鉄は熱いうちに。
「あっちは賑やかねぇ」
「あっち、というか、この場合は約二名が、と言うのが正しいのではないかしら」
訓練場の反対側、魔術を主に使う後衛組の騒動を高みの見物と洒落込みながらのほほんと言うメルツェデスへと、俯きながら額に手を当てたフランツィスカがぼやくように言う。
未だ未熟な学生達の中で、突出するどころではないヘルミーナの攻撃魔術と、それを受け止めたエレーナの結界。
それだけでも十分に派手で人目を引いたのだが、その後追いかけっこまで繰り広げられたとあっては賑やかにも見えようが、その中心はたったの三人。
その内の一人は疲れて座り込んでいるため、今人々の注目を浴びているのは二人である。クララにとっては甚だ不本意だろうが。
「クララさんも難儀なことよねぇ、ミーナにああも懐かれて。
いえ、もしかしたら幸いなのかも知れないけれど」
「まあ、少なくともおかげで変なのから絡まれずに済んではいるかしら」
「飛び抜けて変なのに絡まれているような気がしなくもないけれど、ね」
仮にも愛称で呼び合う仲だというのに、二人揃って酷い言い草である。
だが言われるだけのことをしているのも事実であり、ヘルミーナのフォローを入れられる人間はここにはいない。
また、実際エレーナの後見を受けているだけでなくヘルミーナに研究対象として執着されているとあって、平民上がりのクララをいじめるような度胸のある人間は見当たらない。
同時に、聖女候補になるであろう彼女を取り込もうとアプローチをかけるような貴族令息もいない。
そんなことをすれば政治的社会的生命はまだしも、生物的生命が危ういとあっては仕方のないところ。
だからクララは今日も、ある意味平和にヘルミーナから追いかけられる日々を送っている。
「さてさて、絡まれない私達は、普通に訓練しましょうか」
「あらフラン、絡まれなくて寂しいの?」
「全くないとは言わないけれど、今はやらないといけないことがあるもの」
そう言いながらフランツィスカは、訓練用に刃を潰した細長い剣、レイピアを鞘から抜き放った。
細くとも金属の刀身を持つだけあって重量はそれなりにあるのだが、それをフランツィスカは片手で軽々と扱っている。
その姿はゲームでの彼女を彷彿とさせるようでもあり、しかし根本的に大きく違いもして、メルツェデスは若干の混乱を避けられない。
実はゲーム『エタエレ』でのフランツィスカは、レイピアを片手に物理も魔術攻撃もこなす万能型だった。
イベントでの立ち姿は、令嬢でありながら剣を手にしているというのに極めて自然体なもの。
まるで当たり前のように剣を手にして立っていた姿は、今のフランツィスカとかぶる物があった。
ただし、ゲームの彼女は『ビア樽令嬢』であり、今の姿とは似ても似つかない。
纏う空気は似ているから確かに彼女だとわかるのだが、同時に外見は似ても似つかないから、同一人物であることを脳が拒絶するような感覚。
その混乱を、鍛えられた表情筋を駆使してメルツェデスは一切顔には出さなかった。
「本当に剣を使い出したのねぇ。どう、手合わせしてみる?」
「無理無理、流石にメル相手にはどうにもならないわ。というか、習い始めてから改めてメルの凄さがわかるようになったところがあるもの」
スピフィール男爵誘拐事件の折に剣を習うことを思い立ち、実際に指南役も手配してもらい、稽古を始めたフランツィスカだったのだが、どうにも物足りない気持ちが拭えないでいた。
エルタウルス公爵家が雇う指南役なのだ、勿論当代一流の剣士である。
であるのにもかかわらず、彼女は指南役の剣に凄みを感じられない。
何しろ当代随一の武人であるガイウスに迫ろうかという親友の剣を間近で何度も見てきているのだから、普通に一流なだけの剣では、とても満足できないのだ。
ならばそれこそメルツェデスから手ほどきを受ければとも言えるが、未だ自分は彼女の時間を割いてもらう域にはない、と自重するのがフランツィスカという人物である。
そのため彼女は、太らないようにと普段からしていた運動の中に、剣の自主練を組み込んでいた。
普段の完璧な令嬢姿からは想像もつかないその生活の結果。
