数と暴力。
溢れ出した魔獣達は、本来であれば数人がかりで一体を相手しなければならないようなサイズのものが数十頭あまり。
姿は様々で、狼のようなものから、猪、あるいは水牛のようなタイプまで。更にその上空には、大型の猛禽類のような魔獣も出現していた。
姿形はそれぞれに違うが、まるで率いられているかのように一目散に生徒達へと、しかしてんでバラバラなタイミングと速度で突進してくる。
決して魔獣達が意図したものではなく、その突撃の仕方は集団となって纏まった威力を発揮しない代わりに、集団による一斉射撃などの威力を落とす効果が期待できるもの。
この勢いであれば弓や単体攻撃魔術での弾幕を掻い潜って、生徒達の前衛と食いつけただろう。
そうなれば、一体当たりの体重は人間の数倍から十倍にも及ぶその襲撃に前衛が踏みとどまれるわけもなく、突き破られる可能性は高かった。
普通であれば。
「撃ち方待て! ヘルミーナ嬢、用意! 10秒後に!」
「了解。『伏して願う。清く弛まぬ永久なる流れの御方よ……』」
ジークフリートの言葉に、ヘルミーナが了承して詠唱を開始した。
途端。
その詠唱を聞いたエレーナとリヒターが顔を真っ青にして、声を張り上げる。
「全員、全力で『フォースフィールド』用意!! 余波を防ぐわよ!!」
「ふざけるな、全力にも程があるだろ!?」
その必死の形相に、エレーナの部隊、ヘルミーナの水属性と相性が五分である地属性の生徒達が結界魔術を練り始める。
同時に、別の行動を予定していたリヒターまでもが、結界魔術の詠唱を始めた。
無詠唱で中級呪文『アイスランス』を使うことすらできるヘルミーナが詠唱をするだけでもとんでもない威力が想像できるというのに、彼女が口にしたのは『伏して願う』という、最大限にへりくだった言葉。
本気でリヒターを潰しにかかっていた頃ですら口にしたことのなかったその言葉に、誰よりもリヒターが危機感を感じていた。
これから彼女が解き放つ魔術は、桁外れどころではないはず。
であれば、属性相性が五分である地属性の面々が張る結界だけでなく、属性相性優位でヘルミーナの事をよく知るリヒターも結界を張るべきだ。
そう判断したリヒターが、ギリギリまで時間をかけて詠唱し、出来る限りの結界を張った、次の瞬間。
「『凍てつけ、凍れ。全てを白に染め上げよ。ホワイト・アウト』」
ヘルミーナの言葉と共に、本当に全てが白く染められた。
いや、戦闘の為に前を向いていた生徒達の視界が、と限定的ではあるが。
地属性部隊の、そしてリヒターの張った多重結界に遮られたその向こうが、一切の色を許さぬ程に白く染め上げられている。
それは、あまりに細かく、それ故に鋭い氷の刃が舞い踊るせい。
真っ白に閉ざされたスクリーンの向こう側では、切り裂かれた傷口から凍り付き、叫びを上げる暇すらもらえず凍り付き、その後も吹き付ける嵐に砕け散る魔獣達という、凍結地獄もかくやという光景が繰り広げられていた。
だがそれは生徒達の目には届かず、ただひたすら上下左右も見失うほどの均一な白に、意識を持って行かれそうになっていた、が。
「意識をしっかりと持て! 足下を見ろ、上下感覚を取り戻せ!
