解き放たれてはいけないモノ。
そんな風にフランツィスカが一種の達成感を感じていたその時。
突如、台風のように荒ぶる風と巨大なミキサーで何かをかき回すような耳障りな響きが混じり合った音が響く。
何事かとそちらを見やれば、巨大な竜巻、それも拳大ほどもあろうかという氷の塊が渦巻き荒れ狂う破滅的な竜巻が顕現し暴れ狂っていた。
「……何あれ」
「……多分、ミーナよね。普段の倍はあるけれど」
どこか呆然としたフランツィスカの問いかけに、流石のメルツェデスも力の入らない言葉で返す。
確かに凶悪なまでの攻撃魔術を使えるヘルミーナだが、今まで何度も見てきた二人からしても、あの規模の物は初めてだ。
つまり。
「ということは、クララさんに『スペル・エンハンス』を使わせたのね……」
「そうとしか考えられないわねぇ……それであれなんだから、流石と言って良いのか、わたくしでも迷ってしまうわ」
クララに迫り纏わり付き、研究対象にしない代わりとでも言ったか、魔術を強化する『スペル・エンハンス』を掛けさせたのだろう。
その結果が、魔王もかくやという巨大な氷の嵐である。
見知ったメルツェデス達ですらこうなのだ、当然見慣れていないその他の令嬢令息達は全員声もなく、なんならへたり込んでいる人間すら幾人もいた。
「あはははははははは! あははははははははははははは!!」
その嵐が消えた後も多くの者が言葉を失い、先程までの喧噪がすっかり静まった訓練場の中、風に乗って、入ってはいけないスイッチが入ったらしいヘルミーナの声が聞こえてくる。
やはりあの子か、と思ってフランツィスカが頭痛を堪えるように額を抑えると、ゾクリと背筋が冷えるような感覚。
慌てて視線を向ければ、宙に浮かぶ数十本もの氷の槍。
「ねえメル。『アイスランス』って中級単体攻撃魔術よね?」
「ええ、普通の人間なら一度に一発しか撃てない上に、続けて数本撃てれば十分なくらいの魔術よ」
「それがなんであんなに出てるの!?」
驚きのあまり、令嬢らしからぬ勢いと語気で問題の空間を指さすフランツィスカ。
その指し示された先をメルツェデスはしばし眺め。
「ざっと46本というところね。『スペル・エンハンス』ありでも、宮廷魔術師でもあんなに出せる人、いるかしら」
「なんでこの距離であの数を、そんな一瞬で数えられるの!?」
さらりとメルツェデスが呟けば、ばっとフランツィスカが振り返る。
そこに見えたのは、きょとんとしたメルツェデスの顔。
何故不思議そうな顔をしているのか、と問いかけようとしたフランツィスカの耳に、別の声が入ってきた。
「戦場において数を把握することは死活問題ですからなぁ。私もプレヴァルゴ様には後れを取りましたが、あれくらいの数であれば数えられます」
「そうなんですの? ギュンターさんが言うのなら、そうなんでしょうね……」
なるほど、と納得したようなフランツィスカの様子に、逆に今度はメルツェデスが不服そうに問いかける。
「まってフラン、私の扱いがおかしくない?」
「おかしくないわよ、メルのは自業自得よ、普段の行いが悪いのよ!」
などと言い合っている間に、ドドドドドと連続した地響きが聞こえてきた。
慌ててそちらへと目を向ければ、次々と地面に着弾する『アイスランス』と、それが立てる土煙。
それは、単体攻撃魔術の及ぼした結果としては、あまりに凄惨な光景だった。
「ミーナのあれはもう、範囲攻撃魔術じゃないの……」
「正確には、『単体攻撃魔術の威力で敵だけを狙い撃つ範囲攻撃魔術』ね」
「もう無茶苦茶じゃない……何なのミーナって……」
メルツェデスの追い打ちを受けて、虚ろな目で空を見上げるフランツィスカ。
だが、周りで聞いていた人間からすれば、剣の初心者でありながらギュンターの突進を二度も止めたフランツィスカこそ『何なの』である。
ヘルミーナやメルツェデスのように尖って飛び抜けた能力こそ無いが、フランツィスカの総合能力も十二分におかしなくらい突出したものなのだが、当の本人はわかっていない。
この辺り、ある意味メルツェデスの類友なのかも知れないが。
「まあでも、前よりは随分まともになったんじゃない?