チュンッ、と鋭く高い音が響く。
フランツィスカがレイピアで素振りをした。ただそれだけのことである。
だが、それだけのことで、何事か理解できた周囲の幾人かは動きを止めた。
レイピアは、その細長い形状から本来刺突向きとされるが、実際は普通の剣のように振るっての斬撃も十分威力がある。
だから、こうやって素振りをすること自体は不思議ではない。
問題はそこではなく、剣が振るわれた時に立てる風切り音は普通『ブン』だとか『ブォン』だとかであり、もっと低く鈍い音だ。
しかし今フランツィスカが立てた音はもっと鋭いもの。
それはつまり、尋常で無い鋭さで剣が振られた、ということを意味していた。
「確かにまだちょっと荒いところはあるけれど、随分しっかりと鍛錬しているように見えるわよ?」
「ありがとう、メルにそう言ってもらえると、ちょっと安心するわ」
メルツェデスの素直な評価に、フランツィスカははにかんだ笑みを見せる。
ゲーム『エタエレ』において努力と根性と正論の人フランツィスカは、やはりその通りであった。
いや、メルツェデスという親友を得て、輪を掛けて努力の人となっている感さえある。
元々、素質はあった。
ゲーム内においても、流麗なダンスや苛烈な物理攻撃をビア樽体型で繰り出していたのだ、身体能力が低いわけが無い。
それを現代的なトレーニング知識のあるメルツェデスによって鍛えられたのだ、開花しないわけがない。
「少なくとも、剣を始めて数ヶ月の鋭さではないわね。
これは、わたくしもうかうかしていられないかしら」
「少なくとも、剣に関してメルが手を抜いていたところなんて見たことないのだけど」
大げさに首を竦めるメルツェデスへと、フランツィスカは苦笑を返す。
こうして研鑽を積めば積むほどわかってくる、どれだけの物をメルツェデスが積み上げてきたのか。
まるで全貌が見えない、そのことだけはわかる。そして、その程度にしかわからない。
よく知っているはずの親友がその身に秘めたモノが、まるでわからない。
それを理解したときに感じたのは、意外なことに、喜びだった。
「だから、私も手を抜かずに鍛錬したら、少しは近づけるんじゃないかなって、そう思うのよね」
「そう……正直なところ、フランが手を抜かずに鍛えたら、わたくしも本当にうかうかしていられないのだけれど」
憧れに近い瞳を向けてくる親友へと、メルツェデスは困ったような表情を見せる。
少なくとも、フィジカル的な素質で言えばメルツェデスの方が優っていると思っているし、そのはずだ。
だが、フランツィスカの素質は決して侮れない上に、彼女には魔術の才能もある。
総合的な戦闘力で言えば、彼女がこのまま研鑽を重ねれば追い抜かれるのも遠い先の話ではないだろう、とすら思う。
そして、だからこそ。
「簡単に抜かれて幻滅されるのも嫌だもの、一層精進しないとね」
「……その精進の相手役になるクリストファーさんが気の毒で仕方ないわ……」
決意を込めたメルツェデスの言葉に、返ってきたのは若干力の無いフランツィスカの言葉だった。
成長著しいメルツェデスの前にはメイドのハンナも密偵のミラも及ばなくなり、最早まともに相手が出来る、いや立ち塞がる壁となれるのはメルツェデスの父ガイウスと家令のジェイムスのみ。
しかしこの二人は本来業務で多忙であり、メルツェデスの鍛錬に毎度付き合えるわけではない。
ハンナとミラにしても、それぞれメイドとしての、密偵としての仕事があり、同じく毎度は付き合えない。
となると必然的に、色々と都合だけはつくクリストファーが相手として生贄に捧げられるわけである。
困ったことに、クリストファー自身もその立場を喜んで受け入れているのだから、始末に負えない。
自他共に認めるシスコン、更には姉を越える力を得たいという渇望。
それらが合わさったクリストファーは、シゴキとすら言える姉との立ち会いを、嬉々として受け入れていた。
それはそれで、心配な状況ではあるのだが。
「でも、そのせいかクリスも随分と成長しているのよ。ギュンターさんにももしかしたら勝ち越せるかも、くらいに」
「いやぁ全くその通りです! クリストファー様のお相手は実に楽しく、しかし何とも言えぬ危機感を感じてしまいますからな!」