しばらく敵の攻撃は無い、しっかりと踏ん張って足下を固めろ!!」
いち早く立ち直ったジークフリートの檄に、生徒達は正気を取り戻し、それぞれに足下を、己の立ち位置を確かめる。
そうやって何とか動揺を納めようと皆が必死になっている中で、当のヘルミーナ一人が不満そうだ。
「何それ、ちゃんと巻き込まないようにしたのに」
「……た、確かに、ほとんど結界にダメージはない、わね……?」
言われてみれば、これだけの大規模魔術であればエレーナの結界すら保たないはず。
だが、リヒターの結界もあるとはいえ、彼女の結界はいまだ健在。
ということは、ヘルミーナなりに計算して放った魔術ではあったのだろう。
「いや、事前の打ち合わせと違う魔術を使うなよ、こっちだって対処ってものがあるんだから……」
「ふ、臨機応変に対応できないもやし野郎は黙ってて」
「お前の勝手に対応できるってのは、臨機応変どころじゃない神の所業だと思うぞ、本気で」
はぁ……と、リヒターは深々と息を吐き出す。
予想外の魔術は、予想通りの威力で、予想以上にコントロールされて放たれていた。
慌てて張った結界は無駄に終わったが、それがどうでも良くなるくらいに、リヒターはそのことが嬉しい。
だから。
「だが、お前がちゃんと制御していることを理解できなかったのは僕が悪い。すまなかった」
だから、リヒターは素直に謝った。
そのことに、むしろヘルミーナの方が面食らう。
「なっ、何それ。べ、別に、もやし野郎がわからないのも、仕方ないし?」
ぷい、とそっぽを向くヘルミーナ。
恐らくその姿をメルツェデスが見ていたらこう呟いていただろう。
ツンデレ乙、と。
だが残念なことに、今この場に、その概念を理解する人間はいない。
そして、時間も理解するまで待ってはくれない。
「視界が晴れる、状況を確認せよ! ……な、に……?」
次の行動へと移る前に状況を確認しようと指示を出したジークフリートが絶句する。
その視界に広がるのは、一面の雪景色。空を飛んでいた魔獣の名残か、あるいは砕けた魔獣の破片が風に乗ったか。
ハラハラと舞い散る氷の粒が初夏の日差しを反射しているその光景は、幻想的ですらある。
そう、あれだけいた魔獣達が全て凍り付くだけでなく、そのまま砕けて雪のような粒となった、らしい。
本当にそうなのか、と精査はできないが、少なくとも溢れ出した魔獣達の第一陣は、ヘルミーナの広範囲攻撃魔術によって壊滅させられたらしい。
「いやはや……このままピスケシオス様のお力で全て片付けば、楽なのですが!」
「本当に、それが出来たら一番楽なんだけどな……」
仕事を奪われたギュンターの、しかし含むところのない言葉に、ジークフリートは若干疲れた声で返す。
恐らく、彼の想定通りならばそれはない。
しかし、それが出来てしまいそうな、力押しでゴリ押せそうなヘルミーナの火力の前には、全ての理屈がねじ曲がってしまいそうな気すらしてくるのだから。
もう、全部任せてもいいのか、と若干自暴自棄になりかけていたジークフリートが表情を改める。
「第二陣、来るぞ! エレーナ嬢は対空攻撃に専念、リヒターも待機!
