程に唇を噛みしめながら、彼は、その場に踏みとどまる。
せめて、せめて万が一抜けられた時には絶対に通さぬ、と鬼気迫る形相で。
踏みとどまってくれた事にほっとしつつも申し訳なさを感じながら、ジークフリートはもっと申し訳ない指示を出さねばならない相手へと目を向ける。
「……すまない、メルツェデス嬢。まさか、予想の倍を用意してくるとは思わなかった」
元より、連中が『絶魔』を装備させた肉弾戦特化型を用意することは予想できていた。
ただ、その入手難易度から、用意できても三つがいいところ、というのがジークフリートの考えだったのだが、連中はそれを軽々と越えて、倍の六つを揃えてきたのだ。
おまけに、それらを装備しているのがギュンターでも凌ぐのがやっとの相手となれば、ジークフリートの考えていた戦力を遙かに超えてきていることになる。
「構いませんわ、殿下。この程度は誤差と言ってもよい程度の物。戦が始まって以来、随分と楽をさせていただいておりましたし。何より……」
だが、苦渋の表情を見せるジークフリートへと、メルツェデスが見せる顔はあくまでも涼やかなもの。
くすりと小さく笑って見せすらしながら、応じて。
それから、ゆっくりと五体のウェアウルフと男へ、視線を向ける。
「手始めに後二人斬ってしまえば、丁度三人になりますでしょう?」
さらりととんでもないことを、しかし、さも当然のごとく。
言ってのける彼女の背中に、迷いも気負いもなく。
それを見て、ジークフリートの心が、僅かばかり軽くなる。
「……斬れるか?」
「あらあら。殿下、もしやクラレンス陛下からお聞きになりましたか?
そう問われた時に、プレヴァルゴの者が返す返答はただ一つにございます」
問いかけに、メルツェデスが見せたのは、背筋が震える程に艶やかな笑み。
吸い込まれそうな程に濃い闇を湛えた深淵のごとき底知れ無さと、目にも鮮やかな美しさが同居するその笑みを、目にした者は言葉もなくただ立ち尽くす。
更に重ねられるのは、思わず息を呑む程の凄みある言葉。
「斬ります、と」
淡々と、あっさりと。
斬れないものなどないのだろう、と思わず思ってしまうような声。
彼女にとって、斬ると定めたものが斬れるのは、当然の道理なのかも知れない。
ならば、ジークフリートが告げる言葉はただ一つ。
「ならば、斬ってくれ! あのウェアウルフと、リーダーらしき男、全員を!」
「ご下命、確かに拝領致しました」
ジークフリートの指示に、楽しげに、そして誇らしげにメルツェデスは応じる。
そして、剣を片手に一歩、男達へと向かって歩み出せば、リーダーらしき男が、思わずといった風情で吹き出し、大笑いを始めた。
「あっははははは、まじかよ、まじで女一人を突っ込ませるのかよ、王子様!
恥ずかしくねぇのか、男としてよ!」
嘲るような言葉に、ギュンターは憤怒の表情を浮かべ、後方に残る生徒達もまた、怒りの表情を見せる。
だが、その嘲りを向けられたジークフリートは、安い挑発になど揺るぐこともなく……浮かべたのは、苦笑だった。
「ああ、私個人としては恥ずかしいともさ。
だが、この場の指揮官として断言できる。この判断が今この場においては最良なのだと。
何よりも、彼女は最良の結果をもたらしてくれると!」
男として、女を前に立たせる。ましてそれが思いを寄せる相手とあれば、その羞恥や悔恨は身を焼く程。
しかし同時に、この場においてメルツェデスこそが最強の切り札であるという確信は深まっており、
その言葉の意味が飲み込めなかったのか、男はあからさまに怪訝な顔を見せる。
確かに、一人突出し、強化されていたとはいえ無防備となったウェアウルフの肉体を切断できるだけの腕はあるらしい。
だが、この人数相手にそれを発揮できるわけもあるまい。
そんな男の見解をよそに、そう評されたメルツェデスは実に誇らしげだ。
「まあまあ、そこまでおっしゃっていただけるのは武人の誉れ、必ずやご期待に沿いませんと」
ある意味人身御供とも言える扱いに、しかしメルツェデスは、言葉通りに誇らしげだ。
彼女ならできる。彼女しかいない。
まさに彼女こそ、最後の最後で開示された切り札なのだから。
だから。
メルツェデスは前髪を払い、誇りの証をさらけ出す。
「期待されたのならば応えてご覧にいれましょう、『天下御免』にかけまして!
メルツェデス・フォン・プレヴァルゴ、ジークフリート王子殿下のご下命により、この戦に幕を引かせていただきます!」
激戦の果て、傾き始めた日の光に照らされる真紅の三日月。
『天下御免』の証を見せつけたメルツェデスは、ふっと笑みを見せる。
「先程、『遊ばせてもらう』などとのたまっていましたが……誰が呼んだか退屈令嬢、半端な腕では遊びにもならず、欠伸が出ましてよ?」
そう言いながら、もう一歩、二歩。
ずい、ずい、と彼女が進めば、ウェアウルフ達がそれに合わせて一歩、二歩、下がる。
わざわざ突出してくるのだ、囲んで掛かれば苦も無く叩き潰せるであろう状況。
だというのに、足が前に出ない。むしろ、後ろに下がる。
獣の力を手に入れたが故に獣の本能まで手に入れた彼らは、理解できないのに察していた。
彼女の持つ底知れない力を。
だが、この場に一人、その本能をねじ伏せてしまえる男がいた。
「はっ、吠えたな、お嬢さん! なるほど、お前が噂の退屈令嬢か。頼むから退屈させないでくれよ!」
感じ取れないのか、感じ取ってなお吠える事が出来るだけの腕があるのか。
男が背中に背負った両手剣を手にして構えれば、それに押されるようにウェアウルフ達も身構える。
一触即発、多勢に無勢。
その状況でなお、彼女が浮かべるのは穏やかにも見える笑み。
「それはこちらの台詞でしてよ。ひのふのみとよ、五人も居るのですから、がっかりさせないでくださいましね?」
四十を超える数すらあっという間に把握する彼女が、今更敢えて数え直す。
その意味は、果たして男達に伝わっただろうか。
伝わると伝わらざるとに関わらず。
長きに渡る『魔獣討伐訓練』最後の戦いが、幕を上げた。




