静かな怒り。
メルツェデス達が、それぞれにそれぞれの学期末試験の結果を見てから、数日後。
「なるほど、メルツェデス嬢がそんなことを提案してきた、と」
王城の奥まった場所にある小さめの会議室、機密性の高い案件が話し合われるのに使われるその部屋で、国王クラレンスがガイウスからの提言を聞き、小さく頷いてみせた。
部屋の中央に置かれた大きな円卓、クラレンスの対面に座るのはこの国の大将軍でありメルツェデスの父親であるガイウスである。
さらにクラレンスの左右にはギルキャンス公爵、エルタウルス公爵をはじめとする重鎮達と、軍上層部の伯爵達が並び座っていた。
「はい、娘の言うことを私なりに吟味した結果、検討に値すると判断しました故、こうして奏上致しました」
「確かに、今まで起こった出来事を考えるとそうなんだろうね。しかし……彼女だったら、別に直接この場に来て発言してくれても構わなかったのだけどね。『勝手振る舞い』も与えているわけだし」
公の場とあって堅苦しい顔を作っていたガイウスの眉が困ったような形に落ちそうになり、慌てて押し戻す。
問題発言、とも言えるようなことを言い放った当のクラレンスは楽しげな笑みを見せているのが、若干腹立たしい。
しかしかつての級友とは言え今はあくまでも国王と臣下、とガイウスは自分に言い聞かせる。
「一応、可能であることは娘にも伝えております。しかし恐れ多いということと、何より『勝手振る舞い』を使って御前にまかり越す必要性も然程無いと申しておりまして」
「ふむ、流石メルツェデス嬢というところかな、良く弁え、自制も効いている」
うんうんと満足げに頷きながらも、クラレンスの視線はさりげなく周囲を伺った。
メルツェデスと親友となっているフランツィスカの父、エルタウルス公爵は表情にこそ出さないが納得と満足をしているらしい空気。
対して、同じく親友付き合いをしているエレーナの父ギルキャンス公爵は、少しばかり面白くなさそうだ。
彼が率いる貴族派ではなく国王派に属するプレヴァルゴ家の令嬢が、こうも国王陛下からの覚えがめでたい、ということは、彼にとって決して良いことでは無い。
かと言って評価を下げるような行いが彼女にあるかと言われればそれも無い。
いや、淑女らしからぬ退屈しのぎのあれこれは普通の令嬢であればマイナスどころではないのだが、そこをこそ気に入っているクラレンスに対してご注進するのは逆効果でしかないだろう。
さらに何かよろしくない情報を持ってこないかと密かに期待している愛娘エレーナは、実はメルツェデスにぞっこんであるため言うわけもないのだが……不幸なことに公爵はそのことを知らないでいる。
「まあメルツェデス嬢の評価はよいではありませんか。今話し合うべきは、ではどうするのか、ということです」
せめてこれ以上国王であるクラレンスが彼女を褒めて、それに他の貴族達が影響されることがないように、と切り出したギルキャンス公爵の言葉に、クラレンスは意外なことにあっさりと頷いた。
「それもそうだね。何しろ、彼女の提言を受け入れるとなれば、かなり大規模な動員が必要となる。それも二カ所同時に、だ」
「しかし、殿下お二人の御身を守るためとあらば致し方ありませぬ。ジークフリート殿下が特に狙われているとあれば尚のこと……」
一人の伯爵の言葉に、軍上層部の面々はそれぞれに首肯して同意を示す。
元より、学年末試験後に行われる『魔獣討伐訓練』では上位貴族の子女も参加するため、その警護に万全を期すべく大規模な動員は毎年行われていた。
おまけに今回は二人の王子が出陣するため、万が一大事故でも起こって二人とも命を落とすなどあってはならないとそれぞれ違う場所で訓練を行うことになっており、おまけにジークフリートが恐らく魔王崇拝者から狙われるだろうとはクラレンスも読んでいるため、例年の二倍以上の人員は確保されている。
だが、もしメルツェデスの言うことが本当ならば、それ以上が必要となるだろうことは間違いない。
「狙われることは間違いないでしょうな。よもや『闇払う炎』が顕現するとは夢にも思いませんでしたが……」
そう言いながらゆるりと首を振ったのは、リヒターの父エデリブラ公爵。
魔術関係を束ねる彼が言う言葉はやはり説得力が違うのか、異を唱える者もなく、一瞬場が静まり返る。
