学期末試験とその次へ。
そして、コルディア伯爵令息事件から一ヶ月と少しばかり後。
二度目の定期試験、学期末試験がやってきた。
この辺りのスケジュールは、日本の学校に近しい物があるらしい。
そして試験そのものは滞りなく行われ、結果も出て。
「やった! 半分越えた! これでお疲れ様会行ける!!」
「流石ミーナね、ちゃんと頑張ればできるじゃない」
張り出された結果一覧表を前に、ヘルミーナがぴょんぴょんと跳びはねていた。
その隣で『わかっていた』とばかりに余裕の表情を見せるメルツェデスの視線の先には、燦然と輝くようにヘルミーナには見えているであろう、『29位』の文字。
前回から大幅にアップし、真ん中所か四分の一より上に来たのだ、彼女のテンションも理解できる……と思うのはヘルミーナのことをあまり知らない人間の感想である。
彼女は単純に、条件をクリアして甘いものを食べに行ける、そのことを喜んでいるだけなのだから。
「うわ、ほんとに達成してる……今までほんとに何やってたんだお前は。
いや、この短期間にこれだけ上げてくることに驚くべきか……?」
「ふ、なんとでも言うがいい。これで私はパラダイスに行けるのだから!」
「……こんなに期待されてるって知ったら、カーシャさんと店長さん、プレッシャーで倒れないかしら」
ミーナのテンションに、メルツェデスは小さな声で呟く。
何しろ、公爵令嬢二人に侯爵級の扱いを受ける伯爵家の令嬢、そこに侯爵令嬢まで加わるのだから、それだけでもプレッシャーなところに、その侯爵令嬢がこれである。
もちろん正式に身分を明かしたわけではないが、カーシャは大体見当が付いているだろう。
となると、そんなメンバーがわざわざ予約してまでやってくる、と聞いた店長の心労はいかばかりか。
「大丈夫だと思うわよ、とりあえず甘いの出しとけばミーナは満足するんだから」
「あらエレン、聞いてたの。そうね、それはお店にも伝えておきましょう」
同じく成績を見に来ていたらしいエレーナと、その少し後ろにクララ。
若干芳しくないエレーナの表情を見て、メルツェデスは視線を成績表へと戻す。
「……今回は残念だったわね、五位に後退、というのは」
「そうね、悔しいけれど……数学を何とかしないことには、順位を上げられないと思うわ」
「ベルモンド先生の数学、今回は更に酷かったものねぇ……」
そうエレーナに返しながら、メルツェデスは遠い目になりながら成績表を見上げる。
今回も、1位はメルツェデスだった。
ただし、点数は大幅に落ちて、450点を切っていた。
その原因はただ一つ、数学である。
前回の中間試験でも十分難しい問題だったところに、今回は『死ぬがよい』とばかりに容赦のない問題が襲いかかってきた。
大学受験の記憶が残るメルツェデスでも50点台がやっと、平均点は20点を割り、他の生徒は死屍累々、と言えばその惨さがわかるだろうか。
おかげで今回も2位となったフランツィスカとは差が開いており、エレーナよりも数学ができるリヒターが4位に順位を上げるという結果になった。
なお、残念ながらジークフリートは今回も3位である。
「流石に、数学専門の家庭教師を付けるまではしないけど……というか、むしろ付けてもどうしようもない気がするわ」
「今のエレンの成績だったら、これ以上上げる意味もそんなにないものねぇ。数学者にでもなるならともかく」
「ないない、とてもじゃないけれど、向いてるとは思えないわ」
そこで一度言葉を切ったエレーナは、ちらりと横目でメルツェデスを見て。
「メルだったら、なしでもないんじゃない?」
「そうでもないわよ? わたくしはあくまでも出された問題を解いているだけ。
自分から新たな問題を探ろうだとか作ろうだとかの気概はないもの」
エレーナの問いかけに、メルツェデスはゆるりと首を横に振る。
元々理系方面に進んでいた前世の記憶や、今の頭の構造によって助けられてはいるし、彼女自身数学の問題を解くこと自体は楽しいと思えることが多い。
しかし、それを生涯にわたって研究するつもりはないし、そこまでの情熱も持ち合わせてはいない。
以前職員室で見かけた、何やら論文を書いていたらしいベルモンドの鬼気迫る横顔を思い出せば、自分などとてもとても。
いや、むしろ。
将来のこと、などまともに考えたことがなかった、と言えばそうなのだろう。
「……それでも何某か、先のことは考えておいた方がいいわよね」
ヘルミーナが悪役令嬢の運命から外れたように見える今。
メルツェデスにも破滅以外の未来が来るかも知れないと思えるようになった今。
将来、に備えてもいい気がしてきた。
「メルのことだから、初の女将軍を狙ってるのかと思ったけれど」
「ふふ、家はクリスが継ぐ予定だから、それは……でも、あの子にプレッシャーをかける意味でも、狙ってみようかしら」
姉にそんなことを言われれば即座にクリストファーは譲りそうなものだが、とエレーナなどは思うが、それは言わないでおいて上げた。
まだ彼に会ったことのないクララの目の前で、クリストファーのシスコンぶりを説明するのはいくらなんでもどうだろう。
ということで、エレーナは適当に相づちを打つに留めて。
「そうそう、クララは今回、31位まで上げてきたのよ」
「ええ、先程確認したわ。クララさんおめでとう、本当に頑張っているわね」
「そ、そんな、恐縮です、ありがとうございます!」
流石主人公スペックというべきか、彼女の不断の努力を称えるべきか。
半年にも満たない期間で、彼女は全体の四分の一にまで食い込むだけの成績をたたき出してきた。
もちろんここから先は中々上がらないだろうが、それでも1年の終わりにはさてどうなっていることか。
その頃自分は、果たしてどうなっているのか。少なくとも、ゲームでの『メルツェデス』よりはましな1年後を掴んでいたい。
「クララさんの頑張りを見ていると、わたくしも頑張らないとって思ってしまうわ」
「メルがこれ以上頑張ったら、さらにベルモンド先生が張り切って、ますます地獄になるじゃない」
「あらフラン、来ていたのね。……わかってはいるのだけれど、プレヴァルゴの家訓的に、引くわけにはいかないのよ」
普段の模範的令嬢な表情はどこへやら、げんなりとした顔でフランツィスカが後ろから現れる。
打倒メルツェデスを胸に秘めて努力した日々が、数学教師の暴走によって打ち砕かれたとあって、流石の彼女も表情は全く冴えないものだ。
そんな彼女に同情はするが、しかし手を抜くことなどできるわけもない。
フランツィスカに対して失礼という意味でも、己自身に対して申し訳が立たないという意味でも。
「何より、手を抜いてしまったら、わたくし自身がお疲れ様会に参加できないわ」
「なるほど、それもそうね、ミーナが黙っていないでしょうし」
メルツェデスの冗談めかした言葉に、フランツィスカも笑って応じる。
こんな日々を守るためにも。
お疲れ様会を楽しみにする友人達と会話をしながら、魔獣討伐訓練に向けて何をすべきか、メルツェデスは考えていた。