ヘルミーナ嬢、さっきのはもう一度いけるか!?」
「当然。なんなら、後五回はいけるかと」
「……は、はは……それはなんとも頼もしい、な……では、まずは一回、私の合図で!」
「了解しました」
ジークフリートの問いかけに返すヘルミーナのそれは、不敬ギリギリなライン。
平時はともかく戦闘中であれば許されるであろうという程度の言葉に、更に当のジークフリートが何も言わないのだから、他の人間がもの申せるわけもない。
あの、全てを白く染め上げた魔術の使い手相手であれば、尚のこと。
逆らってはいけない。
しかし上手いこと扱えれば、この戦場から無事に帰ることが出来るはず。
そう考えた生徒達は、強い意志を持ちながら改めて前を向いた。
その視線の先に現れたのは、先程と同様の魔獣達と、身長2mを軽く超える人型の魔物、オーガの群れ。
人を好んで食うと言われ、それ故、人間に対して極めて好戦的な魔物である。
更にその影に隠れるようにして、何体もの魔物がこちらへと向かって迫り来ていた。
今度は種族すらバラバラ、先程よりもかなり間延びした集団となっており、ヘルミーナの広範囲魔術でも全てを捉えきることは出来ない状態。
どうするのか、とヘルミーナが視線でジークフリートに問えば、力強く頷き返され、先程の指示通りだと伝えられる。
ということは、これはまだ彼の想定内、考えがあるということなのだろう。
であれば、ヘルミーナがもう迷う理由は無い。
「ヘルミーナ嬢、今だ!」
「『ホワイト・アウト』」
ジークフリートの合図に、詠唱を調整して待っていたヘルミーナが、文字通り待ってましたとばかりに苛烈な攻撃魔術を解き放つ。
だが、その効果を確認する前に、ジークフリートは次なる指示を出していた。
「クララ嬢、リヒター!」
「はいっ、『スペル・エンハンス』!」
「なるほど、これなら……『伏して願う、空駆ける無垢なる者よ……』」
クララの魔術強化を受けて、リヒターは納得したように呟くと、詠唱を開始した。
それは、風属性の広範囲攻撃魔術。
そして、今この状況に、恐らくもっとも有効なもの。
「ギュンター、備えろ! 抜けてくるやつがいる!」
「かしこまりました!」
未だ視界が晴れぬというのにジークフリートの声が飛び、ギュンターがそれに応じる。
わずかに晴れてきた視界の向こう、獣型は大体落とされているものの、生命力の強いオーガは生き残っているものもいた。
そして何より。
「やはりいたか、ウォーターエレメンタル!」
声を上げたジークフリートの視線の先にいたのは、不定形の水の塊、のような存在。
ウォーターエレメンタル、文字通り水の元素が魔物化したものである。
この王国で信仰の対象とされている精霊の眷属ではあるのだが、意思はほとんどなく、召喚され使役されることが多い。
そしてその身体は純粋な水の魔力で構成されており、水の攻撃魔術は無効、どころか吸収されてしまう。
つまりは、ヘルミーナの天敵なわけだ。
ジークフリートは、敵方がこれを使ってくると、読んでいた。だから。
「リヒター!」
「はい。『ライトニング・マッシャー』」
合図と共に解き放たれたのは、地面を塗り潰すがごとき雷。
対地攻撃に絞っているデメリットと引き換えに高い威力を持つ雷光が、氷を纏って濡れた、あるいは凍り付いた魔物達へと襲いかかり、叩き潰していく。
ことにそれが、純粋な水の魔力、風属性に弱いそれで構成されたウォーターエレメンタルなど、ひとたまりもない。
これが、ジークフリートがリヒターに任せたかった役割。
実は、氷結状態となった敵相手には雷撃の効果は倍増する、ということがこの世界では知られている。
氷は本来電気を通さないのだが、この辺りはゲーム的な法則の影響なのだろう。
更に、ヘルミーナの魔術から生き延び、かつ氷結状態にならなかった魔物も、その氷により身体は濡れてしまっているはず。
となれば当然、雷撃は本来以上の威力を発揮するわけだ。
そこにクララの『スペル・エンハンス』まで乗っているのだ、ヘルミーナの後塵を拝しこそすれ10年に一人とも言われる才能を持つリヒターの攻撃魔術は地上の魔物達を一掃するに十分。
「よし、フランツィスカ嬢、エレーナ嬢の部隊は対空攻撃に専念!
ヘルミーナ嬢とリヒターは待機、それ以外の魔術部隊は地上に残る魔物へ各自判断で攻撃!」
しかし、となると空を飛ぶ魔獣達は落としきれないわけだが、決してその数は多くない。
それらは、余裕を持って待機していたフランツィスカ、エレーナ達によって次々と撃墜されていく。
更に森からは魔獣が、魔物が出てくる気配はあるが、それに対して生徒達はまだ十分な対応能力を残していた。