このエデュラウム王国建国の伝説に出てくる、『闇払う炎』。
文字通り闇属性である存在を薙ぎ払う力を宿し、故に魔族を退けこの国を建てたと伝えられるもの。
ごく一部の人間しか知らないその存在を、メルツェデスはゲーム知識により知っており、ジークフリートが見せた力は恐らくそれだとガイウスに告げていた。
だから、恐らくゲーム『エタエレ』を知っているであろう黒幕はジークフリートを狙う、とメルツェデスは確信したのだが。
ゲーム『エタエレ』では、終盤で魔王を退治する段階に突入したところでルートに入っている攻略対象はイベントが起こり、『精霊結晶』という精霊の力が込められたアイテムを入手する。
これによりステータスが大幅に上昇するだけでなく、魔王の闇の力に対抗できるようになるのだが、ジークフリートは例外で、彼が手にするのは『炎の剣』。
通常の火属性のように地属性特攻となるだけでなく、闇属性に対しても特攻となる特別なアイテムだ。
当然魔王に対しても有効であり、これを手に入れるからこそ、ジークフリートは兄であるエドゥアルドを差し置いてパッケージではセンターに配置され、主役顔でユーザーに笑顔を向けているのだが。
そんなジークフリートであるからこそ、先日の事件で闇属性を纏ったコルディア伯爵令息に対しても有効な攻撃が出来たとメルツェデスは踏んでいるし、エデリブラ公爵もそれが『闇払う炎』の力だと考えている。
そして、襲撃の規模が大きくなるとメルツェデスが踏んだ理由はもう一つ。
「それだけでなく、我が娘も狙われておるようですからな。殿下と娘が同時に野外で訓練を行う場を、連中としては逃す手はないでしょう。
何しろ以前娘は、お恥ずかしながら一度連中に掠われております故。
幸いにして、プレヴァルゴ家のご令嬢に助け出していただきましたが」
エデリブラ公爵の後に言葉を繋いだのは、ヘルミーナの父であるピスケシオス侯爵だった。
魔術の研究家として一家言を持つ彼は、だからこそか、娘が標的とされているというのに淡々と言葉を紡ぐ。
恥じるでもなく、悔いるでもなく、淡々と。
貴族らしく、しかし親らしくはないその言動と表情に、幾人かが眉をひそめた。
もっとも、彼の真情を、知る人は知っているのだが。
「だからこそ二度と繰り返さないように、万全を期さないとね。
感情的になって隙を突かれでもしたら目も当てられない」
クラレンスの言葉に、うんうんと頷く幾人か。
それを見たピスケシオス侯爵の硬い表情が、一瞬だけ緩んだ、ような気がした。
まるで幻だったかのように、今は鉄面皮とも言って良い表情だけが見えているが。
「訓練そのものを中止するわけにはいかないのですか? これでは予算が膨らみ過ぎます」
財務官僚のトップである侯爵から意見が出るが、周囲は、そして彼自身も、それが通るとは思っていない。
襲撃があるかはまだ確実にはわかっていない。いや、確実にわかっていたのなら尚のこと実施しなければならない。
あるかどうかわからない襲撃を恐れて訓練を中止したとなれば、国の威信に関わる。
来るとわかっている襲撃であれば、正面から叩き潰して威を示す必要がある。
面倒なことだが、この世界のこの時代においては、まだまだ武威によって国力を示さなければならないという側面は確実にあるのだ。
「そうできないのは君もわかっているだろう? 幸いにして皆のおかげで国庫には十分な蓄えはあるから、それを吐き出してでも連中の狙いを叩き潰さねばならない。
魔王復活などという馬鹿げた夢を持つ連中の、芽吹きかけている希望すら全て摘み取る必要がある」
笑みを浮かべてすらいるというのに、クラレンスの言葉は重く、ゾクリと身震いする程の凄みを持っていた。
それを受けて、思わずこの場にいる全員の、貴族派筆頭であるギルキャンス公爵の背筋すら伸びる。
ここにいるのはそれぞれの戦場で戦い抜いてきた歴戦の古強者達。
だが、その上にいるのは誰か、今更ながら思い知らされる。
「本件において、失敗は許されない。言うまでも無く手抜きなど許されないどころか、手を抜くことが頭をよぎる人員を配置することすら許されない。
ここで連中を徹底的に叩き、根絶やしにする。いいね?」
「「はっ、かしこまりました!」」
にこやかとすら言える声と表情。
しかし、その奥に潜む凄みに追い立てられるように、その場にいた全員が了承の声を揃えた。