突如、二人の会話に絡んでくる声。
揃って見やれば、そこに居たのはどうやら既に幾人かと手合わせをしたらしく朗らかな笑みとともにいい汗を浮かべているギュンター。
もっとも、疲労感も打撃の跡も見受けられないのだから、圧倒してしまったのだろう。
あちらでへたり込んでいる数人がそれだろうか、などとメルツェデスの目が楽しげに細められる。
「そういうギュンターさんも調子がよろしいみたいですわねぇ。
いかがです、今から一手」
「もちろんそれはお願いしたいところですが、本日はその前に是非ともフランツィスカ様とお手合わせ願いたく!」
「……私? いえいえ、私なんてとてもギュンターさんのお相手なんて務まりませんわよ?」
思わぬ言葉に、フランツィスカは思わず聞き返してしまった。
剣をまともに習い始めて二ヶ月経たないくらいの彼女が、幼少から剣を学び同学年で唯一メルツェデスとなんとか打ち合えるギュンターを相手になど、できるわけがない。
だが、そんなことは百も承知であろうギュンターは、その返答を予想していたのか朗らかな笑みを崩さない。
「失礼ながら正直に申し上げますと、確かにフランツィスカ様の腕はまだまだこれからです。
しかし、先程お見せになられた鋭さは尋常ならざるものがありました。その鋭さを、是非間近で体験させていただきたく!」
色々な意味で率直な言葉に、だからこそフランツィスカは返す言葉を失う。
正直なところ、断りたい。
しかし同時に、思い切って始めた剣に対しての、しかもこの学年で有数の剣士であるギュンターの褒め言葉に、心も動く。
どうしたものか、と思わずメルツェデスへ目を向ければ、彼女は少しだけ考えて。
「そうねぇ、一度手合わせしてみるのもいい経験になるのではないかしら。特に今は」
「今は?」
まさかの言葉に、しかしその意味するところがわからないと同時に興味を引かれて、思わずフランツィスカは聞き返した。
こと剣術に関してはギュンターと同等かそれ以上にストイックなメルツェデスのことだから、当然やめるように言ってくると思っていた。
そして、普段であればメルツェデスもまだ早いと止めていただろう。
しかし。
「ええ、今、魔獣討伐訓練の準備にかかりきりな今であれば。
失礼を承知で言うけれど、ギュンターさんのパワーとスピードは、魔物を相手取る訓練としてこれ以上ないものだわ」
「本当に失礼だわね!?」
「いやはや、そのように褒められますと、面映ゆいですな!」
「褒め言葉と受け取ってる!?」
窘めようとしたフランツィスカは、続くギュンターの言葉に思わず声を上げてしまった。
自分が魔物と同じかのような扱いを受けて、それを褒め言葉と受け取る。
そして、恐らくメルツェデスのことだから、そう捉えられるとわかっていてあの表現をしたのだろう。
それは、残念ながら、あるいは当然ながらか、フランツィスカにはわからない世界だった。
「もちろんですとも! 憚りながら人間としての技術も知恵もそれなりにあると自負しておりますゆえ、魔物のパワーとスピードも併せ持つとあらば、無敵ではありませんか!
……いや、メルツェデス様には通じておりませんが!」
楽しげに、あるいは自信満々に。
そして直ぐ思い出したかのように謙遜し。
そんな彼を見て、なるほど、とまた親友を見る。
良くも悪くも裏表がなく、それでいて色々な意味で彼自身というものを理解している。
そんな彼だからこそ、親友は止めなかったのだろう。
「なるほど、でしたら……私には通用するか、是非とも試していただきたいですね」
ゆるり、余裕の笑みを浮かべながら、フランツィスカは体勢を変える。
左足を引き、右半身のみを相手に向けた真半身の姿。
レイピアなどの刺突剣を持つときの基本姿勢であるそれは、何故だか妙な迫力を帯びている。
「不躾な願いに対し、何とも寛大なお言葉、感謝いたします!
このギュンター、全力をもってお相手させていただきましょう!」
いや増す緊張感に、ギュンターが浮かべたのは笑み。
この方も本物だ、と喜びに打ち震えるのを胸の内に隠しながら、彼は油断することなく片手剣と盾を構えた。




