第二王子の決意。
メルツェデスを見舞ったクラレンスとジークフリートは、一言も喋らず王宮の廊下を歩いていた。
どちらかと言えば多弁なクラレンスが、こんなにも無口であるのは珍しい。
しかし今のジークフリートには、その沈黙がありがたかった。
今この時に話しかけられてしまえば、自分でも何を言い出してしまうかわからない。
その自覚が、ジークフリートにはあった。
立て続けに起こった、彼の今までの人生になかった経験。
新鮮な驚きと前向きな気持ちは、最後に訪れた悲劇で塗りつぶされた。
そんな彼の気持ちを推し量ってか、クラレンスも何も言わずに歩いている。
と、不意にそのクラレンスがジークフリートを振り返った。
「ジーク、このまま私の執務室に寄って欲しいんだけど、いいかい?」
「このまま、ですか。……はい、問題ございません」
急な問いに、彼女を心配していた気疲れとショックで混濁する脳を必死に動かし、この後の予定を確認して答える。
先ほどの見舞で見た光景が余程衝撃的だったのか、未だ晴れぬ顔のジークフリートを見て、クラレンスも少しばかり表情が陰る。
次の瞬間にはその陰りも払ってしまうあたり、王宮という世界を生きる住人として磨かれてしまっているのだろう。
それが良いことか悪いことか、彼にももうわからないが。
「そうかい、それは幸いだ。できるだけ早く、君にだけ話したいことがあるからね」
「私にだけ、ですか?」
ジークフリートのオウム返しに、クラレンスは咎めることもなく、こくりと頷く。
「ああ、君にだけ、だ。これは、今後君の運命を左右するかも知れないからね」
「私の運命、ですか……」
正直なところ、3日前の稽古、そして彼女との出会いだけで大きく運命が動いた気がした。
今まで出会ってきたどんな令嬢とも違う彼女に散々に転がされて、それでもその先に何か光のような物が見えた気がした。
それが、一瞬で失われそうになった。
幸いにして失われずに済んだが……ジークフリートの脳内がどれだけぐちゃぐちゃにされたか、想像に難くない。
さらにこれ以上、何があるというのだろうか。
気が重くなるのを感じながら、父の後をついて行けば、やがて執務室へと辿り着いた。
部屋へと入ると護衛の騎士達を下がらせ、本当に二人きりになる。
どうやら本当に内密の話なのだ、とジークフリートは無意識に背筋を伸ばしていた。
「まずは座りなさい。込み入った話になるから、ね」
「はい、わかりました」
クラレンスが先にソファに座れば、その対面にあるソファにジークフリートも座る。
そして、互いに向き合って。しかし、クラレンスは若干顔を伏せたまま口を開かない。
重苦しい、とも違う緊張感の漂う空気の中、ジークフリートは言葉を待つ。
やがて、思考が纏まったのかクラレンスが顔を上げた。
「こういう言い方は良くないけど、プレヴァルゴには大きな借りを作ってしまったね。
多分、ガイウスもメルツェデス嬢もそんなことを考えてないだろうから、なおのこと重いのだけど」
忠義を尽くすことに、身体を張ることに何の躊躇いもない。
そんなガイウスの性質は、幸か不幸か、娘にもしっかり受け継がれてしまったようだ。
その上、出てきたのがあの台詞。
令嬢として傷ついたのではなく、武人として身体を張ったと主張されれば、誰も何も言えない。
頭の回転まで、ガイウスに似ているのだろうかと思うと、やはり惜しい。
「相手が借りと思っていない、だから重い、ですか。
……なんとなく、わかる気がします。ガイウス殿やメルツェデス嬢の忠義に甘えてしまってはいけない、と言いますか」
「……うん、その通りだ。当たり前に捧げてくるものを、当たり前に受け取っていては、少しずつ何かがすり減っていくからね」
ジークフリートの返答に、クラレンスは思わず目を細める。
メルツェデスには申し訳ないことになったが、この数日の経験はジークフリートの糧になった。
取り返しはつかないが、せめてこの経験がこの国を良くする力となれば、少しは彼女に報いられるだろうか。
「それでも、彼らを上手く使っていかなければならない。
今後の君には、彼らが必要となる場面がまた来るかも知れないから」
「父上、それは、一体……まるで、私がまた襲われるようなことを」
問いかけに、クラレンスはしばし沈黙して。一つ、二つ、と呼吸をした後、また口を開く。
「……今回の刺客が自白した。口を割らせたのは、ガイウスだ。
