前哨戦、あるいは下拵え。
そうして、生徒達がそれぞれにそれぞれの準備をして迎える『魔獣討伐訓練』の、前日。
訓練の舞台となる山間部は、その主役たる生徒達がまだ到着していないにもかかわらず、ざわめいていた。
「も一つ発見、っと。ほんっと、お嬢の言った通りにやたらと隠してくれてんねぇ」
「全くだわ。流石お嬢様と言いたいところだけれど、こればっかりは当たって欲しくなかったわね」
昼であっても光が然程差し込まない鬱蒼とした森の中、両手でシャベルを操り鈍く輝く石を地面から掘り出したミラの言葉に、普段のメイド姿と違い密偵らしく動きやすい衣服を纏ったハンナが僅かに顔をしかめながら答える。
彼女もまた、先程からいくつも同じ物を掘り出していた。
その石は表面に奇妙な紋様が描かれており、中に封じ込まれている悍ましい魔力が抑えきれずに滲み出ており、ミラですら、手にしていると背筋に冷たい物が知らず流れてしまう。
「しっかし、なんで連中はこんなもんを用意できるんだか」
「そこを考えるのは私達の仕事じゃないわ。もちろん、その観点で気になったことは報告すべきだけれど」
「考え込む前に手を動かせってのはその通りだしねぇ。なんせ、どんだけあるかわかったもんじゃないし」
そうぼやきながら、ミラは手にした金槌でその石を叩き割る。
途端にぶわりとその悍ましい魔力が広がり……そのまま何も形を作らず、大気へと溶けていった。
数秒、何も起こらないことを確認して。
ふぅ、とミラは大きく息を吐き出す。
「こうやって砕いちゃえば何も起こらないってわかっちゃいるけど、この魔力には慣れないよねぇ」
「そうね、これが闇の魔力というものなんでしょうけど……私達人間とは相容れない、そう思わざるを得ないわ」
この若さでかなりの場数を踏んでおり、あるいは図太いとすら言える程のメンタルを持つ二人が、揃って同じ感想を零す。
それはこの石の異常さを、如実に語っていた。
何しろそれは。
「ほんと、こんだけおかしな魔力が込められてたら、こいつから魔物が召喚されるっていうのも信じちゃうよねぇ」
げんなりとした口調で、ミラが零す。
そう、これは魔物を召喚するという魔力の籠もった魔石、『召喚石』。
名前こそ安直なものだが、その効力は恐ろしい。
何しろ何もなかったところに、召喚主の望んだタイミングで魔物を召喚するのだから。
不意打ちに待ち伏せ、通常戦力としても増援としても使えるという運用上の柔軟性を持ち、人材面での損失も考えなくていいとなれば、悪役垂涎のアイテムと言える。
ただし、当然そんなアイテムをゴロゴロ用意できるわけもなく、普通は一つ二つ用意するのが関の山だが。
「そんなものを、これだけ用意してくるだなんて……もう十個以上回収しているわよ……」
呆れの中に若干の動揺を滲ませながら、ハンナは呟く。
確かに、連中は相当な資金力を持っているらしいとはわかっていた。
だが、こんなアイテムを大量に用意出来るほどの資金がある人間など、相当に限られてくるはず。
当然、怪しいと思われる人物達は洗われているのだが、未だ首謀者は網に掛かっていない。
「ってことは、お嬢の言う通り、自力で相当集めてるってことか」
「それこそ、そんなことができる人間なんて限られてくるはずなのだけど」
主人公クララやその仲間は、当然『召喚石』など使わないため、ゲーム『エタエレ』ではそのままのアイテムは出てこない。
しかし、そのベースとなる魔石自体はゲーム後半のダンジョンで手に入れることができるため、これを手に入れて加工してくるだろう、というのがメルツェデスの読みだ。
流石にそのままの説明はしていないが、ハンナ達にも大体の説明はされていて、実際に魔石があちこちから見つかってしまっている。
周囲から魔獣を気付かれぬよう集めてくるなど至難の業、しかし襲撃は成功させたい連中は召喚石を利用して魔物を大量召喚し、ジークフリート達を襲わせようとしていたのだ。
