敵に回すべからず。
ハンナとミラの気付きによって改めて捜索がなされ、巨大な『召喚石』もまた複数見つかり、排除され。
完全に全てを見つけきったとは言えないが、最終的に数百個にも及ぶ『召喚石』を排除できたことは、安全確保において大きな意味があったと言って良いだろう。
何しろ、もし万が一見逃していれば、数百もの魔物が追加でメルツェデス達に襲いかかることになっていた。
特に、百に近い数の、特に大きな『召喚石』が呼ぶはずだった魔物を事前に防げたのは大きい。
中でもハンナは、鬼気迫る顔と人間離れした速度で、百人以上動員されていた密偵達による成果全体の一割にも及ぶ数を発掘していた。
その反動で、明け方ぷっつりと糸が切れたように倒れ込んでいたが。
ともあれ、前日までに為すべき事は出来たと言って良いだろう。
「ほんっと、働き者の部下を持って俺は幸せだなぁ」
馬の背に揺られながら、ガイウスがしみじみと零す。
初夏も過ぎて夏の盛りも見えてきた今日この頃、雲一つ無く晴れ渡った空は実に気持ちが良い。
ああ、こんな日に愛娘、愛息と共にピクニックでも出来たらきっと楽しいのだろうな。
そんな暢気なことを考えるガイウスの頬には、そして纏う漆黒の鎧には、点々と返り血が付いていた。
見れば、その足下には累々と横たわる魔獣の死体。
釣り竿でも持つかのごとく肩に軽々と担いでいるは、長大な槍の先に斧が付いた武器、ハルバード。
見た目通りの威力と引き換えに相当な重量を持つそれを、ガイウスは軽々と片手で振るった。
途端、彼へと飛びかかろうとしていた狼型の魔獣が三体ばかり、叩き斬られながらゴム鞠のように軽々と吹き飛んでいく。
確かめるまでもなく一撃で絶命した魔獣達へと、ガイウスは一顧だにくれない。
それでいて、油断なく斬り捨てた魔獣達も含め、周囲へと意識は配っている。
そしてまた魔獣が近寄れば、ゴミを払うよりも軽く薙ぎ払う。
あまりに当たり前のごとくこなす動作が、第三者から見れば、恐ろしく不自然だ。
だが、ガイウスもその馬も、それが当たり前であるかのようにリズムを崩すことなく歩いている。
いや、彼らだけでなく、その部下であるプレヴァルゴ家直属の騎士達もまた、同様に淡々と、当たり前に魔獣を屠っていた。
それは最早蹂躙ですらなく、掃除に近いとすら思える物。
その光景を、居合わせた他の騎士、兵士達は畏怖と共に見守っていた。
「ガイウス様、崖上から信号弾が上がりました。掃討完了、監視組を残して他の地域へ合流するとのこと」
「報告ご苦労。やれやれ、事前掃除の係が優秀すぎたか?」
冗談めかしてガイウスは言うが、実際の所、想定よりも魔獣の沸きは緩かった。
ガイウスが担当しているのは訓練の場所となる開けた場所周辺にある森の、更に外側。
外部から魔獣を集めてくるとなれば必ず通ることになるその場所に、彼らは張り込んでいたのだが……どうやら、外れだったらしい。
もちろん排除しきれなかった『召喚石』の影響もあって例年に比べれば遙かに多いのだが、それでも出来る限り動員した騎士や兵士達で十分に対処可能なもの。
それもこれもメルツェデスの提言が発端となったものと思えば、父親としてガイウスの鼻も高い。
流石に誰彼構わず言うことはしないが。
「この分だと、午後はのんびりと茶でも……というわけには、やっぱりいかんか」
のんびりとしていたガイウスの表情が改まり、ハルバードを持ち直す。
一拍遅れて、その周囲を固める騎士達の表情もまた引き締まった。
彼らが見据える先で、空間が歪む。
そうとしか言えない奇妙な現象に、しかしガイウス達は慌てることもなく、さりとて油断もなく、近づいていく。
後数メートル、というところまで近づいたところで、ゴゥ、と音を立てながら逆巻く風の柱が幾本も立ち上がり、それらが色を帯びていく。
焦げ茶色をした、隆々たる肉体。
大柄なガイウスの身の丈すら遙かに超えるそれは、牛の頭を持っていた。
ミノタウルスと呼ばれる、牛頭巨躯の魔物。
それが、その筋力にふさわしい巨大な斧を手に、十体以上、ガイウス達の眼前に顕現していた。
「いやはや、ミノタウルスまで召喚できるとは、黒幕は相当な玉らしい」
感心したように、ガイウスが軽い口調で言う。
実際の所、ゲーム『エタエレ』でもミノタウルスが出てくるのは中盤付近であり、レベル20台から30前後のメンバーで応戦する相手だ。