さすが、かつて『マスターキー』の異名を取っただけのことはあるよね」
そう言って冗談めかすが、ジークフリートの顔は引きつるばかり。
どんな手段を取ってでも、どんな相手でも口を割らせて情報を引き出してしまう。
その様がどんな扉でも開けてしまうマスターキーに似ているところから付いたあだ名。
当然その手段には尋問だけでなく拷問も含まれており、その噂を聞いたジークフリートは背筋を凍らせたものだ。
そのガイウスが愛娘を傷つけた相手を問いただしたというのだ、それはもう苛烈だったろうことは想像に難くない。
ジークフリートが若干の恐怖すら感じているのに構わず、クラレンスは話を続ける。
「それで聞き出したんだけど。奴は、『魔王崇拝者』だった」
「……は? 『魔王崇拝者』……本当に実在したのですか!?」
この世に混乱と恐怖、破壊と死を撒き散らすとも言われる魔王。
その魔王を崇拝する者達がいる、とまことしやかに言われていた。
だが、世界を、ひいては自分を滅ぼすような相手を崇拝するなど、普通では考えられない。
だからあくまでも噂でしかない、とジークフリートなどは思っていたのだが。
「実在しているらしいことは、掴んでいた。それがいきなり、王子暗殺なんて直接的な行動を取るとは思わなかったけどね」
「確かに、あまりにも唐突過ぎますが……。
それに、なぜ私なのでしょう。第一王子で、王太子が内定している兄上でなく」
ジークフリートには一つ上の兄、エドゥアルドがいる。
品行方正で文武両道、穏やかな人格を持つ彼は、今後何もなければ問題無く王太子として、次期国王へと歩んでいくことには間違いない。
国家の混乱を狙うならば、まずその兄からなのではないだろうか。もちろん、襲ってくれだとかそういう意味ではなく、純粋な疑問として。
そんなジークフリートのもっともな疑問に、クラレンスも小さく頷いて見せた。
「うん、私もそこは不自然だと思ったんだけどね。
どうも奴が言うには、君の命こそが、魔王復活に重要だったらしい」
「私の命が……? 一体、なぜ?」
「残念ながら、そこまでは奴も知らされていなかったようだ。
王家の血が関係しているのか、それとも……精霊の加護が関係しているのか」
エデュラウム王国においては、王家、あるいは高位貴族に精霊の加護が強く表れ、その力を借りた強力な魔術を行使できる者を輩出することがある。
例えばエデュラウム王家は火の精霊の加護を代々得ており、クラレンスもジークフリートも、兄エドゥアルドもその加護は確認されている。
その加護が特に高い者は、ある儀式を経て『精霊結晶』と呼ばれる精霊の力が凝縮された魔石を手に入れることもできるのだとか。
しかし、現時点でジークフリートの加護が飛び抜けて強い、などといったことは報告されていない。
「いずれにせよ、情報は不十分。奴に指示を出した上の連中やアジトは吐かせたから、近いうちに大捕物になるだろうね」
「そうですか……それで、一網打尽といけば良いのですが」
それなりの組織を形成しながら、これまで尻尾を掴ませなかった連中だ、そう簡単にいくとも思えない。
ジークフリートですら思うのだ、クラレンスもそのことは織り込み済みだろう。
であれば、ジークフリートは今後も狙われる可能性が高い。
そこに考えが至ったジークフリートは、しっかりと顔を上げた。
「……父上。私は、強くなります。連中が襲ってきても跳ね返せるように、剣も、心も。きっと頭も人心掌握や指揮能力も必要となるでしょう。
私は、それを身に着けたい。いえ、身に着けなければならないと思います」
何度襲われようとも跳ね返せるように。
そうでなければ。万が一連中の手にかかれば、それこそメルツェデスの献身に申し訳が立たない。
決然とした顔に、その強い瞳の光に、クラレンスは大きく頷いて返す。
人として、王として非道かも知れないが、それでも親として、彼の成長は嬉しかった。
「ああ、そうだな、強くならねば、ね。
そういえば、メルツェデス嬢は自分より強い相手でなければ婚約しないと言っていたそうだよ」
「なっ!? ち、父上っ、彼女の婚約とこれは、関係ありません!」
覿面に顔を真っ赤にする息子へと、すまないと笑って謝りながら。
まだこれくらい素直な子供でもあって欲しい、と矛盾したことを願ってもしまうクラレンスだった。
 