そしてメルツェデスはそれを読み切り、こうして密偵達を大規模動員して山狩りをさせているわけである。
「いずれにせよ、お嬢様のお見立て通り。後は私達がお嬢様のご意志を遂行するだけよ」
「へいへい、仰る通りで。……こんだけ派手にばら撒いてくれてんだから、全部回収できるか心配だけどさ」
いつもの気楽そうなミラの声、を彼女なりに作ろうとしていて、隠しきれずどこか疲労感が滲む。
もちろん彼女達だけでなく王家の、そして主要貴族の密偵を数日前から可能な限り動員してはいるが、山間部で広範囲を探索するとなれば、当然肉体的な疲労は積み重なってくる。
更にこの悍ましい闇の魔力に晒されて精神的な疲労はそれを上回るとくれば、ミラですらこうなるのも無理は無いところ。
「そうね、これ見よがしに派手にばら撒いてくれて……え?」
反射的に相づちを打ちかけたハンナが、言葉を、動きを止める。
派手に。これ見よがしに。
……然程深く掘らずとも見つかる場所に。
「まさか!?」
声を上げながらも頭の中は冷静に、意識を集中して魔力を探る。
そして、探り当てた。
先程ミラが見つけた魔石の直ぐ傍、さらに深いところに埋められた別の魔石を。
嫌な予感に突き動かされるままにシャベルを突き立て、掘り進めば。
「うっわ、何これ。こんなもんまで連中用意してんの……?」
呆れたような、しかし声が震え出すことを抑えられないミラの視線の先にあるのは、先程の物より倍は大きい、はっきりとわかる悍ましさを振りまく魔石。
それを確認したハンナは即座に金槌を振り下ろし、その大きな魔石を打ち砕いた。
砕けはしたが、その衝撃に手が痺れ、思わず金槌を取り落としそうになったのを何とか握り直しながら。
「ミラ、信号弾! 赤と黄色!」
「あいさ!」
ハンナの指示に珍しく素直に従い、真顔でミラは信号弾を空へと打ち上げる。
その意味するところは、緊急集合。あらかじめ決められた場所に、二人でバディを組む内の一人が集合せよというものだった。
「ミラはこの破片を持って集合場所に行って。私は今まで発見した場所を遡っていくわ」
「んじゃ、最初の発見場所で落ち合う、でいい?」
「ええ、それで」
「りょーかいっ!」
軽い口調で言うのは、そうやって緊張を緩和しようという彼女なりのやり方。
それが実行できているということは、この状況でもまだ彼女は冷静だということでもある。
駆け出していく足取りもいつも通り、不安なところはない。
動揺はしていても、ミラなりにそれを抑え込むだけの技術はあり、それは発揮されている。
であれば、後はミラが情報を伝達してくれている間にハンナは自分が為すべき事をするだけだ。
「これだけ大がかりに、しかしこれ見よがしに偽装を施してくるなど、舐めたことをしてくれますね」
呟くハンナの目は、据わっていた。
そこには一片の慈悲も無く、その瞳には底知れない冷たさが宿っている。
ただでさえ彼女が敬愛する主を煩わせてくれている連中は、更に小賢しい手まで用いて彼女を陥れようとしているのだ。
これは、許せない。
許されざる大罪である。
「そう、そうですよね、そもそも、お嬢様の麗しいお顔に傷を残した連中ですものね。
容赦なんて、する必要、最初から、ないじゃ、ないですか……」
誰も居ない。
だから、丁寧語など使う必要も無い。
なのに彼女は、誰にとも無く丁寧語で呟く。
きっと、集合場所に向かったことは、ミラにとって幸いだった。
ハンナの纏う気配は、それこそ魔王のごとき物。
それに当てられずに済んだのだから。
「まずは、お掃除、ですね。ええ、私、メイド、ですもの、ね」
笑みが浮かぶ。
見た者の魂を凍らせるような笑みが。
そして次の瞬間。
その姿が消えたと思う程の速度で、ハンナは駆け出した。