それが今、これだけの数で出現している。
だというのにガイウスは涼しい顔で、笑みさえ浮かべていた。
ただしその笑みは、見た者が震え上がるようなそれだが。
「どうやら、やっと退屈せずに済みそうだな」
「ははっ、お嬢様のようなことをおっしゃいますなぁ!」
「そりゃ親子なんだから、似るところもあるだろうさ。……まあ流石に、メルティほどには楽しまないが、な」
ガイウスの左隣に同じく騎乗する副官の騎士が揶揄うように言えば、ガイウスもまた軽く応じて、それから、鋭く目を光らせる。
「いずれにせよ、だ。メルティに余計なことが出来ないよう、ここで片付けてやるとするか!」
「ガイウス様、そこはせめて、殿下にと」
「細かいことは気にするな、全部片付ければ、結果は一緒だ!」
そう笑い飛ばしたガイウスは。
この部隊の指揮官である彼は。
この作戦の総責任者である彼は。
この国の軍部最高責任者である彼は。
ギラギラと好戦的に目を輝かせながら、先陣を切って突撃した。
召喚されたばかりでしばらく茫洋としていたミノタウルス達は、すぐにガイウスの突撃に気付いて身構える。
身構えた、のだが。
「おぅらぁぁぁぁぁぁ!!!!」
疾走する馬の勢いを乗せて。何よりもその、尋常ならざる腕力と体幹の強さを込めて。
叩き込んだハルバードの刺突は、迎撃しようと斧を振り上げたミノタウルスを真っ直ぐ後方へ吹き飛ばし、数体がそれに巻き込まれ、転倒した。
それに続いて突撃してきた騎士達が、流石にガイウスのそれには及ばないものの、同じくミノタウルス達を次々に突き飛ばし、あるいは突き伏せて仕留めていく。
熟練の冒険者でも手こずるはずのミノタウルス達が、二桁に及ぶその集団があっさりと突き崩されていく様を、遠巻きにしていた他家の騎士や兵士達は呆然と見ていることしかできない。
メルツェデスの父であり、そして彼女が未だ及ばないと自覚するガイウスは、やはり人間離れしていた。
なるほど、彼ならば圧倒的な兵力差も覆して勝利してしまうだろう、と否が応でも思い知らされてしまう。
絶対に、プレヴァルゴには刃向かうな。
その光景を見ていた騎士達は、全員が改めて心に刻んでいた。
そうやってガイウスが鬼神のごとき武威でもって訓練予定地外縁を綺麗に掃除していたころ。
崖上の掃討が終わったとの信号を見て進軍を開始したジークフリートが率いる生徒の一団は、崖に挟まれた道を通り、ついに交戦予定地点へと辿り着いた。
念のため、と崖上を見上げれば、見張り役であろう騎士が左右の崖に一人ずつ立ち、問題無いと手信号で送ってくる。
実際、崖上からはほとんど争う音はなく、聞こえても散発的な物。それもすぐに収まるとあれば、問題はないのだろう。
であれば、彼が、彼らが気にするべきは。
意識を開けた場所へと向ければ、見計らったかのように、その先にある森がざわめきだした。
「総員、戦闘準備! 前衛、盾構え! ヘルミーナ嬢、広範囲攻撃魔術準備!」
「了解しました!」
「お任せを。……血が、滾る……」
ジークフリートの指示に、ギュンターを始めとする前衛の騎士子息達は一糸乱れぬ動きで崖の入り口付近で壁を形成する。
更に指示を受けたヘルミーナは、こくりと、頷いた。
言葉通り、その瞳に、どこか危うい輝きを乗せながら。
部隊を組んでいないがゆえに、その周辺に人はいなかったのだが……もし今彼女の傍に近づいていれば、真冬かと思うほどの冷気を肌に刻まれたことだろう。
「フランツィスカ嬢、エレーナ嬢、上空警戒! 地上と同時にくるぞ!」
「「かしこまりました!」」
更なる指示に、フランツィスカとエレーナが呼吸もぴったりに返答する。
そして彼女らが率いる部隊もまた、緊張感こそあれど気力は十分のようだ。
「そして、メルツェデス嬢。……任せたよ」
「あらあら、かしこまりました。どうぞお任せあれ」
最後にメルツェデスへと、丸投げにも思える指示。
しかしそれは、彼女であればと信じてのもの。
それがわかっているからメルツェデスも、あっさりと頷いて見せる。
そして、全体への最初の指示が行き渡って、すぐに。
「……来るぞ!!」
ジークフリートの声に、全員が緊張感と集中を高め、前だけを見据える。
その視線の先、木々が生い茂るその向こうから。
魔獣達が、溢れ出した。