ちゃんと順番を待てたみたいだし、ああしてちゃんと人のいないところに撃ってるんだし」
「それはまあ、そうなのだけれど……」
「何やら聞かない方が良かったようなことをおっしゃっておられますな!」
ギュンターの言葉に、メルツェデスとフランツィスカは顔を見合わせ。
二人して曖昧な笑みを見せ、誤魔化しにかかった。
そして、一応それなりに人の機微がわかるギュンターは、何も聞かなかった。
聞かれなかったことは、メルツェデスにとっては特に幸運なことだった。
何しろ、何をしゃべってしまうか、わからなかったのだから。
実は、この『魔獣討伐訓練』はリヒタールートにおける重要イベントだったりする。
そしてそのイベントでは、味方を巻き込むことお構いなしに魔獣へと広範囲攻撃魔術を容赦なくぶち込むという、悪役令嬢としてのヘルミーナを強烈に印象づける振る舞いをしていた。
その結果、魔獣の攻撃による数よりもヘルミーナの魔術に巻き込まれた怪我人の方が多かったくらい、だったらしい。
だが、『スペル・エンハンス』の効果に浮かれてはいるものの、他人を巻き込まないようにと一応は制御している今のヘルミーナならば、きっと問題は起こさないだろう。
そのことが、なんとも、嬉しい。
「『マジキチ』と言われたあの子が、ちゃんと考えるようになって……ふふ、おかしいわね、なんだか母親の気分だわ」
「この歳でそれはどうなのかと思わなくもないけれど……同意してしまうわね」
知り合ってから一年弱の間に、本当に色々なことがあった。
そんなことをしみじみと思い出しながら語らう二人。
空気を読んだギュンターは、ツッコミ所満載な二人の会話に、一言も口を挟まなかった。
「あれは、ミーナか……何やってんだ、あいつは……」
時同じくして。
訓練場が一望できる一室にて、窓の外で繰り広げられた光景を目の当たりにしたリヒターが愚痴るように呟く。
誰よりも彼女の魔術を見て、魔力を感じてきた彼だ、間違うわけもない。
だがしかし、いまだ慣れることもない。いや、自分がいない場での騒動には不慣れで、どうにも心が落ち着かない。
一応、他の生徒を巻き込んではいないらしい、と視力を強化して確認し、ほっと安堵の溜息などを吐くと、そんな彼へと声が掛かる。
「あれが、君の婚約者殿の魔術か。話には聞いていたが、とんでもないな、本当に」
同じ部屋にいて、机について書類を眺めていたジークフリートの言葉にリヒターは困ったような顔を返した。
「いえ、あれは恐らくジタサリャス嬢の『スペル・エンハンス』が乗っているものかと思われます。
流石に、普段はもう少し大人しいのですが……あれはもう、色々と振り切れてしまっていますね……」
「ふふ、十年に一度の才能と言われる君をしてそう言わしめる、か。
やはり彼女は、今回の訓練において中心となる人物と言わざるを得ないな」
困惑しているようなリヒターと対照的に、ジークフリートはどこか楽しげですらある。
この辺りは、直接的な被害者と第三者という違いはあるかも知れない。
そして、長年の被害者であるリヒターも、ジークフリートの言葉に頷かざるを得なかった。
「そうですね、ムカつくことも多いですが、むしろムカつくことばかりですが、あいつの力は本物です。
その上、ここ最近はできることも増えてきました」
嫉妬か羨望か、あるいはそれ以外か。
色々な感情が籠もったリヒターの溜息に、ジークフリートは何も言わずまた書類へと目を落とす。
そこに書かれているのは、第一学年生徒の、それぞれの能力概要だった。
「確かに、先日の事件では彼女の回復魔術に助けられたし……補助魔法も以前に比べて使えるようになっているみたいだな。
それでもやはり、一番の特徴はあの攻撃魔術だろうが」
そう言いながら、もう一度訓練場へと目を向ける。
……彼女の攻撃魔術が放たれていたあたりの地面が変形してしまっているように見えるのは、気のせいだろうか。
この距離だ、きっと気のせいだ、目の錯覚だとジークフリートは自分に言い聞かせる。
残念ながら現実は残酷であることを、後に思い知ることになるのだが。




